ゲームにおける「キャラクター」と「状況」

まとめました。
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にるば @nirvanaheim

いわゆる「ウォーシミュレーションゲーム」をRPGの父だからとか称してそれを根拠に謎規範を叫ぶヤツとかマジ死んだ方がいいと思うね。教養市民ぶった不勉強がホイッグ史観を援用して社会規範を叫ぶような腐臭を感じる。せめてミニチュアゲーマーのところに弟子入りして修業してこいってカンジだわ。

2011-02-17 04:12:06
にるば @nirvanaheim

@kondoukoushi 「戦闘がRPGの本質であってそれだけしていればよく、その他は余計な飾りに過ぎない」というような主張をたまに見るので、それを指して毒を吐いています。

2011-02-17 04:18:41
近藤功司 @kondoukoushi

@nirvanaheim ありがとうございます。その主張は一面的ですね。

2011-02-17 04:19:32
近藤功司 @kondoukoushi

個人的な意見ですが、テーブルトークRPGが人間の実存という題材をあつかったときに、パンドラの箱が開けられたのだと思います。故人には無限の可能性があるという否定しがたいドグマが、テーブルトークの周辺を無限のものにします。そのことを、ある種のプレイヤー達は許せないのでしょう・・つづく

2011-02-17 04:26:07
近藤功司 @kondoukoushi

前ツイート、書き間違い。「故人」じゃない、「個人」ですね。

2011-02-17 04:26:49
近藤功司 @kondoukoushi

個人的な意見ですが、テーブルトークRPGが人間の実存という題材をあつかったときに、パンドラの箱が開けられたのだと思います。個人には無限の可能性があるという否定しがたいドグマが、テーブルトークの周辺を無限のものにします。そのことを、ある種のプレイヤー達は許せないのでしょう・・つづく

2011-02-17 04:27:12
近藤功司 @kondoukoushi

では、それはどういうプレイヤーかというと、これまた個人的な意見ですが、テーブルトークRPGという手法を、世界記述の言語と考えている層ではないかと、創造します。対極にあるのが、テーブルトークRPGはキャラクターを記述する原語だと考える集団ではないでしょうか。

2011-02-17 04:30:00
近藤功司 @kondoukoushi

前者においては、しばしば、戦闘は世界を変える状況の変化に過ぎず、プレイヤーはキャラクターというハンドルを通じて、世界を味わうことを志向すべきだとするでしょう。それはそれで、理解できる楽しみです。

2011-02-17 04:31:14
近藤功司 @kondoukoushi

一方で、先ほど述べたドグマをもとに、キャラクターの可能性(それはつまり、人間であるがゆえに付与された特権なのだが)に無限の夢をみる私たちは、常にキャラクターというハンドルに大きな大きな力を与えようとします。ぼくは、それこそがテーブルトークRPGの「力」だと信じています!

2011-02-17 04:34:10
近藤功司 @kondoukoushi

あなたが人間でなく、「木」なら、木が世界を変えていくテーブルトークRPGを構想するでしょうし、あなたが機械なら、戦車や火砲のような機械が、世界を変えていくテーブルトークRPGを作るでしょう。その陥穽を、陥穽と思うか、価値と思うかは、芸術家としてのあなたの資質に依存します。

2011-02-17 04:36:35
近藤功司 @kondoukoushi

今書いたことは、どこにも書いたことがない、ぼくの仮説ですが、まあけっこう自信があります。そんな点に気を付けながら、戦うといいんじゃないかと思います。

2011-02-17 04:38:25
近藤功司 @kondoukoushi

テーブルトークRPGと、ウォーゲームを分けるものについての、夜明け前の演説をおしまいにします。詳しくは「やっぱりRPGが好きー特別編2」で、お読みください。(2020年ごろ発売予定?)。

2011-02-17 04:47:38
近藤功司 @kondoukoushi

「状況」と「登場人物」がルール上相補的であるとしても、プレイヤーは状況を操作できず、登場人物だけを操作できるという構造である以上、二者は等価ではありません。そして、プレイヤーである人間は、状況ではなく登場人物と相似しているというのがRPGです。そこにいろいろな陥穽があります。

2011-02-17 06:23:37
近藤功司 @kondoukoushi

ちなみにこれは、いわゆる世代論とはあまり関係ない話に思えます。

2011-02-17 06:24:50
近藤功司 @kondoukoushi

一方で、シミュレーションゲームにおいては、操作されるのは「状況」であって、人間ではないというのが建前です。人間の全くでないシミュレーションゲームも想定しえると思いますし、プレイという名のもとに戦闘集団のあり方などをプレイヤーが示す場合でも、行っているのは状況の操作であるはずです。

2011-02-17 06:44:24
近藤功司 @kondoukoushi

そこに人間の可能性への情熱や夢を持ち込む余地があるとすれば、プレイヤーのレイヤーにおいて行われるべきなのであって、ユニットの領域にそれを持ち込んで、伝統的なデザイナーから批判されたグループも多数存在したと思います。(e.g.エポック社「バルジ大作戦」におけるスコルツェニーの効果)

2011-02-17 06:49:10
にるば @nirvanaheim

@kondoukoushi 自分の理解を確認させてください。「RPGには世界記述原理とキャラクター記述原理があり、対立構造を示している」「世界記述原理からすれば、キャラクターはプレイヤーが世界にアクセスするためのメディアであり、戦闘現象はその世界の動きの一過程である」(続

2011-02-17 06:48:58
にるば @nirvanaheim

@kondoukoushi 続)「キャラクター記述原理は、世界記述の限界に囚われない位置づけをキャラクターに与えようとする」と、先程のお話をとりあえずそう理解しました。誤解がありましたらご指摘を、また「その陥穽」というのがどんな意味で「陥穽」なのか解説していただければ幸いです。

2011-02-17 06:52:41
近藤功司 @kondoukoushi

@nirvanaheim ちょっと駆け足なので、ごちゃごちゃしますが・・・、また、仮説の紹介ですので、用語等は、主張する側の意図を組みつつ価値を考えていただければ幸いです。

2011-02-17 06:54:17
近藤功司 @kondoukoushi

で、おそらくは、先行者としてのシミュレーションゲームというものが、状況を記述するメディアとしてよく機能したのに対して、ユニットに「人間」を取り扱ったものが現れた瞬間(D&D以前の話です)・・・・

2011-02-17 06:56:33
近藤功司 @kondoukoushi

人間中心原理のもとに、プレイヤーは少なくとも、次の二つの状況を受け入れられなくなったのではないか。(1)ある状況の下、人間が絶望的な状態に置かれること。たとえば死。あるいは、解のないシナリオ。

2011-02-17 06:59:17
近藤功司 @kondoukoushi

こうしたシナリオ(不利なシナリオ、勝利の得られない状況)は、状況の記述を楽しむシミュレーションゲームでは、楽しく受け入れられるものですが、ここのユニットが人間一人一人である場合には、あまり楽しくないものでしょう。しかし、それは楽しむべき状況であったはずです。それが陥穽のひとつ。

2011-02-17 07:02:05
近藤功司 @kondoukoushi

この陥穽により、個人を扱ったシミュレーションゲームには、英雄の登場をルール化したものがあらわれたり、いろいろな方法で人間の活躍を描いたものに接近し、世界の記述を楽しむもともとのスタイルから離れていったのではないでしょうか。これを、古い側からの嘆きをこめて陥穽と呼んでおきます。

2011-02-17 07:04:48
近藤功司 @kondoukoushi

(2)としては、プレイヤーは人間の形をしたコマを動かして、状況を操作していたはずなんですが、実際には、コマをキャラクタライズしていくことになった。つまり、プレイを通じて、コマを個性づけていきたくなったのではないか。これが二つのの陥穽。

2011-02-17 07:07:06
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