加藤理文先生「日本から城が消える」気づきまとめ

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日光81 @nikko81_fsi

加藤理文先生の『日本から城が消える』を読み進める。これぞ、城好きの原点が天守建築で、かつ土の城へ関心が広がって、明治以降の城の扱いと復元に関心のあるわたしが待っていた観点の城本。城郭建築の復元に携わる人は一度は読んでほしいですね。感想等はすべて読み終えてから。

2016-10-01 15:39:35
日光81 @nikko81_fsi

この手の本が加藤先生から出るのは、個人的には意外ではありました。ただ加藤先生だからこそ、土の城の整備にも言及されてるのがいいすね。先にあとがき読んだんですが、法規制の項はつまらなくて…と。加藤先生、ここが面白いんじゃないですか!!! twitter.com/nikko81_fsi/st…

2016-10-01 16:00:00
日光81 @nikko81_fsi

さて、読了。最初に日本人は城好きだというところから入っていたのが興味深い点。江戸時代にすら、その地域を代表するもの=城となっていた価値観。ある種現代の、特に城に格別の関心を寄せない人々が持つ関心と通底する心性があるように思え城好きだからこそ、見落としがちな点であるように思う。

2016-10-01 19:39:27
日光81 @nikko81_fsi

同じように、模擬天守にすら分類されない城郭風建造物にも、日本人の城に寄せる思いの深さの一端とされているのも、本格的な城に関心を寄せれば寄せるほど見落としてしまいがちだよなぁと。

2016-10-01 19:40:12
日光81 @nikko81_fsi

城が好きな人だったら、城郭整備の核たる価値はその歴史的文化的価値を継承していくとともに、正しく次代に引き継いでいくために、価値を広く知らしめることにあると思ってる…かもしれないけど、この「おらが町の城」感を超えてあるべき文化財の残し方に導くには、今の一般的な感覚を無視できない。

2016-10-01 19:42:30
日光81 @nikko81_fsi

これに加えて、何に取り組むにもその歴史を知らねば過去の過ちを繰り返しかねない。第一章~第三章の城郭保護・整備の歴史は城郭建築を復元する立場にある人は、正しく理解しておく必要があると感じる。わたしが知らないだけかもしれないけど、ここまでコンパクトかつ網羅的にまとまった文章は知らず。

2016-10-01 19:43:00
日光81 @nikko81_fsi

城郭が文化財として認められるのが昭和に入ってからであり、一方明治末期にはイベント向けに天守的な建物が建てられたという事実。今ある現存城郭建築は文化財的な価値を見出した先人の努力によって守られたとはいえ、城郭は文化財と広く認知されるには長い年月が必要だったのだ。

2016-10-01 19:44:40
日光81 @nikko81_fsi

しかし、まもなくして守られるべき城郭建築の多くが戦災で焼失する。その中で復興のシンボルとして、天守にスポットライトが当たるわけだけど、ようやく昭和初期に城が国宝化した段階で、戦後直後に城が守られるべき文化財ではなかった。

2016-10-01 19:45:42
日光81 @nikko81_fsi

だからこそシンボルであった天守が、街が目に見えて復活するシンボリックな存在として眼前に居てほしい、だからこそ、二度と焼失しない天守を求めたのだと。城が文化財ではないという前提に立てば、ものすごくスムーズに腑に落ちる。

2016-10-01 19:47:52
日光81 @nikko81_fsi

さらに、広島城の例では、文化財担当者と市議会との対立にも言及されている。市議会が観光と復興の目玉にするのはさておき、原爆で廃墟になった城こそ残すべき文化財と主張している点に注目したい。

2016-10-01 19:48:49
日光81 @nikko81_fsi

今でもこの考え方をする人もいますけど、何も手を加えないなすがままの結果をそのまま伝えるのが文化財保護なのかという点を考える必要があると思う。文化財保護でいったい何を後代に伝えるのか?を考えるにあたってこの対立は、今のわれわれにも実に示唆的な価値観の対立であるように思える。

2016-10-01 19:49:12
日光81 @nikko81_fsi

で、ようやく昭和40年代以降、経済的な余裕から埋蔵文化財の専門職員が多く配置され、また近世城郭が発掘調査や文化財としての研究の対象となっていくにつれて、より城郭建築が文化財としての扱いを受けるようになることと連動しているのがおもしろい。

2016-10-01 19:50:29
日光81 @nikko81_fsi

その流れの先に、現在の「本物志向」の原点といえる、RCながら正確に復元しようとした福知山城天守(1985年)にあるとし、さらにバブル経済がこの流れを一部推し進め、文化財的な価値観に裏打ちされた城郭復元に繋がっていく。

2016-10-01 19:51:29
日光81 @nikko81_fsi

その一方で、限られた予算で安価に早くできるRCによる模擬天守的なものも平成になっても建て続けられている。明治以来のわが町のシンボルとして、観光の目玉としてという価値観との端境期にいるということなんですね。

2016-10-01 19:52:22
日光81 @nikko81_fsi

特にバリアフリーに関する議論は、根底にはこのシンボルとしての城=観光地という認識と歴史的な文化財である軍事施設という根本的、かつ歴史的な対立が背景にあるんだろうなと思わざるを得ない。

2016-10-01 19:54:16
日光81 @nikko81_fsi

続いて、国指定史跡における復元の可能性。文化庁が示している復元展示が可能になる条件もさることながら、個人的には建築基準法適用除外の条件が詳しく書かれていることに興味。国土交通大臣による特別認可もありえること、また適用除外を求めずに進めた場合にどうなるかというのも興味深い。

2016-10-01 19:54:53
日光81 @nikko81_fsi

文化財的観点で、名古屋城天守が有資格第一位なのは異論の余地はないとして、次にあげられているのが和歌山城、松前城。そして江戸城、小田原城、戦災焼失の各天守。他にも図面あるじゃない?(小浜城とか岩国城・・)と思ったけど、米子城天守も図面残ってるんですねぇ。

2016-10-01 19:56:20
日光81 @nikko81_fsi

高松城、萩城、会津若松城は写真は有るけど、図面がなくNGというのは、やむをえないですかね。そして、駿府城と甲府城は論外ね。(あと個人的には論外に福岡城を挙げたい)

2016-10-01 19:56:47
日光81 @nikko81_fsi

江戸城については、天守台が問題。現在の天守台は規模が縮小されていて、小天守台には幕末の改変が入っているのは確かだけど…実は江戸城は、明暦大火後の正徳年間に新井白石らが中心となって天守の再建計画を立てています、その際の立面図が残っています。国立公文書館蔵「江戸城御天守絵図」。

2016-10-01 20:01:20
日光81 @nikko81_fsi

三浦正幸先生の「寛永度江戸城天守復元調査研究報告書」によれば、寛永度と寸法が合致するという説明をされています。「江戸城御天守絵図」はこちら。国立公文書館アーカイブ。digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSe…

2016-10-01 20:02:19
日光81 @nikko81_fsi

一方、万治年間に前田綱紀が天守台を再築したときの記録「江府天守台修築日記」(金沢市立図書館加越能文庫)には「外構ヨリ石垣之ミヘ候義、大猷院様不可然思召候由ニテ、壱間半ひくく成候也」とあって、家光が寛永度天守を建てて後、不満に思った点を改善して天守台をつくったとあるそうで。

2016-10-01 20:03:20
日光81 @nikko81_fsi

この資料の信頼性検証はいるとしても、個人的には現天守台に石垣の積み足しをして元和度・寛永度の天守台に合わせるべきではないと。一番歴史の新しい(=現状を反映している)天守を再建対象にすべきという観点から、万地年間~正徳年間に再建するはずだった天守台のままであるべきかと。

2016-10-01 20:05:08
日光81 @nikko81_fsi

寛永度天守を再現しようとした正徳度天守(with 万治度天守台)を建てるのが、一番史実に忠実だと思うんですよね・・・仮に現天守台を積み増しても、そもそも石材が伊豆石と花崗岩で異なっていますし。

2016-10-01 20:06:20
日光81 @nikko81_fsi

とすると、後から高さを変えてしまうのは却って歴史にそぐわないことになりますよね。むしろ、千田嘉博先生が指摘しているような、 正徳度に建てようとしていたとはいえ、一度も建ったことのない万治度天守台には建てるべきでない、という意見との論争のほうが課題かなと思います。

2016-10-01 20:06:57
日光81 @nikko81_fsi

さて・・・高松城、萩城、会津若松城が国指定史跡なのに対し、駿府城も甲府城も国指定史跡ではない=RCで建造可能というのは見落としていました。できちゃうんだ・・・・そして会津若松城は、現天守がもたなくなるともはや(図面が出てこないことには)再建が不可能になるんだ・・・哀しい事実。

2016-10-01 20:07:25