- makinoyainSPb
- 3311
- 0
- 1
- 0
さて、昼間呟きかけた「強いロシア」と先日のフーリガン事件(というかスラブ系とコーカサス系との間の衝突)その他のについて考察してみたい。
2010-12-25 08:01:19「強いロシア」というものは、政治的には、世界を二分していた超大国であったソ連時代を懐かしみ、その当時に匹敵する国際政治の中での影響力を持ちたい、あわよくば世界各国から尊敬を受けたいという願望に基づくように見受けられる。
2010-12-25 08:01:35承前:いうなれば当時はこの国は「東の横綱」だったわけで、物質的には満足できなくとも「我々は社会主義陣営の盟主である国の誇り高き国民である」という意識は持つことができたのである(もちろん醒めた目でそれを見ていた市民もまた多かったのだが)。
2010-12-25 08:01:53承前:しかし昨今の「強いロシア」というものは、個人的には、少なくとも市民感情のレベルでは極めて「歪んだ、屈折した感情」であると考えている。
2010-12-25 08:02:21承前:現在のロシアには往時の「パワー」はなく、超大国の次のグループの一つにまで地位が低下してしまった。しかしその現実を良しとしない、あるいは認めたくないという勢力もいるのである。そういう連中も往々にして「強いロシア」を叫ぶのである。
2010-12-25 08:02:35承前:そのような場合、「強いロシア」のスローガンは排外主義的な響きを同時に持つことが多い。エリート連中は、少なくともあからさまに表に出す者は多くはないが、一般市民レベルでは様々な場面でこれが噴出してくる。
2010-12-25 08:02:53承前:その一例として出てくるのが、今回のフーリガンの暴動のような民族差別である。今回はたまたまサッカーチームのサポーター同士の諍いが発端だったが、スラブ系の若者による非スラブ系市民への暴力事件というのは未だに時々思い出したように起っている。
2010-12-25 08:03:09承前:それらのスローガンに多いのは「外国人はロシアから出ていけ」「ロシア人から職を奪うな」というもの。しかしロシア人が嫌がる所謂「3K」職場で非スラブ系労働者が働いていることにより、ある種の搾取も含めロシア経済が回っているのも事実であり、それを無視して排斥を叫ぶのは不合理である。
2010-12-25 08:03:23承前:このあたりの経緯・背景・現状は中村逸郎氏の「虚栄の帝国ロシア―闇に消える「黒い」外国人たち」に詳しい.
2010-12-25 08:03:40承前:自分たちがやらない仕事に従事する外国人を捕まえて「おまえが俺たちの職を奪っているんだ」などとは非常に乱暴な理屈であり、かつ歪んだ感情である。
2010-12-25 08:03:59承前:一般市民レベルで「強いロシア」を標榜する人物は所謂「ネオナチ」が多い。第二次大戦であれだけドイツ軍にひどい目にあったのに、何でネオ「ナチ」なんだか、私のような凡人にはさっぱり理解できないのだが。
2010-12-25 08:04:28承前:結論に入ると、先のフーリガン騒ぎは根っこの部分で「強いロシア」という感情に繋がっているように思われる。しかし、それは政治エリートが目指す「強いロシア」という方向性とは乖離している。
2010-12-25 08:04:43承前:従い、今回の騒動に対しては基本的には大統領の言ったような「厳しい対処」になるのだろう。百を超える多民族国家のロシアで、ロシア人が一番(一等市民)、その他の民族はその下…などという政策を取ったら(あるいは政権にその意思があると表ざたになったら)えらい騒ぎになる。
2010-12-25 08:05:00承前:あくまでも建て前は「みな平等」。しかしロシアには帝政時代のポグロムなどの歴史もあり、民族差別的な素地は昔から持ち合わせているところがある。本音の部分では、そういう感情は消えないのだろう。
2010-12-25 08:05:14承前:残念ながら、ロシア人の寛容度は自分たちの弱さを認めて、それを踏まえたうえでどう自らを変えていこうかと考えるまでには至っていない。また、そのように考えられる層も広く存在するには至っていない。
2010-12-25 08:05:26承前:今後それらがどのように変化していくか次第で、ロシアが真に「強い」国になれるかどうかが決まるのではないかと思うのである…ということで、とりあえず考察終了。翻って、日本における差別を考えずにロシアのことだけ論じてもねぇ、とも思ったりするのである。日本のことを知らないワタクシ。
2010-12-25 08:06:24