「…、もっぱら取り上げられるのは、文久・元治の内戦において藩権力を掌握することになる側の政治勢力(正義派といわれた)であった。すなわち、勝利をおさめた正義派に連なる人物(「有司」)の系譜として、村田清風→周布政之助→吉田松陰→高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)らの功績が顕彰(もしくは分析)され、その行為が正当化されてきた。反面、坪井九右衛門→椋梨藤太ラインにつながる人脈のそれは、俗論派として蔑まれ抹殺の憂目にあってきた。そして、長年にわたって、長州藩の幕末史研究においては正義派中心の歴史観から脱することが出来ず、今日に至っている。しかし、改めて強調するまでもなく、俗論派とは正義派が一方的に名付けたものであり、俗論派および正義派と俗論派の中間に位置した政治勢力(中立派)の動向をも併せて分析しなければ、幕末期の長州藩が辿った正確な歴史過程は理解出来ない筈である。」http://ci.nii.ac.jp/naid/110000379602