燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡 講演会「社会的画家・新海覚雄の軌跡」 講師:鳥羽耕史 府中市美術館[メモ書き]

メモ書きをツイートしたのでまとめた 2016年8月28日 14:00~ 府中市美術館常設展特集 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/jyosetu/ichiran/Josetsutentokushushinkai.html
0
武居利史 TAKEI Toshifumi @toshify

府中市美術館常設展特集「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」講演会「社会的画家・新海覚雄の軌跡」 8月28日(日)14:00~、講座室、無料・予約不要、社会運動と歩んだ仕事を考える。講師:鳥羽耕史(早稲田大学文学学術院教授) city.fuchu.tokyo.jp/art/jyosetu/ic…

2016-08-20 07:03:53
みそむーおでん @misoni_2013

「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」 2016年8月28日(日)午後2時~ 講演会「社会的画家・新海覚雄の軌跡」 鳥羽耕史(早稲田大学文学学術院教授) 府中市美術館 city.fuchu.tokyo.jp/art/jyosetu/ic…

2016-08-28 13:47:10
みそむーおでん @misoni_2013

社会的画家新海覚雄の軌跡 鳥羽耕史 府中市美術館 トークを拝聴に来たので、できるだけ実況したいと思います

2016-08-28 14:00:15
みそむーおでん @misoni_2013

電波通じず実況できませんでした...

2016-08-28 15:31:00
みそむーおでん @misoni_2013

新海覚雄展 講演会「社会的画家新海覚雄の軌跡 鳥羽耕史」 府中市美術館 を電波状況で実況ツイートできなかったのでメモ書きをツイートします

2016-08-28 22:21:26

メモ書きはその場で話を聞き書き起こしたもので、筆者の誤読等あり、発話者の意図と異なることもあります。


みそむーおでん @misoni_2013

武居「砂川闘争周辺画家を調べるうち、新海は重要な役割を果たしてる気づいた。地域の画家、砂川闘争に関わる画家を網羅的に展示することを考えてたが、当時重要な役割を果たしつつ忘れされててる作家の新海をとりあげた。初めて見たという声も聞く。彼を見て考えていただく機会となった

2016-08-28 22:22:17
みそむーおでん @misoni_2013

武居「講演会は1950年代の文化状況を踏まえつつ作家を話せる人は鳥羽さんしかないと思い招いた。もともとルポルタージュ作家であり、安部公房の研究をなされ、1950年代の文芸と動向をコンパクトにまとめた本も出す。鳥羽は1968年生まれで、それは新海が亡くなった年で不思議な偶然だ。

2016-08-28 22:22:54
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「新海覚雄の専門家でも美術専門家でもないが、逆にこの周辺を美術から研究してる人も少ない。砂川闘争に関わった方々を武居さんが研究され紀要に出してるのが先行研究くらいか。作家がどのような人生をたどり仕事をしたのか確認していきたい。

2016-08-28 22:23:08
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「展示配布資料には年譜があるのでそれを確認されたい。 30歳の時に小品頒布会をしたようでその推薦文を石井柏亭が書いている。大御所から推薦を受け、お父さんの薫陶もまで受け、そしてスタンダードな技術に基づいた絵を描いていたことが分かる。

2016-08-28 22:24:07
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「新海竹太郎が父だが有名な彫刻家だ。父に彫刻家キャリアがその影響下に芸術家を出発した。父の仕事は東京近美の「ゆあみ」が著名だろう。ちょうど100年前に竹太郎は生まれている。

2016-08-28 22:25:04
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「竹太郎作「小松宮殿下騎馬御像」は騎馬像であり馬が得意だったようで、「旅行」では当時の旅行風景を普通に作りつつももしかしたらブルジョワと労働者の社会階級を対比してるかもしれない。

2016-08-28 22:25:39
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「職工」では題材になりにくかった対象であった職人を取り上げ、「戦勝記念日」では松葉杖をつく傷痍軍人を作る。なんとなく皮肉であり英雄を奉る銅像とは違う選び方をしてる。

2016-08-28 22:25:48
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「新海覚雄は初期は彫刻・絵画両方をまず行っていた。油絵「室内にて」と彫刻「足をあげるポーズ」を作る。しかし彫刻はあまり残ってないようだ。本展でも展示はされてない。

2016-08-28 22:25:59
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「かごを持つ婦人像」が第六回中央美術会展へ入選。きちんとした絵画スタイルというか、リアリズムというより様式化したピカソやマティス影響下のものだ。その後作風が変わる。

2016-08-28 22:26:16
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「1932年に転機があり第一回新美術団体連盟展覧会で「失業者」を出品。社会的矛盾をテーマに描き始める。描かれた男性は労働者で失業中で女は妻で乳飲み子を抱えるというそんな当時の状況と不安を描いている。「老船長」も同展出品で漁業で労働する人の年老いた姿を描いたのだろう。

2016-08-28 22:26:33
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「また1933年では新美術団体連盟展覧会で盛りだくさんの群像図を出してる。残ってないようだ。

2016-08-28 22:27:03
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「群像図には、ロサンゼルス・オリンピック、白木屋の火事、踊りを踊る着物の女性これは東京音頭、そして軍隊が進み、労働者たち、彼らの中にメイデーの文字が読み取れる、そして満州国建国(1932年)が一枚の画面に盛り込まれ、社会問題を画面に入れようとしている。

2016-08-28 22:27:53
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「しかしこの群像図、評判はあまり芳しくない。戦後はルポルタージュ作家として活躍する人で箕田源二郎が大平章の弁として「画家の異常な努力を評価しつつもテーマを統一的に把握し得なかったため各事件が羅列され画面の構成的統一は弱めている」と記録している。

2016-08-28 22:28:37
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「この群像図、社会問題を取り込もうとしつつも美術としては成功してないというのが評価だろう。

2016-08-28 22:29:21
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「戦時中は挑戦・満州・北支を絵画視察旅行しスケッチや油彩画が残ってる。行く先々の風物を、名所旧跡でなく、その土地土地の生活を描いていた。アヘンを吸う人、大陸の人達を見る軍人これを後ろ姿から描く。軍人の後ろ姿は占領の後ろめたさを描いているようにも見える

2016-08-28 22:29:40
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「貯蓄報告」これが大東亜戦争美術展へ出品されそして日本美術報国会賞を受賞。この絵の文脈は何か。当時は貯蓄運動があり郵便貯金でも目標額が定められていた。それが絵に描かれているポスターでも分かる。

2016-08-28 22:30:21
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「アララギ派の土屋文明が「蓄えて 国の力になるというありがたき貯金 ただはげむべし」なんて身も蓋もない詩を書き、標語で「ウレシイナボクラノチョキンガタマニナル」なんてのがあった。 国債を買い貯金をすることが国に報いることになることになりだからこその受賞なのだろう。

2016-08-28 22:31:02
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「その文脈を離れても美しい絵でこれほど当時の郵便局が細かに描かれたものはない。 元々プロレタリア意識を持っていた新海も国に対する報国をアピールしなくてはいけなかったのではないだろうか。

2016-08-28 22:31:32
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「スケッチ「北海道奔別炭鉱所選炭鉱夫(1944年11月)」。これは現場の労働者に寄り添おうとしていたのでは?

2016-08-28 22:34:05
1 ・・ 4 次へ