再検証:宮城県旧東和町の「後藤寿庵の墓」

2014年末に呟いた内容ですが、忘れていたのでまとめました。 江戸時代初期の仙台藩士でキリシタンでもあった後藤寿庵の墓が、地元郷土史家によって昭和20年代に宮城県旧東和町内で発見されたと、話題になったのですが、果たしてこの墓石は本当に後藤寿庵のものなのか。実際に墓石を見た印象としてまとめました。
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はじめに

昭和20年代に宮城県の県史編纂委員によって「後藤寿庵の墓」が発見されたという一報が『仙台郷土研究』に発表された。これ以後、後藤寿庵の墓があるとされた旧東和町ではこの墓石を保存。以前からその現物を見てみたいと思っていた自分は、何度かこの近辺(登米市東和)を探したものの辿り着けず、ようやく2014年の年末に墓石を実見することができた。

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今回の東北行きで何度目かのチャレンジとなったのが、江戸初期のキリシタン「後藤寿庵」の墓を見つけて実見すること。登米市東和の米川にあることは知っていたが、なかなかたどり着けなかった。それで、やっと見つけたのがこの場所だった p.twipple.jp/AuVub

2014-12-30 05:05:59
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

里山の遺跡調査は冬場に限るというのも、マムシは冬眠しているから安心で、草も枯れているから目標物を見つけやすい。今回はその鉄則に従い、田んぼの中に建っているこの碑「寿庵の墓」を見つけた。しかし、これは昭和29年の建立 p.twipple.jp/pHCeo

2014-12-30 05:10:29
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

旧東和町教育委員会が建てた説明標柱。概要:寿庵は伊達政宗家臣でキリシタン。水沢に領地をもらい、開拓に功あり。元和9年の弾圧で南部に逃れ以後消息不明。昭和26年にここで寿庵の墓碑が発見された。29年に新しく碑を建立 p.twipple.jp/WUO64

2014-12-30 05:17:58
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この標柱には「寿庵は伊達政宗の家臣で、熱心なカトリック信者であった。見分村(現水沢)の福原に一二〇〇石の領主として召しかかえられ、数々の開拓の功績があった。元和九年のキリシタン弾圧で、南部にのがれてから三五〇年間消息不明であったが、昭和二六年三月宮城県史編纂委員によって碑が発見されて、当時、建てられた無名の碑が残っている。昭和二九年にこの碑が建てられた。」と記されている。

墓石の現状

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

それでは、実際にこの墓碑と言われているものがどのような状況かというと、こんな具合に沢山並んでいる。その中の一基が「寿庵の墓」とされている。 p.twipple.jp/ljJcn

2014-12-30 05:20:38
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

この沢山の墓石の中から見つけられたのが、これ。真ん中に「天齢延寿庵主」と刻まれている。たしかに「寿庵」の文字があり、これが根拠で後藤寿庵の墓とされたのだろう。そして。。。 p.twipple.jp/HfvdG

2014-12-30 05:28:36
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

後ろの列にある一基には、右下隅に「後藤」の文字も刻まれている。(この碑は安永年間の建立)これで後藤一族の墓碑群とも判断されたのだろう。だが、本当にここにあるのは寿庵の墓碑かなあ、と疑問に思った。 p.twipple.jp/1pjgu

2014-12-30 05:33:55
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果たしてこれは寿庵の墓か?

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

というのも、この墓碑の右脇の行には年号が書いてあり、全部は判読できないが「⬛延元」は明確に読み取れる。江戸時代に「延」の字を二文字目に持つ年号は寛延、万延しかない。どちらにしても、後藤寿庵の時代とはかけ離れている。 p.twipple.jp/Ygy8W

2014-12-30 05:44:15
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※寛延はおおよそ1748年~1751年。万延はおおよそ1860年~1861年。

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

年号表記がよく分かる碑の一例。これは寛政年間。このエリアの石碑は石仏以外、すべてこのような様式で刻まれている。 p.twipple.jp/6uvET

2014-12-30 05:46:54
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そもそも、戒名表記の「天齢延寿庵主」の読みの区切りは「天齢/延寿/庵主」でないと、おかしいのではなかろうか。ここに「寿庵」を読み込むのは無理がある。これも、疑いを持った理由である。 自分の中での結論としては、この墓碑は後藤寿庵の墓としては限り無く怪しい。。。

2014-12-30 05:58:16
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

やっぱり実物を見ないと分からないし、判断できないという実例をまた確認したわけですが、歴史の研究はこういうことの繰り返しですな。。。

2014-12-30 06:10:47

※参考文献等を随時、追記していきます。