ハイデガースタディー タカ基地氏との解題01 非本来的時間論から、有無を含まない時。
- sunamajiri
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タカ基地さん、そのFAVられた、語りえないもの~フリードマン史観 twitter.com/sunamajiri/sta… に飛ぶ前に、無時間という事態はない、というハイデガーの語り得ることへ、方向づけないと、読解できなくなります。@BeTakada
2016-08-10 00:59:25同じ生年ですしね。twitter.com/sunamajiri/sta… bit.ly/28XLHWy といった問題から、フリードマン史観というアメリカの近年のカント史観を、皆さんで読み解いていますよ。twitter.com/sunamajiri/sta… @moroQma
2016-08-09 23:46:44フリードマン史観が提示するように、端的に、語りえないことではなく、無時間という事態が無い、という問題全体の転回が言われているだけなので、それがどういう事態かをみないと、あらゆる転倒 twitter.com/sunamajiri/sta… のもとです。@BeTakada
2016-08-10 00:59:48非存在論者は霊魂や実体の有無を発問してしまうが、それではオンティッシュである。存在論者は、そうした有無を無問題とし、地平の有無自体を発問するので、霊魂の物象化としてのオカルトでも、オカルトを否定する弁証法でもない、という論理学が追求されているのです。@Hachi_Astroboy
2016-08-09 13:32:54中島義道『カントの時間論』で、ハイデガーカント書への言及は、二重触発のここ(文庫版203p)です。つまり無時間と誤読された物自体に対して、物自体は無時間ではなく、根源規定(時間地平)だ、という部分です。@BeTakada pic.twitter.com/oQubSaja1p
2016-08-10 01:00:55@sunamajiri 「自己触発」が興味を引いたのでリツイートしておきました!了解しました。有難うございます。GA25始めてます。面白いですね ^ ^
2016-08-10 01:03:55要は物自体は無時間ではない。去年ずっと、点や自我や時点という無規定では、無時間という事態は存在しない、ということと矛盾し、自我ではなく時間が先行する、という話(カント書論)ばかりしていましたが、その語り得ることを志向しないと、読めなくなります。@BeTakada
2016-08-10 01:09:12GA25、脂が乗ったハイデガーの語り口で爽快感すらありますね。何でこの人はこんなに親切なんだろうと思えてしまう。さっき、GA25の最後の方部分に関して、話題にしたのですが。twitter.com/sunamajiri/sta… @BeTakada GA25始めてます。面白いですね ^ ^
2016-08-10 01:11:31私のツイートは読書案内で、隠者君と同様論争的ではないのだが、この趣旨、不死批判がどれほど誤解されたかというのがハイデガーだとこれほど遠回しになる。これは今月タカ基地さんが読み始めるGA25の最後の方。bit.ly/2aNIo7z @Hachi_Astroboy
2016-08-09 13:30:26@sunamajiri 沈黙してられないので語っちゃますよ、という感じですね。まるでひとつひとつ音を繋ぐよ様に ^ ^
2016-08-10 01:18:56存在忘却が原因である巷談にとっては語りえないことでも、存在論的には、そうした先存在論的なものは、十分に存在了解できると、あれほど饒舌に語るわけだからね。twitter.com/sunamajiri/sta… @BeTakada
2016-08-10 01:25:48ハイデガーが存在忘却と批判するのは、そうした問題地平を忘却していることであり、そうした本来のメタフィジックスを理解することを、彼は存在論とか存在了解(理解)と呼びたいだけです。オカルトとか神秘主義の話ではない。@Hachi_Astroboy
2016-08-08 22:59:38しかし一文にすれば、時間は内的時間(として対自的に対象化されるの)では全く無く、時間地平(対象を与える脱自へ突破する根源地平)と規定されなければならない、ということです。@BeTakada
2016-08-10 01:27:28@sunamajiri 最近思うことは、非本来とは客観、本来とは主観と定義し非本来的時間を客観的時間、本来的時間を主観と観る事も出来るなと考えています。また非本来的時間は内的時間に連関し、本来的的時間とも、本来的時間からも相関的(送還的)に関連していると捉え直していた、所です。
2016-08-10 01:36:31先カント書のハイデガーは、本来的・非本来的という歴史関係を、時間関係と混同しているので、GA25~GA26でメタ存在論に転回するんでしょう。時間はあくまでも時間地平で、本来的・非本来的ではなく、存在論的・非存在論的なのでしょう。@BeTakada
2016-08-10 01:53:51余談だが、文庫化されたばかりの初期中島義道『カントの時間論』は物自体は無時間ではない、という辺りまでは、ハイデガーより親切ですよ。しかし、カント論なので、時間地平(脱自)に突破しないためか、外的世界は内的時間以前は無だ、に頽落してしまってるようだが。@BeTakada
2016-08-10 01:54:12ハイデガーの場合は、そうしたカントの内的時間を、非存在論的とか頽落と超越論的批判=存在論するのだが、中島義道はカントで唯識論をしているように、だんだん聴こえてくるのです。ハイデガーの脱自的時間地平にはそれがない。@BeTakada
2016-08-10 01:57:48もう一つ、余談ついでに、隠者君をブロックしたそうだが、隠者君はハイデガーのdas manをニーチェ的に捉えたようなので、それを払拭しておいた twitter.com/sunamajiri/sta… 。@BeTakada
2016-08-10 02:00:54隠者君からDMで質問がきた。ハイデガーはなぜdas manという非本来性を批判するのか、という質問なのだが、ハイデガーはそんな批判はしていないと回答した。bit.ly/2auXkqZ @inja650rr
2016-08-02 23:31:12しかしそれでもなお、語りえぬことではなく、語れることが問題になるというのが、ハイデガー読解なのでしょう。それは本来的・非本来的ではなく、存在論的・非存在論的を齎す時間は、内的時間ではなく時間地平だ、というメタ存在論、と見えてきますね。@BeTakada
2016-08-10 02:01:56@sunamajiri そうなのだと私は理解しているつもりですが ^^; 外部の時間地平と内部時間の差異性の時間地平(固有時)で観ていると思ってもいますが。
2016-08-10 02:05:51その点で、中山康雄のハイデガーが本来的・非本来的というのは、時間ではなく価値化だ twitter.com/sunamajiri/sta… というのは正しいのだが、しかし存在論的・非存在論的で捉えていないので、当人が言うように実在論的で、脱自地平的ではないのかもしれない。@BeTakada
2016-08-10 02:07:21中山康雄のハイデガー批判は、本来・非本来は価値化だということなのだが、アウグスティヌスの現在主義において生じた価値化(領域)の問題が、アインシュタイン以後の四次元時間論から解決されるというのは、見通しが良い。@BeTakada pic.twitter.com/Avwy2vNQOg
2016-03-16 03:12:37@sunamajiri ええ、物質の時間地平ですね。それは通俗的時間の時間(頽落的時間)、客観的時間だと私は解釈しています。内的時間は固有時であり、無関係ではなく、剥がれ落ちた有とは歴史的時間であり、生起はこの歴史的時間の着床の瞬間「いま」となり未来へ生起する。その二重壁が固有時
2016-08-10 02:25:17@sunamajiri を自発(脱時)しているのだと思います。誤解を恐れずに言えば、通俗的時間の内部で、われわれも固有時として存在し被投的企投を毎次毎秒繰り返しているのだ、と解釈することが正しいと考えています。
2016-08-10 02:28:51物(物自体)でも外部でも無時間だなどと思い込むのが内的時間では、世界時間も被制作性に歪んでしまう。内的時間が固有時であるのは、物も外部も単に時間地平だからですよね。自我が時間地平=構想力によって触発(触発論では純粋二重化ですから)ではなく生起されるように。@BeTakada
2016-08-10 02:32:20@sunamajiri 時間論はハイデガー理論の中枢部なのだと思います。此処を認識、解釈出来なければ全く意味はなく、また中世に逆戻りですね。だから頑張るしか無いと思っています^ ^ おやすみなさい。
2016-08-10 02:33:51まさに、存在忘却=中世への頽落です。@BeTakada 時間論はハイデガー理論の中枢部なのだと思います。此処を認識、解釈出来なければ全く意味はなく、また中世に逆戻りですね。だから頑張るしか無いと思っています^ ^
2016-08-10 02:35:43@sunamajiri 済みません追記します。世界時間は世界時間で有其々が相対的に連関的に独自に生起を繰り広げている。しかし内時間は現有間で生起し、独自の内時間を保有し脱自を繰り広げていると謂いだと解釈しています。それ以外無いですよね^ ^ では、明日頑張って下さい。
2016-08-10 02:42:11自己触発(二重触発)は、ハイデガーではカント書の純粋自己触発論 eleutheria.com/philo/autoaffe… なのだが、純粋統覚に対する超越論的統覚は、二重触発ではなく、超越論的時間地平である構想力が生起するという、超越論的図式性が語られているのだと思います。@BeTakada
2016-08-10 02:43:16なるほど。ハイデガーがヘーゲル論理学では不徹底=存在忘却だというのは、中世における有無が神の有であるのに対して、それでは無時間となるので、存在論性の有無を発問すれば、客観時間でもある時間が、全ての論理学の地平になる、と言いたいのでしょう。@BeTakada
2016-08-10 02:49:08