人間の知性は「混同、錯覚、誤解」で支えられている

混同、錯覚、誤解は、通常、知性の低さを示す言葉とされるが、実は人間の知性を生む非常に重要なキーファクターなのかもしれない。
教育 錯覚 知性 混同 誤解
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shinshinohara @ShinShinohara
小学3年生のことだったと思う。成田山にクラスで写生に行った。鉛筆で神社の建物を書いたあと、絵の具で塗った。それらが終わった頃、先生が衝撃的な発言をした。「現実のものには輪郭線なんてないんだよ。」輪郭線を鉛筆で書いて絵の具で色まで塗ってから言われて、まさかと思った。
shinshinohara @ShinShinohara
しかしそう言われて現実の物を観察すると、すべてのものに輪郭線など見当たらなかった。背景との色のズレが、輪郭を浮き上がらせているだけだった。漫画では輪郭線だけですべてを描くのに、現実のものに輪郭線が見当たらないとは!この衝撃は、今でもよく覚えている。
shinshinohara @ShinShinohara
輪郭線で絵を描き、何かを表現するという方法は、人類最大の「発明」の一つではないか。ラスコーの壁画でさえ、すでに輪郭で描いた絵で、様々なものを表現するということができている。人類史で最初に「輪郭線」を発明したのは誰だろう?
shinshinohara @ShinShinohara
しかしもっと不思議なのは、線描を「輪郭」だと認識できる人間の認識能力である。私はこれまで、精密な犬猫の絵を犬猫に見せたことがあるが、「絵」だと認識した例はなかった。それどころか、2次元の写真さえ同類のものとは認識できないようだった。彼らには変な紙切れでしかないのだ。
shinshinohara @ShinShinohara
人間は2次元の写真を見て犬猫、人間だと認識できる。それどころか、現実には存在しない「輪郭線」で描いた絵さえ、犬や猫、人間を描いたものだと認識できる。2次元の模様や線描を「絵」として認識できる人間の特殊能力は、生物としてちょっとおかしいと思えるほどだ。
shinshinohara @ShinShinohara
私は人間を他の動物と比べて際立たせるのは、もしかしたら「混同、誤解、錯覚」する能力なのではないか、と感じている。通常、知性とは事物を正確に誤解なく峻別する能力のことだと考えられている。しかし人間の知性の源泉は、もしかすると混同、誤解、錯覚にあるのかもしれない。
shinshinohara @ShinShinohara
たとえば「赤」という言葉。実は「赤」という色は、現実には存在しない。白っぽい赤、紫っぽい赤、黒っぽい赤、褐色っぽい赤、オレンジがかった赤など、様々な「赤っぽい」ものを総称する言葉だ。これら「赤っぽい」ものを「混同」することで我々は「赤」という言葉を使えるようになる。
shinshinohara @ShinShinohara
西欧の文明に侵されていない部族の人に色のカードを渡すと、わずかでも色調が違えば別の色として扱ったという。彼らには「赤」という曖昧な言葉がなかったために、違う色調ならすべて分けてしまったのだ。しかし「赤」という言葉を知る私たちは、何となく赤っぽいのを同類として分類してしまう。
shinshinohara @ShinShinohara
馬は白い馬もいれば褐色のもいる。大きな馬もいれば小柄な馬もいる。個体一つ一つに違いがあるのに、我々は「馬」という「混同」した表現をすることができる。いわゆる「概念」は、共通点のあるものを「混同」するという、人間独特の能力があるからこそ生まれるものだろう。
shinshinohara @ShinShinohara
「錯覚」も人間にとって重要な能力だ。2次元の絵に遠近法を用いた奥行きのある線描を描くとなぜか我々人間はそれを三次元的な奥行きのあるものとして認識できる。もちろん2次元の絵だとは承知しているが、なぜ三次元を示すものだと「錯覚」できるのか。これは実に不思議な能力だ。
shinshinohara @ShinShinohara
犬猫は、犬猫の写真を見せても無反応だ。彼らには、どうやら二次元の写真は「色のついた平面」にしか見えないらしい。テレビは動くから関心はあるが、犬猫が映っても唸ることはない。鏡にだけマジになるが、それ以外の二次元表現を、人間以外の動物は認識できないようだ。
shinshinohara @ShinShinohara
写真や絵という二次元のものを、「現実に存在するものの姿を写し取ったもの」と「錯覚」できる人間の能力は、極めて奇特で不思議なものである。もし「錯覚」する能力がなければ、人類は絵やイラスト、写真で物事を伝えるという重要な手段を利用できなかったろう。
shinshinohara @ShinShinohara
「誤解」する力も、人間の知性に欠かせないものだ。人間は、他者の語った言葉を正確に理解することはできない。なにかしら自らの体験で補うことにより理解するため、必然的に「誤解」することになる。そしてこの「誤解」こそが、イノベーションの核になる。
shinshinohara @ShinShinohara
日本で瞳サイズのコンタクトレンズが開発されたのは、「誤解」に基づいていた。西欧ではコンタクトレンズなるものがあると聞いた日本の眼鏡屋は、現物を見ることができなかった。そこで子細に目を観察し、独自に開発することにした。それで開発された瞳サイズのレンズは、画期的なものだった。
shinshinohara @ShinShinohara
実は当時、欧米で普及していたのは眼球全体を覆う巨大なガラスの半球だった。もし眼鏡屋が実物のコンタクトレンズを見ていたら、そのイメージに引きずられて、瞳サイズのコンタクトレンズは生まれなかったかもしれない。「誤解」がイノベーションを生んだ好例だ。
shinshinohara @ShinShinohara
混同する能力、錯覚する能力、誤解する能力。これらは、他の動物と比べて突出して高い能力だ。通常、混同、錯覚、誤解は知性の低さを示す言葉だが、人間にもしこれらの能力がなかったら、言葉の概念を理解することもなく、絵も識別できず、イノベーションも起きなかったろう。
shinshinohara @ShinShinohara
混同すること、錯覚すること、誤解すること。これらを否定的にとらえず、ほどよく活用すれば人間の持てる能力を最大限に引き出すことができるだろう。混同、錯覚、誤解を忌むべからず。むしろ人間の重要な能力の源泉として、愛すべきものなのかもしれない。
shinshinohara @ShinShinohara
@Hideyuki_TSUJI 息子を観察していて、どうも線描を人間や犬の顔だと認識するのは、1才以下です。実際、1才児の発達を調べるには、イラストを見せて「ハサミはどれかな?」と指さしさせます。人間はイラストを、現実を写したものとして認識できる能力が早くからあるようです。
shinshinohara @ShinShinohara
@dubdisco 「動き」には、私の飼っていた猫もしばらくは反応していました。しかし成長して「二次元の模様が動いているだけ」と学習すると、全く関心を示さなくなりました。動きにはある程度反応しても、写り込んでいるのが犬猫など同類や敵だとは認識できないようです。

コメント

トゥギャッター編集部 @tg_editor 2016年8月1日
確かに新しいものができるきっかけに誤解や錯覚がある気がします!
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