万年筆 ペンポイントボール小話

万年筆のペンポイントボールにまつわる小話をされていたのでまとめてみました。
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山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

「士別よもやま話」に、道北のプラチナラッシュの話が何度も出てきます。島田商店というお店が取りまとめたて回収したんですが、その話が面白いんです。 pic.twitter.com/1gU9K8L36X

2016-07-31 12:26:28
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山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

明治末期に道北ではゴールドラッシュが起こり、何千人という砂金堀りが道北にも入るんですが、大正期になるとあらかたのところは掘り尽くし、下火になってきます。んで、道北の砂金にはたまにオスミウムとイリジウムの合金、イリドスミンが混じることがあります。

2016-07-31 12:30:04
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

これを明治期は「バカ」と言って、溶けないし使い道がないので棄ててたらしいんですね。まだ白金族元素が世界的によくわかっていなかった頃でしたし。んで、欧米で万年筆のペン先にイリドスミンを使うようになると、外国でイリドスミンの値が高騰します。

2016-07-31 12:34:01
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

北海道のこの役に立たない白い金属に目をつけて、外国に売った人がいたらしいんですね。初期は、イリドスミン1gを2銭で砂金堀りの間で取引していたようですが、 これを外国に売ると2円になる。恐ろしい価格差です。それを噂に聞いた島田という人が、イリドスミン専門の買取をやり始めます。

2016-07-31 12:40:38
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

島田は会社を作り、道北のみならず北海道全域のイリドスミンを商いして大儲けします。みんながイリドスミンの価値に気付き、買い取りに苦戦するようになると、島田は策を練ります。

2016-07-31 12:43:53
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

明治期の砂金掘りは、ゆり板というカーブのついた板で高密度の金を集め、砂鉄だけ捨てて集めた砂金をもう一回揺って砂金を採ってました。しかし、この方法では砂金より密度の低い砂鉄や辰砂を分けることは出来ても、砂金より密度の大きいイリドスミンを分けることができない。

2016-07-31 12:50:26
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

明治期の流しの砂金掘りは、とりあえずそれを持って帰って、夜に囲炉裏端で分けてたらしいんです。瀬戸物の皿に入れて端をコツコツと叩くと、小さく密度の大きいイリドスミンが鋭敏に反応して弾けて、皿の端にたまるのを知ってたんですね。そしてそれを囲炉裏端に捨てる。

2016-07-31 12:53:02
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

島田はこの明治期の流しの砂金掘りの習性を知っていて、大正期にイリドスミンの買い取りが思うように集まらなくなると、道北各地の砂金掘りが残した掘っ建て小屋の囲炉裏端周りの土砂を、人夫を集めて掘らせます。これが大当たりした。そこには大量の砂白金が捨てられてたのです。

2016-07-31 12:55:50
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

そんな島田商店のとんち話は、満州事変で国が白金族の確保を国策にするまで続きます。道北は、ホントに大きなゴールドラッシュ、次いでプラチナラッシュがあったんですよね。後者は軍がかんできて、いい話があまりないんですが。

2016-07-31 13:00:54
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

その島田のイリドスミンを買って、幻灯機の光源のライムライトで溶かしてイリドスミンの小球にし、これを万年筆のペン先にする方法を開発したのが岡田と並木コンビ、今の PILOT (旧パイロット万年筆)の創業者です。

2016-07-31 13:05:16
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

岡田と並木コンビは、ライムライトのライムの立て方がわからなかったらしく、イリドスミン溶融の技術漏洩を嫌って、流しの映画屋を装い、10年も映写技師の元に生石灰を買い付けに通った、って話もあります。面白いですよね。

2016-07-31 13:07:22
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

パイロット万年筆の古い社史(というか会社案内)は、大正期のイリドスミンの話を書きたがらないみたいですね。 pelikan.livedoor.biz/archives/50713… … 60年史には書いてあるんでしょうかね。望み薄かな。 pic.twitter.com/OHZVyTCKHf

2016-07-31 14:39:48
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山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

イリドスミンがペン先(ペンポイントボール)にいい、とわかったのは 1800年代中ごろだったんですが、当時は融点 3000度近いイリドスミンをどうやっても融かすことができず、天然の粒を 14金のペン先に溶接し、これを研磨してポイントにし、スリットを入れてペン先を作っていたようです。

2016-08-01 00:06:30
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

当時の主要イリドスミン産地はロシアのウラル山地だったんですが、天然の砂イリドスミンのうち、適当なサイズのものを選んで溶接する方法は実に歩留まりが悪くて、イリドスミンの一割しか使えなかったといいます。イリドスミンというのは、非常に細かいものが多いですからね。

2016-08-01 00:08:27
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

ですから、サイズの揃ったイリドスミンの溶融球を作ることができれば、万年筆メーカーは大助かりだったのです。いろんな人がトライして、リンを媒介として強加熱するとイリドスミンが融かすことができるというのをアメリカのホランドという人が見つけ、特許をとります。

2016-08-01 00:11:08
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

ホランドのペン先のイリドスミンポイント製造法、グッドイヤーがインクの酸にも耐えるエボナイトを発明してペンの胴を作る材を考え、ウォーターマンが毛細管現象を利用してインクをペン先に送る機構を考えると、ほぼ現在の万年筆の主機構が揃います。これが 1880年頃になります。

2016-08-01 00:13:57
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

それはもちろん日本にも入ってくるのですが、日本の筆記具屋さんがその技術を真似ようとしても、どうやってもペン先の金属がわからない。プラチナだろうと思って白金を付けてもやわらかすぎてすぐに摩耗してしまう、という問題に直面します。その頃はイリジウムやイリドスミンなんて、誰も知りません。

2016-08-01 00:17:21
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

ペン屋の岡田が困っていた時に、貴金属加工の話を耳にします。北海道の砂金には白い、何をやっても融けない硬い金属が入っていて、金細工をするときにこれが混ざるとタガネの先が欠けるので細工師に蛇蝎の如く嫌われる金属があるのだ、と。これが欧米のペン先かもしれないと岡田が気付くわけです。

2016-08-01 00:20:03
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

んで、岡田が苦心惨憺してその白い金属を入手し、ペン先に溶接して、何とかスリットを薄刃の鋸で挽くと、まさしく欧米製品と同じ万年筆のペン先が出来上がるわけです。ここから、岡田が幻灯機の光源を利用してイリドスミンを融かし、ペン先のポイントドロップを作る話につながります。

2016-08-01 00:22:40
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

なので、岡田、並木の作った会社である PILOT 社が、今ではイリジウムのペン先のポイントを(ホランド法でなく)プラズマ溶融で作ってる、という話を聞くと、岡田のスピリットが今でも残ってるんだな、と気分が良くなります。

2016-08-01 00:26:10
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet

このへんの話、セーラー、パイロット、プラチナと話が若干食い違ってるんですが、信頼できるイリドスミンの流通から推測していくと、おそらくこんな感じになります。

2016-08-01 00:34:43