馬上から武器を使う技術やその体系、に関する覚え書(序説)
- gryphonjapan
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@IzumiKibayashi 江戸初期の新陰流の伝書に、一応「馬上のこと」って項があって、そこに馬上剣術や組討のことが載ってるんですが、その伝書の名前が「外の物(剣術以外の技)の事」って時点で、既にこの時点で整理は始まってたと言えるのかしらんと。
2016-07-01 00:32:38@IzumiKibayashi @k_hisane 馬上剣術・馬上格闘というのは南北朝期に戦術として広く広まりましたが、戦国後期には鉄砲の普及などで実践技術として衰退しました。戦国末期の戦闘技術の影響を受けた近世の武術に馬乗格闘が無いのは、そういう流れの結果ですね
2016-07-01 00:33:00@1059kanri 一応、宗矩が書いた伝書に馬上での技について言及があるので、江戸初期までは技法自体は残っていたようなのですが、その時点で「外の物(剣術以外の技術)」扱いなので、南北朝の頃の技術なんかは随分失われてるかもですね。 @IzumiKibayashi
2016-07-01 00:36:13@IzumiKibayashi 確か騎射の技術も、南北朝の頃には結構衰退してて、それを嘆く言説がどっかにあったような記憶が。使わないから残らない、ってのは、まあそらそうなるわなと。
2016-07-01 00:40:44@k_hisane @1059kanri @IzumiKibayashi 馬上武術は馬術分野なので剣術や槍、組打流派では詳しく言及はされないと思います。大坪流など馬術には馬上組討や馬上太刀打等目録もあります。馬術は剣術等より歴史が長いので南北朝から技術が残っていたのかもしれません
2016-07-01 01:06:57@inuchochin あー、なるほど。馬術扱いでしたか>馬上武術 だとすると「外の物」なのは、その通りなんで砂。また今度読んでこねば。@1059kanri @IzumiKibayashi
2016-07-01 01:16:07そういえば馬上剣術は馬術になるので剣術とはまた別系統とTLであったような。大分前に見つけた和式馬術の動画。知識が無いのでさっぱり分からない。タイトルは木刀だけど。youtu.be/DMQwwwTJoxo こっちは地上。youtu.be/JrfesImZDPQ
2016-07-08 02:32:22そして偶然の一致か、熊本藩で晩年を過ごした宮本武蔵は五輪書に、「片手斬りは姿勢、場所、馬上徒歩の区別なく振るえる剣である」とも書き残している。 尤も、熊本に保存されている伝武蔵所用の打刀は関金重の大磨上で、そこそこ大振りだが
2016-07-14 22:55:15こないだの「馬上で剣を扱うのは剣術ではなく馬術のカテゴリ」というお話でふと思い出したが、押井守の「宮本武蔵」における二天一流の解釈(武蔵は馬上剣術として片手で戦えるように二刀流を編み出したのだ)は、こっちの面でもダメなのであるなあ。「じゃあ馬術やれや」で終了する話な訳ですし。
2016-07-15 01:40:49まあ、押井作品にそんなのを求める方が間違ってる、と言えばそれまでの話であり、武蔵をネタに毎度の押井節をかましてくれればOKであり、爺になった又八が「宮本武蔵という男がいた…。いや、いたと皆が信じていた。だが、本当に奴はいたのだろうか…?」とか立食蕎麦屋で語ってても無問題なんですが
2016-07-15 01:49:30単純な武装武芸でも「馬の上からXXする」だけで、前近代では無双になるのですよね。 「敵の突撃に、退却しつつ振り向きざま弓を放つ」というのは昔は遊牧民族(しかできない)お家芸で、ほぼ対処法がない無敵戦術だった twitter.com/k_hisane/statu… @k_hisane
2016-07-15 07:27:17この戦法でパルティアに、ローマ軍はさんざん悩まされ「捨て台詞」のことを「パルティア人の一撃」といまでも英語では言われるとか。 漫画「アド・アストラ」「乙女戦争」にも騎馬民族の振り向きざまの弓、は出てくるね。 homepage3.nifty.com/office-matsumo… @k_hisane
2016-07-15 07:30:48@gryphonjapan 騎射は他の馬上兵法とは別の扱いになってるのが面白いところで砂。日本でも平安時代の頃には既に体系化された技術として成立していたようですし、流鏑馬や犬追物なんかが儀礼として残ったのも頷けるものが。
2016-07-16 03:27:42@gryphonjapan 「蒙古襲来絵詞」でも、こんな具合に集団で馳射をしてる絵がありますね。「馬を走らせながら動いてる相手を射る」訳ですから、馬術と弓術の両方が必要な高難度の技術ですし、別扱いされるのもむべなるかな。 pic.twitter.com/69ekMsYPDm
2016-07-16 03:50:41@k_hisane @gryphonjapan これ何度か書いてるんですが、近世武道文献目録ってどこに武道文献が所蔵されてるかの目録があるんですが、それ読んでると思ってた以上に馬術と弓術の文献が多いです。というか剣とか意外と少ないですね。まあ旧い本ではあるんですが
2016-07-16 05:55:13フィクション史での系譜研究とか元ネタ調べは有意義だし楽しい事でもあるんだけど「特定の『親』作品から影響が広がった」という観点に陥るのは危険。発表のタイミングがズレてるだけで同じ親を抱く兄弟だったり、祖父どころかもっと遠い祖先が同じだけだったりする事もあるし。
2016-07-16 06:01:09@SagamiNoriaki 室町時代の時点で、既に小笠原流辺りは武家故実として成立してますし、文献が多いのはそうでしょうな。ある程度以上の武士が修めるものですから、文字として著されることも多かったでしょうし。 @gryphonjapan
2016-07-16 06:11:00@k_hisane @gryphonjapan まあ馬術に関して言えば、江戸時代でもっとも実用性が求められた術であったわけですから、必然と関係文書も増えるでしょうな。
2016-07-16 06:38:04@k_hisane @SagamiNoriaki 過去の皆さんのツイートも探してまとめたいところです
2016-07-16 07:18:20@SagamiNoriaki ただ、馬術はともかく、騎射(特に馳射)は何度か途中で衰退しては、「これではよくない」と復興されたりとしてたようですね。この辺は、剣術でも使用頻度の低い技術が継承時に省略され、結果的に失伝したのと同じようなもんかと。@gryphonjapan
2016-07-16 22:05:28@SagamiNoriaki @gryphonjapan そういや前に、騎射に関しての鎌倉時代の話をまとめたのがあったのを思い出したり。「吾妻鑑」で頼朝が西行法師から騎射について色々聞き出した話とか。 【中世の武芸について】togetter.com/li/631276
2016-07-16 22:10:50まあ芸が必要なのが乗馬で、生まれてから乗ってた民族は肌感覚で乗ってた。 しかしそうでない民族はあぶみなどをこさえて、それをおぎなった、というのがこなみかんに溢れた私の認識ですが、坂東武者とその他の違いも似てるのかな @k_hisane @SagamiNoriaki
2016-07-16 22:16:57