メディア上の言説コンテンツは、なんらかの当事者性なり実体関連性を期待されるようになってきているのだろうか。匿名実名関わらず、遠所高見から「(賢い俺が)批評するとだな」みたいなスタンスはたとえそれが鮮やかでも、いや鮮やかである方が却って潜在的な忌避感を生むようなってきてる気がする。
2011-02-13 18:13:18実名というのは、描写されたものを引き受けるというスタンスと、場合によっては覚悟の表明となりうる。でも実名であってもひらひらとかわすだけの人は長い目で見てると信用されていない。実名匿名かではなく、単に文章の正確さだけではなく描かれた影響のを引き受けるという態度の蓄積がポイントでは。
2011-02-13 18:17:49この仮説が正だとすると、「私はメディアでござーい」というスタンスは忌避されるものになりえてしまう。「おめー何も関係ねーだろ、偉そうにやってんじゃねぇ現場は大変なんだから引っ込んでろ」となる。例えばで言うと地震直後の新潟で起きていたこととか。
2011-02-13 18:20:07語る資格、口にする資格に求められるものが単にまとまった綺麗な文章や説明ロジックを作るところからシフトしているとするのなら、記述するだけの専門家というのは用無しということになる。だって、その次何をするかに関係ないんだもん。別に私たちプレゼンスとかPRとかいらないし。足りてるし。
2011-02-13 18:22:00例えば、Jコミが立ち上がったのは、実は類似プランを幾つか見て出てきていたことを踏まえても赤松氏だったからというのはあるように思える。究極の当事者である。そして、今日コミティアに参加していたたくさんのプロクリクリエイターの動きの方が”メディア”であるようにも見える。
2011-02-13 18:23:28この仮説が恐ろしいのは、「俺アップル。最新のプラットフォーマー、だから皆乗せろ」というロジックも超えてるところでもある。コンテンツあるいはクリエイター至上主義ではないけれども、チャネル支配の力は期間限定でしか無いことを以前より強く描き出している。
2011-02-13 18:26:44実際、一般事例とはしづらい面もあるけれども、堀江氏のメルマガはマルチ配信構造を取っていて、著者と出版社的な包括関係というよりは、メーカーと一般流通的な位置関係にある。皆同じことが出来るとは思えないが、お抱え感覚はかなり薄い。
2011-02-13 18:28:14堀江氏のメルマガは、善し悪し好き嫌いはともかく、彼だからこそ作れる本人onlyのものとなっている。記者です取材しました誰誰がこんなこと言ってました、ではなく、「うるせぇ俺はこう考えるんだ」の塊。自分で自分を引き受ける当事者性。外から理論を引っ張ってきて紹介ではない。
2011-02-13 18:30:56例えば、虚淵玄とマギカが評価されているのも、どことなく当事者性というところに触ってるような感覚がある。単に凄惨やアクロバティックな構図ではなく、表面を撫でるのではなく、何かに向き合わされる感覚があるのと、それは作り手の意思と腹の括り方が支えてるのを見ている側も受け取ってるみたく。
2011-02-13 18:32:51つまり、賛否云々の土俵に上げる前に、「この人の言うことは向き合う意味がある」というフィルターが機能しており、いわゆる”メディア”の手法というのはこの面で資格を失っていると言いかえることも出来る。単純な自意識の発露でも、見てくれを整えるだけでもない「あなたはどうなの?」の世界。
2011-02-13 18:34:11ごくごくシンプルに言うと「どの口がそれを言うのだ?(非難)」の裏返しである「この人この口ならば聞こう」というものにポイントシフトが起きているとまとめられる。この人この口を支えるのは言うならば「(じゃあ)やってみなはれ」である。実際やるかはともかくそう応じられる人。
2011-02-13 18:40:03客観性担保が死ぬのではない、裏打ちと事実を押さえるのは以前より逆に重要になっている側面はある。しかし、客観性というところから離れられない、離れようとしていない人は重視されなくなってきているのではないか。昨今のリテラシー変化ってなんですか?と問われたら、私はこのように答えたい。
2011-02-13 18:43:05@kenji_rikitake ん~~、ちょいと適用範囲はそこまでではないと思うのです。実証科学系については別の考え方でしょうねぇ。
2011-02-13 18:55:06@kenji_rikitake まぁ、ある特徴傾向への印象仮説を抜き出しただけなので「これが正しい」というものではないですので。ただ、そう動いてるとすると、その中でのリアリティや良い形ってなんぞ?という問いが出てきて、考えてるのはそこです。見据える現実の仮説定義文です。
2011-02-13 19:03:04で、更に広げる。もし当事者性が基本要件だとすると、第3者の作った広告ったなんなのだろう?という問いが出てくる。きっと当事者性を失ったものと、当事者が語りえないものを当事者よりも適切に括りだしたものに分けられるはず。広告全ては死なずとも、広告でござーい、は死ぬ、みたいな話だろうか。
2011-02-13 19:05:02ソーシャルというのが現象として強くなっているけれども、あれは「自分の思ったこと」という当事者性への評価だろうか。本人は嘘付くから第3者の方が信用できるという監査的ロジックと、何も知らない第3者の発言はどれくらい意味があるのかというロジックの対立はどうバランスするのか。
2011-02-13 19:06:35広告に話を絞るとジャパネットたかた社長みたいな手法は残るんですよ。こちらの尻を押す行為といっていいのかな。あの人は違う意味で当事者に当たるのです。RT @swmemo: で、更に広げる。もし当事者性が基本要件だとすると、第3者の作った広告ったなんなのだろう?という問いが出てくる。
2011-02-13 19:15:07いえす。あの人は売り子という立場により買い手にも作り手にも近い当事者たらんとしてるのだと解釈してます。 RT @keisu 広告に話を絞るとジャパネットたかた社長みたいな手法は残るんですよ。こちらの尻を押す行為といっていいのかな。あの人は違う意味で当事者に当たるのです。
2011-02-13 19:16:09なので、肉体を通らず言葉で言葉を置き換えただけのものは重みが無くなるってことじゃないかと。 RT @keisu 当事者というのは一種の肉体性が付与されているもののことを指すのかね。肉声とかもそれに含まれる。
2011-02-13 19:19:53面白いのはコンテンツとして成立させようとする限りクリエィティブの部分は無くならないんですよね。だって面白くないと誰も見ないし。とはいえ旧来の手法を一回否定する必要がある。それが肉体化の作業なのかと。RT @swmemo: なので、肉体を通らず言葉で言葉を置き換えただけのものは重み
2011-02-13 19:26:56自分で自分を証明することの難しさと、自分で何かを理解判断することの難しさ。両者の難しさに対して、第3者が評価コメントしたからOKとする思考回路が少し易きに流れて推移してるように見える。全体を引きで見ると問題解決ではなくたらい回しってるだけではなかろうか。みんなして先送り。
2011-02-14 12:08:25あの人がいったからそれを信じる。この行動自体は否定しない。でも、信じた故に自分が悪い結果を引きよせてしまった際にどう受け止めるのか。ここで逆ギレを起こすと、”あの人”を叩き作者を引き摺り下ろすことになる。”あの人”が詐欺的にふるまってる場合はともかく勝手に信じた場合は如何なるや。
2011-02-14 12:10:57