ハンス・ヨナス『責任という原理』読書メモ集

ハンス・ヨナス『責任という原理――科学技術文明のための倫理学の試み』(東信堂、2000)の読書メモをまとめました。原著はHans Jonas, DAS PRINZIP VERANTWORTUNG, Insel VERlag Frankfurt Main, 1979。
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荒木優太 @arishima_takeo

従来の倫理学は、人間の生命の条件や遠い未来を、それどころか人間という種の実在(Existeんz)を配慮する必要がなかった。ほかならぬこういったことが今日危機にさらされている。こうして、一言で言えば権利と義務についての新しい考え方が必要となっている。byヨナス『責任という原理』

2016-07-30 13:31:35
荒木優太 @arishima_takeo

責任にとって重要な地平を与えるのは、行為と同時代の空間ではなく、不特定の未来である。byヨナス『責任という原理』

2016-07-30 13:45:25
荒木優太 @arishima_takeo

「未来もずっと、人類の名前にふさわしい者たちが、世界に住み続けなければならない。これは、一般的公理としては、あるいは説得力のある望ましい思弁的想像としては、すぐに肯定されるだろう」(ヨナス『責任という原理』)。うーん、そうは思わないんだよな。人類とか別に死滅しても問題ないでしょ。

2016-07-30 13:48:58
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo 未来への責任みたいな思想って、どうしても世代の再生産性を前提にしてる気がするんだよな。別言すると、その倫理のなかでは同性愛や無性性が無視されてるっていうか。でも、別に人類全員が同性愛者になったってなんの問題もないでしょ。

2016-07-30 13:53:23
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo この思想が行くとこまで行くと、最近なにかと議論になっている「役に立たない人間は生きている価値がない」論と結果的に似てきちゃうと思うんだよな。私は「別に生産性とかどうでもいいでしょ常考」派なので、やっぱり未来未来と言う気にはなれない。

2016-07-30 13:59:12
荒木優太 @arishima_takeo

「われわれには、われわれ自身の生命を賭けることは許されても、人類全体の生命を賭けることは許されない」(ヨナス『責任という原理』)。やっぱりこういう形で「類」みたいなウサンクサイ概念が還ってくるのがな。スピノザの、自然は個体しか生まなかった、という言葉をどう考えるべきか。

2016-07-30 14:23:30
荒木優太 @arishima_takeo

ヨナスは「まだ存在しない者たち」に対して負っている現在の義務を解くが、これは「おそらくは宗教なしには根拠づけることができない問題」でもある。ここが厄介なところで、未来責任論には実は現行のある特殊な文化や共同体の利害関心が侵入してるんじゃないの?という疑惑が払拭できない。

2016-07-30 14:31:39
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo 未来ってお前が思ってる未来でしかないんじゃないの?問題。で、これを回避しようとすると、種とか類とか生物学的に基礎づけられた「ノーマル」な人間類型に依拠にしなければならないが、それって結構危ない橋渡ってるよね、という。

2016-07-30 14:36:02
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo これはセン的なケイパビリティ論に関する私の疑問でもあって、潜在的な能力に見合った手当を、といったとき、その潜在のなかに規範的に参照される「ノーマル」な人間像が紛れ込むのって怖くないか?

2016-07-30 14:41:34
荒木優太 @arishima_takeo

極端なことを言えば、もし死がなくなれば生殖もなくならなければならない。というのは、生殖は生命の死に対する答えだからである。byヨナス『責任という原理』

2016-07-31 09:22:23
荒木優太 @arishima_takeo

「たえずまた始まる」ということは、「たえずまた終わる」ことを代償としてのみ得られる。「たえずまた始まる」ことは、人類にとっての希望であり、退屈な日常茶飯事に沈み込むことから人類を保護する好機、人類が生命の自発性を守る好機であろう。byヨナス『責任という原理』

2016-07-31 09:25:43
荒木優太 @arishima_takeo

個人に自殺する権利があるかという点には議論の余地がある。だが、人類に自殺する権利のないことに議論の余地はない。byヨナス『責任という原理』

2016-07-31 11:49:58
荒木優太 @arishima_takeo

将来の権利主体の生存に対する義務は、何らかの権利に呼応するようなものではけっしてない。それは、われわれに類する者たちを頼まれもせずこの世に生み出す権利を、われわれにそもそも与えてくれる義務である。byヨナス『責任という原理』

2016-08-01 16:07:01
荒木優太 @arishima_takeo

「足が歩くのではなく、歩く人が足で歩く。目が見るのではなく、見る人が目で見る。「ために」という語は、目的以外に、主体の側での制御をも示す。すなわち、われわれが意志と呼ぶものである」(ヨナス『責任という原理』)。うーん、この辺の身体の捉え方どうかなァ。足が歩くんだし目が見るのでは?

2016-08-02 17:47:14
荒木優太 @arishima_takeo

「有機体の内部ではすべてが、結果において有機体の維持に貢献するように事実上調整されている。これは、機械の内部ではすべてが機械の総合機能に貢献するように組み立てられているのと同じことである」(ヨナス『責任という原理』)。納得できない。

2016-08-03 12:30:00
荒木優太 @arishima_takeo

「「目的」はあらゆる意識を越えて、つまり人間も動物も越えて、物理的世界の中へ、物理的世界に固有の本来的な原理として、拡張されたことなる」(ヨナス『責任という原理』)。はぁ…。

2016-08-03 12:51:43
荒木優太 @arishima_takeo

兼松誠 「ハンス・ヨナスの責任倫理の射程」(pdf)pe-med.sakura.ne.jp/kanto/wp-conte…

2016-08-03 16:52:40
荒木優太 @arishima_takeo

戸谷洋志「ヴォルフガング・エーリッヒ・ミュラー著『ハンス・ヨナス―責任の哲学者』 」(pdf)ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstre…

2016-08-03 16:54:08
荒木優太 @arishima_takeo

品川哲彦「ヨナスは、なぜ、いかにして日本に「積極的に受容」されたか――ラフルーアの見解と日本からの応答――」(pdf)。これ面白そうだな。bun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/upl…

2016-08-03 16:55:11
荒木優太 @arishima_takeo

尾形敬次「存在から当為ヘ : ハンス・ヨナスの未来倫理」ci.nii.ac.jp/naid/110006273…

2016-08-03 16:57:30
荒木優太 @arishima_takeo

「人間のみすぼらしさの程度は控えめに言っても人間の偉大さの程度に匹敵する」(ヨナス『責任という原理』)。それはそう。

2016-08-03 17:08:28
荒木優太 @arishima_takeo

極端に言うと、責任が存在するという可能性が、すべてに先行する責任である。byヨナス『責任という原理』

2016-08-03 17:09:38
荒木優太 @arishima_takeo

責任が最高の仕方で果たされるのはーー責任はあえてそれを試みることができるのでなければならないのだがーー、その成長の世話をしてはきたが、まだ成長を終えたわけではないものの権利を認めて、潔く身を退くことである。byヨナス『責任という原理』

2016-08-03 19:20:39