午前0時の小説ラジオ メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」2 「神話的時間について」

鶴見俊輔から多田富雄へ飛ぶライブ感。 我々が忘れたと思っているけれども時折顔を覗かせる、そしてまだ知らない「神話的時間」について。
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高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」2・今晩の予告編1・昨晩は、雪の中、「ラジオ」を聞いていただいてありがとう。今夜は二晩目です。タイトルは「神話的時間について」です。

2011-02-15 22:01:01
高橋源一郎 @takagengen

「小説ラジオ」・今晩の予告編2・鶴見俊輔さんのあまり知られていない本に「神話的時間」があります。地方の小さいな出版社のものだし、鶴見さんも講演を一本しているだけの本なのでした。でも、ぼくはこの本の中で、鶴見さんがおっしゃっている「神話的時間」についてずっと考えてきたのです。

2011-02-15 22:04:33
高橋源一郎 @takagengen

「小説ラジオ」・今晩の予告編3・人間はかつて「神話的時間」を生きていました。でも、やがて社会を産み、文明を産み、「神話的時間」を失います。だが、完全に失ったわけではなかった。鶴見さんは、子どもと老人は、成人が失っている「神話的時間」を持っているのだといっています。

2011-02-15 22:06:46
高橋源一郎 @takagengen

「小説ラジオ」・本日の予告編4・では、ぼくたちは、その「神話的時間」を取り戻すことはできるのでしょうか。いや、そもそも「神話的時間」を生きる、ということは、どういう経験なんでしょうか。そのことを、今晩は、ゆっくり考えてみたいと思います。

2011-02-15 22:08:21
高橋源一郎 @takagengen

「小説ラジオ」・本日の予告編5・ところで、昨日は糸井重里さんの事務所からUST中継をさせていただきました。すごく面白い経験でした。というか、終わった直後、糸井さんと、直前に話したことについて話したのも、ほんとうによかった。なんだか、「小説ラジオ」をふたりでやっているみたいでした。

2011-02-15 22:11:05
高橋源一郎 @takagengen

「小説ラジオ」・本日の予告編6・今日も、キイボイードをうっているところを中継していただきながら、おしゃべりします。では、午前0時に、またお会いしましょう。

2011-02-15 22:12:42
高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」2・「神話的時間について」1・鶴見俊輔さんは、ある時、聖書の時代には、聖書のことばを、人々はどんな風に読んだのだろうと考えた。たとえば、「荒野で神は人々にこう言った」と書いてあるとしよう。

2011-02-16 00:00:00
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」2・ぼくたちをそれを「お話」として読む。人々は、「神」に出会ったのではなく、雷か何かの自然現象に恐れおののき、勘違いしたのだと。でも、そう思ってしまうのば、ぼくたちが「神話的時間」を忘れ、「日常的時間」に生きるようになったからだ。人々はほんとうに神に会ったのである。

2011-02-16 00:02:46
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」3・古い時代、神話が生まれた時代、人々は、神や精霊や妖精や話す動物を見た。あるいは、感じた。感じたから「神話」として残した。でも、ぼくたちには、それが見えない。感じられない。ぼくたちは「日常的時間」しか知らないから? そうではない、と鶴見さんはおっしゃる。

2011-02-16 00:05:15
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」4・いまも「神話的時間」を生きることはできる。それを生きる人間は存在している。たとえば、子どもがそうだ。簡単な例をあげてみよう。親が何かを言う。すると、小さな子どもは、すぐにそれを真似る。真似るだけじゃない。まるで、最初からそのことばを知っていたかのように振る舞う。

2011-02-16 00:09:00
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」5・子どもは、ただ親のことばを真似ているのではない。子どもは、まだ自分と他人の区別が完全にはできない。だから、他人がしゃべっていることと自分がしゃべっていることの区別もできない。だから、親と同じことをしゃべる。ちょうど神話が生まれたころの人々がそうだったように。

2011-02-16 00:11:54
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」6・別の例をあげよう。チェスタートンという作家は「童話より前の段階がある」と言っていた。「お兄さんがドアを開けて入ってきました」というところで、子どもは「わっ!」と喜ぶ。でも、親は、子どもが何を喜んでいるのかわからない。まだ話は何も始まっていないのだ。

2011-02-16 00:15:31
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」7・鶴見さんはこう書いている。「子どもはね、一歳半頃、「汽車」って言うと、「走れ、きしゃ、きしゃ」っ言うのを非常に愛好していて、「すれちがい!」って言うのをものすごく喜んだ。最初これを理解できなかったんですね私は。「すれちがい!」って言うだけでものすごく喜ぶんです」

2011-02-16 00:18:45
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」8・ただ汽車が通りすぎるだけで、子どもは感動する。それは、なぜだろう。「「歩く」「話す」「眠る」「駆ける」、そういうことが全部ものすごく愉快に感じられる状態があるらしい。ことごとく一歳の子どもにとっては新しいわけです。それはすべて新しく愉快で心躍る体験です…」

2011-02-16 00:21:51
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」9・「…それが「神話的時間」です。そのことを理解できるようになったときに、親もまた神話的時間に戻ってそれを共有する。それが重大なんです」。ここに難しいことは何もない。なぜなら、ぼくたちは、「それ」を知っているからだ。過去に「それ」を持っていたこと覚えているからだ。

2011-02-16 00:23:49
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」10・小さい頃、夏休みが永遠に続くほど長いように感じなかっただろうか。それが「神話的時間」だ。原っぱに横たわり、青空を眺めていたら、あまり青く、深いので落ちそうに思えて、そのままじっとしていたことはなかったか。その時、ぼくたちは「神話的時間」を生きていたのである。

2011-02-16 00:27:02
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」11・遊びに行って、時間を忘れ、いつの間にか、夕方になっていて、急速に空が暗くなってゆくのに追われるように家に向かって走ったことはなかったろうか。あの時も、ぼくたちは「神話的時間」を生きていたのだ。それは、計量することが不可能な時間だった。

2011-02-16 00:29:45
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」12・2歳ぐらいの頃、子どもたちにお話を読んだ。へびが食べ物を丸飲みする話。何十回も聞いているのに、話をせがむ。一ページごとに、へびが丸飲みする音が出てくる。「ごっくん」。すると、子どもも、ほんとうにうれしそうに「ごっくん」という。その濃密な時間が「神話的時間」だ。

2011-02-16 00:32:25
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」13・「神話的時間」の反対側に、「日常的時間」がある。東京のお母さんが子どもにいちばん使うことば「はやく、はやく」だそうだ。何に対して? 何より? これが「日常的時間」だ。いや、ぼくたちがいちばんよく知っている「日常的時間」は「学校の時間」だ。

2011-02-16 00:34:44
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」14・どんなにつまらなくても、たとえば50分、あるいは90分、絶対に椅子から動いてはいけない時間。それが果てし無く続く「時間割」。計量し比較するための「時間」。それが「日常的時間」だ。そして、「日常的時間」を生きるうちに、ぼくたちは、「神話的時間」を忘れるのである。

2011-02-16 00:37:30
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」15・子どもの他に、もう一つ、いやひとり、「神話的時間」を持つことのできる人間がいる。それが「老人」だ、と鶴見さんはいう。「さわられることからさわることへ。きこえることから、はなすことへ。読むことから、書くことへ。人間の成長するすじみちちとして、この順序は疑えない」

2011-02-16 00:40:37
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」16・「もうろくする時には、その逆の順序で、消えてゆく。終りにふたたび、きこえること、さわられることがあらわれるまで」。老人は、やがて「子ども」に戻る。「もうろくする」とは、そういうことだ。記憶を失い、論理を失い、ことばを忘れる。だが、老人は失うだけではない。

2011-02-16 00:43:11
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」17・最後に、老人たちは、子どもの頃に持っていた「神話的時間」を取り戻すことができるのである。

2011-02-16 00:44:19
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」18・ぼくは「さよなら、ニッポン」の中で、いくつかの、ニッポンの小説について書いた。小島信夫の「残光」や川上弘美の「真鶴」などについて。いま思うなら、ぼくが、それらの小説に惹かれたのは、そこには「神話的時間」が流れていたからだと思う。「残光」の主人公は、ボケてゆく。

2011-02-16 00:46:57
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」19・自分のこと「私」と書き、「ぼく」と書き、「彼」と書く。どれも同じになってしまう。同じ会話を繰り返し、昨日の出来事は一年前の出来事の区別もできない。だが、不思議なのは、少しも悲惨ではないように感じられることだ。それは主人公が「神話的時間」を生きているからなのだ。

2011-02-16 00:49:32