2011 2 16 高橋源一郎 神話的時間

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高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」2・「神話的時間について」1・鶴見俊輔さんは、ある時、聖書の時代には、聖書のことばを、人々はどんな風に読んだのだろうと考えた。たとえば、「荒野で神は人々にこう言った」と書いてあるとしよう。

2011-02-16 00:00:00
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」2・ぼくたちをそれを「お話」として読む。人々は、「神」に出会ったのではなく、雷か何かの自然現象に恐れおののき、勘違いしたのだと。でも、そう思ってしまうのば、ぼくたちが「神話的時間」を忘れ、「日常的時間」に生きるようになったからだ。人々はほんとうに神に会ったのである。

2011-02-16 00:02:46
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」3・古い時代、神話が生まれた時代、人々は、神や精霊や妖精や話す動物を見た。あるいは、感じた。感じたから「神話」として残した。でも、ぼくたちには、それが見えない。感じられない。ぼくたちは「日常的時間」しか知らないから? そうではない、と鶴見さんはおっしゃる。

2011-02-16 00:05:15
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」4・いまも「神話的時間」を生きることはできる。それを生きる人間は存在している。たとえば、子どもがそうだ。簡単な例をあげてみよう。親が何かを言う。すると、小さな子どもは、すぐにそれを真似る。真似るだけじゃない。まるで、最初からそのことばを知っていたかのように振る舞う。

2011-02-16 00:09:00
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」5・子どもは、ただ親のことばを真似ているのではない。子どもは、まだ自分と他人の区別が完全にはできない。だから、他人がしゃべっていることと自分がしゃべっていることの区別もできない。だから、親と同じことをしゃべる。ちょうど神話が生まれたころの人々がそうだったように。

2011-02-16 00:11:54
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」6・別の例をあげよう。チェスタートンという作家は「童話より前の段階がある」と言っていた。「お兄さんがドアを開けて入ってきました」というところで、子どもは「わっ!」と喜ぶ。でも、親は、子どもが何を喜んでいるのかわからない。まだ話は何も始まっていないのだ。

2011-02-16 00:15:31
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」7・鶴見さんはこう書いている。「子どもはね、一歳半頃、「汽車」って言うと、「走れ、きしゃ、きしゃ」っ言うのを非常に愛好していて、「すれちがい!」って言うのをものすごく喜んだ。最初これを理解できなかったんですね私は。「すれちがい!」って言うだけでものすごく喜ぶんです」

2011-02-16 00:18:45
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」8・ただ汽車が通りすぎるだけで、子どもは感動する。それは、なぜだろう。「「歩く」「話す」「眠る」「駆ける」、そういうことが全部ものすごく愉快に感じられる状態があるらしい。ことごとく一歳の子どもにとっては新しいわけです。それはすべて新しく愉快で心躍る体験です…」

2011-02-16 00:21:51
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」9・「…それが「神話的時間」です。そのことを理解できるようになったときに、親もまた神話的時間に戻ってそれを共有する。それが重大なんです」。ここに難しいことは何もない。なぜなら、ぼくたちは、「それ」を知っているからだ。過去に「それ」を持っていたこと覚えているからだ。

2011-02-16 00:23:49
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」10・小さい頃、夏休みが永遠に続くほど長いように感じなかっただろうか。それが「神話的時間」だ。原っぱに横たわり、青空を眺めていたら、あまり青く、深いので落ちそうに思えて、そのままじっとしていたことはなかったか。その時、ぼくたちは「神話的時間」を生きていたのである。

2011-02-16 00:27:02
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」11・遊びに行って、時間を忘れ、いつの間にか、夕方になっていて、急速に空が暗くなってゆくのに追われるように家に向かって走ったことはなかったろうか。あの時も、ぼくたちは「神話的時間」を生きていたのだ。それは、計量することが不可能な時間だった。

2011-02-16 00:29:45
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」12・2歳ぐらいの頃、子どもたちにお話を読んだ。へびが食べ物を丸飲みする話。何十回も聞いているのに、話をせがむ。一ページごとに、へびが丸飲みする音が出てくる。「ごっくん」。すると、子どもも、ほんとうにうれしそうに「ごっくん」という。その濃密な時間が「神話的時間」だ。

2011-02-16 00:32:25
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」13・「神話的時間」の反対側に、「日常的時間」がある。東京のお母さんが子どもにいちばん使うことば「はやく、はやく」だそうだ。何に対して? 何より? これが「日常的時間」だ。いや、ぼくたちがいちばんよく知っている「日常的時間」は「学校の時間」だ。

2011-02-16 00:34:44
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」14・どんなにつまらなくても、たとえば50分、あるいは90分、絶対に椅子から動いてはいけない時間。それが果てし無く続く「時間割」。計量し比較するための「時間」。それが「日常的時間」だ。そして、「日常的時間」を生きるうちに、ぼくたちは、「神話的時間」を忘れるのである。

2011-02-16 00:37:30
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」15・子どもの他に、もう一つ、いやひとり、「神話的時間」を持つことのできる人間がいる。それが「老人」だ、と鶴見さんはいう。「さわられることからさわることへ。きこえることから、はなすことへ。読むことから、書くことへ。人間の成長するすじみちちとして、この順序は疑えない」

2011-02-16 00:40:37
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」16・「もうろくする時には、その逆の順序で、消えてゆく。終りにふたたび、きこえること、さわられることがあらわれるまで」。老人は、やがて「子ども」に戻る。「もうろくする」とは、そういうことだ。記憶を失い、論理を失い、ことばを忘れる。だが、老人は失うだけではない。

2011-02-16 00:43:11
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」17・最後に、老人たちは、子どもの頃に持っていた「神話的時間」を取り戻すことができるのである。

2011-02-16 00:44:19
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」18・ぼくは「さよなら、ニッポン」の中で、いくつかの、ニッポンの小説について書いた。小島信夫の「残光」や川上弘美の「真鶴」などについて。いま思うなら、ぼくが、それらの小説に惹かれたのは、そこには「神話的時間」が流れていたからだと思う。「残光」の主人公は、ボケてゆく。

2011-02-16 00:46:57
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」19・自分のこと「私」と書き、「ぼく」と書き、「彼」と書く。どれも同じになってしまう。同じ会話を繰り返し、昨日の出来事は一年前の出来事の区別もできない。だが、不思議なのは、少しも悲惨ではないように感じられることだ。それは主人公が「神話的時間」を生きているからなのだ。

2011-02-16 00:49:32
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」20・老人が子どもに戻ることで「神話的時間」を取り戻す。それは、なんとなくわかるかもしれない。だが、鶴見さんは、もう一つ、老人の「神話的時間」について書いている。このことを、今日は考えてみたいと思った。

2011-02-16 00:52:11
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」21・「もう一度、神話的時間に戻ってみたいんですけれども。人生には神話的時間が戻ってくるときがある。若い時はね、年をとるということは自分が死に近づくことだと思っていたんです。みなさんの中でも、若い方はそう思っているでしょ。実際、年をとってみると、この中の…」

2011-02-16 00:54:15
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」22・「…年をとっている方は、そう思っていないと思うんですよ。老いるということは、自分の付き合っている他人が死ぬことなんです。他人の死を見送ることです。自分が死ぬ時はわからないんですから、死ぬ瞬間は、他人が死ぬってことなんですよ。このことを通して自分で死を体験する」

2011-02-16 00:56:39
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」23・「老人の時間はそういう時間なんです。私の持っているさまざまな名簿はすでにかなりのところまで幽霊名簿なんです」。これは、どういうこと意味なのか。このことのどこに「神話的時間」が存在するのだろう。ぼくは、これを読んだ時、多田富雄さんの「残夢整理」を思い出したのだ。

2011-02-16 01:00:10
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」24・免疫学者の多田さんは、晩年、病の床にありながら、書き続けた。「残夢整理」は、最後の作品だ。この中で、多田さんは、彼が出会った、そして、すでに亡くなったしまった友人たちのことを記している。多田さんが自身が死の床にあって書かれたこの本の末尾に、彼はこう記している。

2011-02-16 01:03:40
高橋源一郎 @takagengen

「神話的時間」25・一度引用したことがあるけれど、これは繰り返し読まれるべき文章だとぼくは思っている。

2011-02-16 01:04:21