秋の夜長にぽかっと目が覚めたので、『枕草子』と『源氏物語』のことでもつらつら書いて、呟きっぱなして寝ます。年代関係は一応ちょこちょこ調べましたが、何しろ夜中に書いた戯言なので変なところがあったらご容赦を。ではしばしのお付き合いをば。
2016-10-01 02:14:28『枕草子』と『源氏物語』は日本文学史上、質、人気それぞれ突出しており、この2作品の成立がほんの数年差というのはまさに奇跡なわけです。その奇跡を醸成したのが平安中期、つまり国風文化が形作られる過程で、貴族社会が「文化のゆりかご」として正しく機能したんですね。本日はこの話を中心に。
2016-10-01 02:16:16まずマクロな話をすれば、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が大化の改新を経て築いた天皇家と藤原氏の関係が(紆余曲折を経て)、密接に絡み合い10世紀末に一つの頂点を迎えます。平安期における文学の隆盛は摂関政治なくしてはありえません。これが政治・社会環境としての縦糸ですね。
2016-10-01 02:17:26いっぽうで万葉集を経て平安前期に結実した古今和歌集を代表とする「和歌」、竹取物語や伊勢物語といった「物語作品」、土佐日記や蜻蛉日記といった「日記文化」、これらが絡み合い、土壌となった文学的環境が横糸となって、その縦糸横糸の結節点として『枕草子』と『源氏物語』が生まれるわけです。
2016-10-01 02:19:06ではミクロな状況はどうかといえば、まあいろいろあるのですが例えば藤原道隆・高階貴子という非常に知的で感性豊かな夫妻の元で満13歳まで生まれ育った定子様と、その定子様を妻として迎えた一条帝(当時10歳/政変により即位は6歳/温厚で生涯文芸を深く愛したのは定子様の影響)の関係があり、
2016-10-01 02:20:01さらにその一条帝が19歳の時に入内したのが当時11歳だった彰子様なわけです。この頃、定子様の父・藤原道隆はすでに亡く、朝廷の権勢はその弟・藤原道長が握っていました(だからこそ道長は娘の彰子を入内させることができたし、将来彰子が一条帝の子を産めばその権勢は揺るぎないものになる)。
2016-10-01 02:20:52当時19歳の一条帝は、22歳の定子様と愛情や敬意がないまぜになった深い絆で結ばれていました。父を亡くし、兄と弟は政争に敗れ実質的な流罪と、政治的な後ろ盾を完全になくした定子様を、それでも一条帝は愛し続け、その絆の中から定子様のサロンと『枕草子』が生まれ、内裏で広く話題となります。
2016-10-01 02:21:51なおこの少し前、清少納言に「道長のスパイだ」と噂が立ちます。心ない邪推だけど迷惑をかけてはまずいと引き篭もった少納言の自宅に、定子様から手紙が届きます。開けると文面はなく、山吹の花びらがひとひら、そこに「いはで思ふぞ(帰ってきてと言葉にはしませんが貴方を思っています)」と一言。
2016-10-01 02:22:32どっひゃー。11歳も年下の姫君から。なんちゅう百合百合しい。とるものもとりあえず清少納言は内裏に復職することになります。閑話休題。一部繰り返します。そうした華やかで機知と教養と豊かな感性が彩る環境に、最高権力者である父の期待を一身に背負った11歳の彰子様は放り込まれたのですね。
2016-10-01 02:23:29やがて24歳の若さで定子様は病没、清少納言も内裏を去ります。失意に沈む一条帝を慰める力は、まだ13歳の彰子には望めません。そのまま時がたち、彰子に子が出来ない状況にしびれを切らし、道長はすでに文才が響き渡っていた紫式部を抜擢し(定子にとっての清少納言のように)彰子に仕えさせます。
2016-10-01 02:24:22この時一条帝25歳、彰子17歳、紫式部27歳。亡き妻の面影を追う一条帝、華やかな宮廷文化を美しく描き大評判の(ライバルが書いた)『枕草子』、そしておっとりした性格の彰子。それ全部まとめてなんとかしろと言う雇い主の道長。これらが揃って世界的な文学作品『源氏物語』が完成するわけです。
2016-10-01 02:25:55作品を読む時、その作品自体を深く読み込むことで多くの文脈、意思、意味を汲み取ることは大前提です。ただ時にテキストから一歩離れて、その作品が成立した環境や人間関係に目を向けると、作品から垣間見える意思や意味がいっそう輝くし、それは特に古典を楽しむ醍醐味だとも思うのですよねー。(了
2016-10-01 02:27:20まんが色々
参考資料
コメントより。ありがとうございます。