- hokubukyuushuu
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#真田丸 第三十五回 息子たちが父を超えていく!「犬伏」再び生きて会うための別れ。みんなの号泣&補足TLまとめ - Togetterまとめ togetter.com/li/1021775 @togetter_jpさんから によによしながら見ていたが、それがらみで思い出した話。
2016-09-08 12:56:55架空戦記コンベンションというものが以前あったのだが、その戦国時代の部屋でちょうど関ヶ原あたりの話が出たのである。で、あの時の東軍に何が発生していたかというと……大混乱だったらしい。何故かと言うと、あの徳川家、10万以上の大軍を統括できるスタッフが居なかったのだ!
2016-09-08 12:59:09考えて見れば当然というか、考えてもおかしいのだが、10万以上の大軍を統括運営できる豊臣家のスタッフ連中がそもそもチートなのであって、普通万を超えると一人で管理ができなり、10万ともなればスタッフが居ないと絶対に手が回らない。で、徳川家の重臣達はこのスタッフが驚くほど少ない。
2016-09-08 13:01:33「本多正信がいるじゃねーか」という人も居るが、彼は家康のアドバイザー的な立場であり、会社組織で言ったら『秘書室長』あたりだろうか。これができただろう『物流統括役員』石川数正は秀吉のもとに走りそのまま空席のまま。で、何が起こったか。
2016-09-08 13:05:42『内府ちがいの条々』によって豊臣から切り離された為、デフォルトが発生し大軍が見事なまでに止まった。大軍移動の物資調達と支払いが豊臣から徳川に切り替えられた為に支払い拒否が起こったのだ。現在進行形でおとなりの国で発生している韓進海運破綻の物流ストップが関ヶ原前に発生したのだ。
2016-09-08 13:10:37関ヶ原前に家康が江戸に留まったのは、そのあたりの対処に追われていたという事を考えてみたり。秀忠率いる中山道軍は途中で資金が尽きて慌てて持ってくるなんて話を聞いて唖然とした覚えがある。で、ここで関ヶ原フラグというか、東軍でこのての物流管理ができる大物武将が一人居た。福島正則である。
2016-09-08 13:19:04彼、猛将イメージがあるが、秀吉子飼いで抜擢されたので行政経験当たり前、大軍動員で押し切る秀吉の戦を間近で見ているから何が必要で何をしなければならないかよく分かっていた男である。だから要衝清州城を与えられたのだろう。まさか彼が徳川方につくとは秀吉も思っていなかったのだろうが……
2016-09-08 13:24:04彼が清州城にあった兵糧を東軍に分配した事は、決して無視してはいけないことだ。兵糧を東軍陣地に供給し続けた事だけでも大戦果と言っていいだろう。で、関ヶ原での奮闘も相まって福島正則は安芸一国の太守と成った訳だ。そりゃ、戦が終わった時に潰されるよなぁ……
2016-09-08 13:29:21なお、大坂の陣において彼はしっかりと江戸留守居役として戦に出させないようにしている。この頃になって徳川家というか幕府はやっと自前のスタッフを揃えることができたのだろう。板倉勝重とか、土井利勝とか。
2016-09-08 13:34:01@hokubukyuushuu 所謂三河三奉行はそれぞれ民生としてはいけたけど、石川数正のような国家戦略ができたわけではないということか。
2016-09-08 18:57:41@hokubukyuushuu 失礼します。秀忠の下りは事実では無いと見るべきかと。秀忠が宇都宮を出陣する前に、大久保長安が兵站調達等で江戸から信濃へ先発しています。
2016-09-08 13:33:20@tateita_HI ご指摘ありがとうこざいます。このあたりは聞いた話なので裏とりはしていないのです。今度東京で架空戦記の会合があるので、その時に確認してみようと思います。
2016-09-08 13:36:55@hokubukyuushuu ご返答ありがとうございます。個人的には、家康の代官頭の内、大久保長安が中山道を、彦坂元正が東海道(ただし在番大名協力あり)を、伊奈忠次と長谷川長綱が関東の兵站を担当したと考えています。
2016-09-08 13:41:26