まず、表現の自由を保護する理由として、大きく分けて4つのものがあります。1.真理の発見の重要性 2.自己充足のための一側面として 3.民主制に関わる市民参加のため 4.政府への懐疑
2011-02-15 23:14:171.真理の発見の重要性。ジョン・ステュアート・ミルにより唱えられた根拠論です。「言論の制約が許容される世界では正確な事実および価値のある意見を確認そして公表できない」ため、表現の自由があれば到達できたはずの真理にたどり着けなくなるという問題があります。
2011-02-15 23:17:19また、ある表現を「問題である」と規定することは国家の側に不当な「無謬性の仮定」を与えることになります。異を唱える自由があるからこそ、政府は自らの政策が妥当であることを確信できるのです。
2011-02-15 23:18:252.自己充足の一側面として。「我々が話したり書いたりできるもの、あるいは聞いたり読んだりできるものに対する制約は、我々の人格および人格の成長を抑制する。」表現の自由が保障されることにより、人格および人格の成長が促進されます。
2011-02-15 23:20:093.民主制に関わる市民参加。ホイットニー対カリフォルニア州判決におけるブランダイス裁判官の意見に代表されます。「汝が意図するように考える自由そして汝が考えているように話す自由は、政治的真理の発見そして普及にとって不可欠な手段であり(続
2011-02-15 23:22:13社会の要請があるから(みんながそう思っているから)、一定の権利制限はやむを得ないと主張する人は、この点が分かってないんですよね QT @beniuo 民主政においては少数派の異見を唱える権利を多数派によって抑圧することは不当であるため、表現の自由が求められます
2011-02-15 23:29:584.政府への懐疑。フレデリック・シャウアーによって唱えられた説です。「言論の自由は、大部分、必要な弁別をなす政府の能力への不信、審議についての政府の判断への不信、政治指導者の誤謬性への正しい認識、およびより一般的な意味における政府の権限への幾分より深い不信、に基礎を置く。」
2011-02-15 23:25:10政府、そしてカトリック教会のようなその他の権威は正確な主張をなすものと後に判明する言論を多くの場合法的保護の埒外に置いてきました。国家が間違っているとする説は実は正しいかもしれない。だから表現の自由が必要なんだとする説です。
2011-02-15 23:26:41他には1の変種としての「思想の自由市場」論があります。エイブラムス対合衆国判決におけるホームズ裁判官の反対意見に見える「真理の最善のテストは市場の競争において自らを受け入れさせる思想の潜在的な力であり(後略)」がそれです。
2011-02-15 23:28:142.自己充足の一側面の変種としてはトーマス・スキャンロンの言葉があります。「(前略)その結果、政府は言論の聞き手が有害な信念を形成するかもしれないこと、あるいはこれらの信念の結果として有害な行為をなすかもしれないことを理由として、言論を抑圧する権限を与えられない」
2011-02-15 23:32:16以上、表現の自由の根拠論4つ(プラスα)をざっと解説しました。都条例に反対するにあたり表現の自由の観点から根拠となるものは主に2番、東京都を信用してないという意味で4番でしょうか。
2011-02-15 23:38:38