0.はーい、chimumuだよー。今日は『殺人の追憶』(あと、ちょこっと『スプリング・フィーバー』)についてつぶやくよー。シナリオの高度な技についてのお話しだよー。
2011-02-18 23:58:031.『殺人の追憶』が傑出しているところは、どこだろうか? とにかく役者はうまいわ、丁寧に粘って撮っているわ(全編曇天狙い)、憎たらしいくらいよいのだが、本作をシナリオの観点から見るとどうなるか?
2011-02-18 23:58:262.まず本作は刑事ものである、刑事ものというのはジャンルである。Detective とかいう。こういうジャンルものはある一定の型がある。
2011-02-18 23:59:063.例えば、殺人事件が発生→最初はチョロいと思っていた刑事が→事件の真相を探る内に大きな政治的な隠謀をその背後に見つけ→自らも身の危険にさらされるが→解決する。なんてのは聞いたことがあるような気がするよね。こういういかにもありそうな感覚は型があるからなんだ。この型がジャンルだ。
2011-02-19 00:01:204.また、刑事ものというのは犯罪を扱う。犯罪というのは社会の軋みである。それ故、この手の物語は、我々がいまどのような社会に生きているかという社会観の問題を提示することにも繋がる。実は今日はこっちが大事だ。事件を描きつつ、社会を描くという高度なテクニックであります。
2011-02-19 00:04:155.たとえば、黒澤明の一連のデカものは「犯罪は社会の齟齬が表出したものだ」というような社会観・犯罪観で成り立っている。黒澤映画の犯人は加害者であると同時に被害者だ(『野良犬』)。しかし、80年代のアメリカのサイコパスものは、犯人に対する理解を放棄している。簡単にいうと狂人扱いだ。
2011-02-19 00:06:256.この2つの犯罪に対するまなざしの違いは、その背後の社会の変質にもよる。日本という国が共通体験としての敗戦・戦後を共有できた時代は、犯罪の責任は日本全体(みんな)にあったが、郊外の闇が広がるにつれて、犯罪は忌避されるべき単なるノイズ(みんなの外)となったのである。
2011-02-19 00:07:327.『殺人の追憶』の序盤はまず村で殺人事件が発生。中年の刑事が現れる。ソン・ガンホ扮する刑事は明らかに土着民のような顔をしている。村に精通し、村人の顔をひとりひとり知っている。こういう刑事はたとえば「下着を盗まれた」なんて事件が発生すると「あーん、あいつだな」とわかるタイプだ。
2011-02-19 00:09:188.中年刑事は「俺は、目を見れば誰が犯人かわかる」という。この「目を見ればわかる」というのは村落共同体ならではの捜査だ。ずーっとその村で村人とともに暮らして、情報を共有している刑事ならそんなことも可能だったのかも知れない。けれど、この刑事の予想は、面白いほど外れる。ここが大事だ。
2011-02-19 00:10:109.これは韓国という国の基盤として、昔ながらの村落共同体が崩壊していることを示しているようだ。向こう三軒両隣で生きてきた農村社会に、都市郊外のような冷ややかさが忍び寄っていることを暗示しているようだ。
2011-02-19 00:11:4510.そこにソウルという大都会から若い刑事がやってくる。中年の刑事とは対照的に垢抜けた出で立ちである。そしてこの男の口癖は「書類は嘘をつかない」。プロファイリングとデータ主義が捜査の信条だ。
2011-02-19 00:12:1911.若い刑事は、まず中年刑事の「目を見ればわかる」でやっちまった誤認逮捕を指摘し、新しい捜査方法を提案する。一人で熱心にデーターを洗い出し、次の殺人を予言して的中させる(約34分)。
2011-02-19 00:13:3212.つまり、この若い刑事の登場は韓国という国がもはや村落共同体を基盤とした国ではあり得ず、工業を中心とした近代社会に突入しているのを示唆しているようだ。
2011-02-19 00:14:1213.若い刑事がデーターから推論し、犯人の住居に捜査に行くとき、その途中で工場がそびえ立っているのは象徴的だ。(1時間28分)
2011-02-19 00:14:3414.こういう風に語ると、この若い刑事が主人公で、旧弊な捜査方法に固執する中年刑事との軋轢を乗り越えて、科学的な手法で事件を解決する話が展開するだろうという気がする。
2011-02-19 00:15:0615.もしくは、古くさい捜査手法と馬鹿にされながらも、この村に住んでいる刑事の嗅覚で最後は大逆転の大手柄というプロットもある。どちらかというと、こちらの方が人気のあるプロットだ。
2011-02-19 00:15:3416.物語が始まって39分くらいで二人の刑事の対立は明白になる。カラオケ屋で中年刑事が若い刑事にからむ。「何故アメリカの刑事は頭使うか知ってるか? 国が広すぎるからだ」「大韓民国の刑事は足を使って捜査する」「お前みたいな頭使う刑事はアメリカに行け」
2011-02-19 00:16:3217.ところが、この若い刑事のプロファイリング捜査も途中から外れまくる。かといって中年刑事のインスピレーションの捜査が功を奏すわけでもない。ベテラン刑事の勘もプロファイリングも駄目。そして殺人事件は止むことがない。ここからこの映画はさらに面白さが増す。
2011-02-19 00:17:2218.『殺人の追憶』のプロットは、物語のフォーマットを裏切ることによって観客を惹き付けている。「ああ、この手の話か……」と思わせておいて、はずす。そして二人の刑事は物語の最後まで職務的な達成はしない。ただ、混迷の中に立ちすくむだけだ。ここも大事だ。
2011-02-19 00:18:4619.社会の変容が二人の刑事を混乱させる、中年刑事は自分が生きているのが村落共同体だと思っていたが、実はちがったということに混乱し、若い刑事の目に見えていた近代社会はすでに次の段階に移行しているのではないかという戸惑いで、彼は最後に激しく取り乱す。
2011-02-19 00:19:1420.『殺人の追憶』は物語の型を踏襲すると見せかけて、ズラし、宙ぶらりんなまま終わる。物語の型は像(フィギュア)だ。その背後に変容する社会という地(グランド)があるからこそ、感動的なのである。我々が生きる社会をどのように捕らえるかという思考なしにはこのようなシナリオは書けない。
2011-02-19 00:19:5321.このような作品は簡単にまとめてはいけない。『殺人の追憶』はアナーキーさと混沌こそが唯一正しいエンディングであるという意志で貫かれている物語であり、その意味ではこの作品はアジア映画の系譜にとしては『スプリング・フィーバー』に繋がっていると言えるのである。
2011-02-19 00:20:3922.そして『スプリング・フィーバー』のラストの混沌もまた、今の激変する中国を背景に生まれた映画であることを示唆する(逆も成り立つ)。物語を単純に追っているだけではこの二作品が持っている魅力は解けない。ここから先はシナリオの教科書を読んでいるだけでは学べないのである。
2011-02-19 00:22:27