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リンク 大河ドラマ『真田丸』 2 users 5289 あらすじ 第40回「幸村」|大河ドラマ『真田丸』 九度山での生活を楽しんでいた信繁(堺雅人)のもとへ、宇喜多秀家の家臣だった明石全登(小林顕作)が訪ねてくる。大坂城で…
丸島和洋 @kazumaru_cf
さて、ついに「幸村」放映です。史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません。討死前日に出した感状でも、「信繁」と署判しています。「真田丸」での設定も、改名ではなく、別に通名を用いることにしたというものです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
この点は、制作統括の屋敷さんと堺さんがインタビューに答えておられますので、ご参照ください。「信繁という名前を捨てたわけじゃありません。通称として、大坂の陣に臨む時は幸村と名乗ったという設定です」(屋敷さん) sponichi.co.jp/entertainment/…
リンク www.sponichi.co.jp 「真田丸」主人公・真田信繁ついに幸村に!終盤へ英雄的武将の側面 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能 「真田丸」主人公・真田信繁ついに幸村に!終盤へ英雄的武将の側面
丸島和洋 @kazumaru_cf
「幸村」という俗称がどう生まれたのかもわかりません。「幸」が真田氏の本家海野氏の通字であることは確かで(実は真田氏の通字は本来「綱」、海野棟綱-真田幸綱-信綱)、近世真田氏がそれを重んじたのは事実なのですが、「村」がどこから来たのか、さっぱりです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
冒頭から。明石全登と歩いているシーンで、五輪塔が映りました。あれはいいですね。中世の五輪塔はあんな感じです。「火輪」という屋根の部分の反り返りが小さいんです。江戸時代になると大きく上にそるようになります。
丸島和洋 @kazumaru_cf
前半は、「方広寺鐘銘事件」でした。本作は、可能な限り真田一族+きりがみていないシーンは描写しない方針ですので、片桐且元自身から経緯を聞いたという形(三成・吉継の最期と一緒)。「こういう解釈できたか」というツイートが散見されるのですが、実は大筋で史実通りです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
まず、秀頼がみている大仏殿の設計図。見事に実物を再現していただきました。大仏殿再建を指揮した大工頭中井家に伝来しているものです。
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「方広寺鐘銘事件」の流れを理解するには、片桐且元の立場の把握が重要です。且元は、秀吉死後、大坂城奉行四人衆のひとりとして、事実上の傅役となりました。他の3人は、石田正澄(三成兄)・石川光吉(一般に貞清、信繁上司光元の弟で妻は大谷吉継妹)・石川一宗(光元・光吉の末弟)です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
前にもあげましたが、昌幸・信繁父子は大谷吉継・宇多頼次を介して、石田・石川氏と姻戚関係を構築していました。添付の図に「秀頼傅役」と3人付していて、残る1人が片桐且元です。 pic.twitter.com/68bq8Ux7wq
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丸島和洋 @kazumaru_cf
関ヶ原の結果、石田・大谷・宇多・石川一族は処刑・討死または失脚しました。この結果、大坂城中の古参の家臣は片桐且元の双肩にかかることになったわけです(他にも少しいますが)。劇中で「気がついたら私一人になってしまった」とあるのはその反映です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
関ヶ原の戦後処理に際し、秀頼の責任論に発展することを危惧した淀殿は、片桐且元に家康への取次を指示しています。片桐且元が豊臣側の対徳川氏担当取次となったのは、こういう経緯に寄ります。その際、且元は家康の指示で加増をうけました。
丸島和洋 @kazumaru_cf
したがって、且元の立場はちょっと複雑です。豊臣秀頼の家老として領国仕置きを指揮し、家康との交渉役(取次)に任じられる一方で、徳川氏の家臣という側面ももったからです。足利義昭と織田信長双方に仕えた明智光秀と同じ形ですね。
丸島和洋 @kazumaru_cf
ですから、且元の「徳川の禄も食んでいる」という立場を見落とすと、政治史状況把握が困難になります。またそもそも、且元ひとりでは豊臣家の運営は困難で、家康が任じた京都所司代板倉勝重の支援を受けて、領国仕置きを担っていました。豊臣の領国経営は幕府の支援なしには成り立たなかったのです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
それで肝心の「方広寺鐘銘事件」ですが、いまだに二次史料である『駿府記』から立論する方が多いのは少々困惑します。ここでまず抑えておくべきは、大工頭中井家関係史料と、金地院崇伝の『本光国師日記』です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
ドラマで描かれていたように、且元は方広寺大仏殿造営について、家康に逐一報告をしており、家康も「それでよし」としていました。鐘銘については、頼朝による大仏再建の記録を踏まえるという報告を受け、喜んでいます。
丸島和洋 @kazumaru_cf
この件は論点が多すぎるの絞りますが、雲行きが怪しくなったのは、大工中井家から家康に対し、奉納される棟札に「大工」である自分の名前がないという訴えがなされたことにありました。家康が「常識に反する」と不快に思っていたところ、鐘銘が「やたらと長い」と告げ口がはいったようです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
家康は大仏殿の鐘銘について、「後世に残るものである」「時の天下人が作ったものであると理解されていくだろう」「現在の天下人は家康なので、恥ずかしいものは作りたくない」「しかるに田舎者が書いたような悪文らしい」と、写の提出を命じます。したがって、「国家安康」は発端ではありません。
丸島和洋 @kazumaru_cf
その後提出された鐘銘の写をみて、「御諱」が刻まれている点を特に不快に感じたとあります。しかし、私が戦国史研究会8月例会で報告したように、西国の戦国大名書札礼を継承した豊臣政権下では、「実名」を書くことが尊敬の念を示すものでした。拙著『真田信繁の書状を読む』158頁も参照。
丸島和洋 @kazumaru_cf
そして幕府から詰問された文英清韓は、「国家安康と申しますのは、御名乗りの字を隠れ題にいれ、縁語(表現の面白みやあやをつける事) をとったものです」「君臣豊楽も、豊臣を隠れ題にいれました。こういう事例は過去にもございます」と「喜んで貰えると思って撰した」と素直に述べています。
丸島和洋 @kazumaru_cf
この「「国家安康」は喜んで貰えると思って書いた」という話は、戦前から論文発表されていたはずですが、なかなか研究者の間でも共有されません。思い込みというのを糺すのは、本当に難しい。したがいまして、ドラマ中で文英清韓がとうとうと述べていたのは、史料を踏まえたものなのです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
ですから、片桐且元が困惑するのも無理からぬ話です。それどころか、これ以降の急速な事態の展開には、金地院崇伝や板倉勝重、本多正信も戸惑っている気配があります。
丸島和洋 @kazumaru_cf
次に、片桐且元が「勝手に和解条件を考えた」というのも史実通りです。これにつきましては、曽根勇二『人物叢書 片桐且元』(吉川弘文館)をご参照ください。且元としては、敢えて幕府の姿勢を強硬なものと示すことで、豊臣を穏便な形で江戸幕府下の大名として存続させようとしたのでしょう。
丸島和洋 @kazumaru_cf
しかし且元の策は裏目に出て、豊臣の「本丸衆」(大野治長等)から「徳川に内通していると疑われ、暗殺の危険を感じます。その結果、且元は大坂城内の屋敷に籠もり、秀頼・淀殿の出仕命令を頑なに拒絶します。
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コメント

_ @ajirusiya 2016年10月9日
いやはや面白い!
義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2016年10月9日
片桐且元の処断の件、現代でも外国との交渉で大使を召還するのが国交断絶一歩手前という解釈なのと同じってことかな。
愚者@BOOTH通販開始 @fool_0 2016年10月10日
片桐且元は功罪共に大き過ぎて中々評価が難しい人ではあるんだよなあ。末期の豊臣家を仕切りつつまたそれを案じていたことだけは間違いないんだけど、その手段があまりに裏目へ出過ぎてて豊臣家の滅亡を早めたのも事実だしなあ……あと家康が豊臣家と徳川家の軟着陸を目指していたのもまた事実で(そうでないと秀吉の死後千姫を秀頼に嫁がせた理由が分からない)、にも関わらず事態が急変しやむを得ず豊臣討伐に出たという解釈も無い訳では無いんだよなあ……無論だからといって豊臣に思う所が無かった訳でもないんだろうけど。
長峯明子 @xshochanx 2016年10月10日
真田幸村という名前は存在しなかったんですね。子供の頃からずっと雪村の名で親しんでましたが。
長峯明子 @xshochanx 2016年10月10日
真田幸村という名前は存在しなかったんですね。
okoo @okoo20 2016年10月10日
一応、死ぬ間際に名乗ったんじゃね?って説はあるようだけど、まあ確証なんてないしね。 しかし、後世になんでこんな風な名前にして広めたんだろ? 幸村の名前の由来とかもあんまわからんし。
ゆべし(ゆべし) @yuxubeshi 2016年10月10日
幸村って、信繁の名を知らなかった講談師が捏造したもんではなかったかな。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年10月10日
今たまたま司馬遼太郎「城塞」を手元にあり、方広寺事件のところを読んでみましたが、天海、林道春、崇伝の「3怪人」が競って悪知恵を絞り、意図的に因縁をつけるという描写になっており、もちろんフィクションでしょうが、鮮やか演出をしてるものです。「…かつて戦場で武士たちが槍さきの功を競いあったように、この悪謀の技師たちは悪謀の功をきそっている。」
an_shida @an_shida 2016年10月10日
いつもの5割増し以上のツイートで非常に読み応えある上に質問にもたくさん答えてくださっていて、大変勉強になった。 #真田丸
空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2016年10月10日
「幸村という名前は存在しなかった」とまで言ってしまうのはどうかなあ。通称は名前ではないのか、とか、名前というものの定義が問題になるね。江戸時代までは実名(諱)はほとんど表に出なかったわけだから、世間的には「通称こそ名前」だったのでは。
腐ってもエビ @kusattemoevill 2016年10月10日
yoshiaki_idol 経緯が経緯なので自主的な大使召喚というよりは、外相あたりが謂れのないスパイ疑惑でポストを外された結果、対象国がそれをよく思わず関係が悪化するって感じですね。
BATSU @batsu_teleclub 2016年10月10日
真田宗家を次いだ兄・信之に迷惑をかけないよう、「真田信繫は死んだものと思って欲しい。私は真田幸村という別の者。」ということで名乗ったのかな、ということを真田丸を見ながら思っていました。
NAMA @dj_nama 2016年10月10日
放送見てて片桐且元の処遇一つで何でここまで大事になるんだと今ひとつ釈然としてなかったけど、この解説呼んで合点がいった
春の波止場 @hrkita 2016年10月10日
次回OPのクレジット表記が真田信繁のままか真田幸村に変わってるか注目です。
小川靖浩 @olfey0506 2016年10月10日
さらに言えば展開から豊臣家の重臣新世代が出てきたはいいが皮肉にも強硬派が多く、本来彼らをたしなめて論調を補正すべき年配の重臣が実質且元一人だけだった、ってのもあるんだろうな。だから「邪魔な且元を排除」と極端な方向に話が進んでいって結果双方の開戦を止められる人物がいなくなった、といった感じじゃないかねぇ。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2016年10月10日
画家のナイトハルトなど未だに誤表記のグリューネヴァルトのほうが使用例多い。
yanfanyanfant1258 @ArmorYanfanyan 2016年10月10日
ebcdic_ascii 真田左衛門佐信繁という人物が、「幸村」という名を自分で名乗った証拠(書状や史書など)が「現時点」では存在しないので、「今のところ」は研究者の立場から言えば「幸村という名前は存在しなかった」としか言えないわけです。「可能性」だけ言うなら、はもちろん可能性はありますが、それは(現時点では)「家康は実は影武者と入れ替わってた」のと同じくらいの可能性です。
ざわ @zawayoshi 2016年10月10日
今回の大河では「幸村」という名前を使わないままかなとも思ってたのですが、無理やり創作話をくっつけて「幸村」の名前を名乗るようにしたのは面白かったですな。しかもクジのネタを使って。
ろんどん @lawtomol 2016年10月10日
武将の名前については、丸島先生のtweetのこちらのまとめもとても勉強になりました。 「再発見される戦国武将の諱について」 http://togetter.com/li/272725
空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2016年10月10日
ArmorYanfanyan 私の理解が足りませんでした。ありがとうございます。
上野 良樹@規制解除 C95お疲れ様でした! @letssaga3 2016年10月10日
okoo20 江戸幕府は、近現代の史実を題材にした表現を規制していました。なので、名前を変えたり、あるいは表向きもっと古い時代という設定にして中身は江戸時代そのもの、といった創作物が当たり前に流通していました。ただ「幸村」はあまりにも浸透して、公的にも幸村と呼ばれるようになったようで、松代藩真田氏(信之の子孫)でも「当家では信繁と記録しているが、大坂で幸村と名乗った」と認識していたという。
川崎さとし @haya808 2016年10月10日
忠臣蔵もそうだったけど、そのまんま実名で反体制のお芝居はマズいというか捕まるので、違う名前でちょっと違う内容の芝居をしてた中で生まれた名前と考えるのがまあ妥当だろうねえ。ちょっと後の仙台伊達の殿様が、講談だか本だかに感化されて名前を変えたって話がまことしやかに語られるぐらいだし。
上野 良樹@規制解除 C95お疲れ様でした! @letssaga3 2016年10月10日
haya808 忠臣蔵は、表向き南北朝時代のお話という設定にしてあるので、たとえば吉良義央は足利氏の執事、高師直という事になってますね。
川崎さとし @haya808 2016年10月10日
ちなみに伊達綱基から綱村に改名。幸村に感化されて改名は眉唾だろうけど、部下に真田の血筋がいることを知らされて大興奮はしたらしい。
川崎さとし @haya808 2016年10月10日
letssaga3 今より昔の方が捕まるというか死に直結する可能性は高かったはず、けっこうスレスレな事やってますよねえ(笑)
ぉざせぃ @hijirhy 2016年10月10日
なかなかいいまとめ。 だがタイトルがイマイチ。
上野 良樹@規制解除 C95お疲れ様でした! @letssaga3 2016年10月10日
haya808  天保年間(1830-44)に「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して喰らふは 徳の川」という落首が流行ったという事ですが、これにしてもバレバレとは言え、一応「徳川」の名指しは避けている。そして落首を元にした絵が出回ったが、作者の歌川芳虎は手鎖50日の刑。200年以上経っても幕府の検閲はかくの如し。 http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/bunko10_08287/bunko10_08287.pdf
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年10月10日
haya808 haya808 letssaga3 一方で http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin93.htm なんてかなり露骨なのもセーフだったのだから、わけわかんないなあ・・・ https://twitter.com/aoidayu/status/712821836828905472 【「盛綱陣屋」では、〽一陽の春を待つ平の時政」という詞章で、北條時政=徳川家康を匂わすため、「松平の時政」と聞こえる様に語るという口伝がある】
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年10月10日
olfey0506 関係が悪化するとパイプ役は板ばさみになりやすいんですよね。相手の事情や思惑を一番知ってるので「こんな要求あっちが飲むわけないでしょう」「なんだとお前はどっちの味方なんだ」となってスパイ疑惑やら売国奴呼ばわりやら
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年10月11日
haya808 よほどあからさまな政権批判や煽動でもなければ「死に直結」はほぼないですよ。島流しでも大げさ。だいたいは営業停止処分、重くても江戸追放あたりでしょう。作家業などは江戸以外で食っていくのは難しいので、追放されるだけでもダメージ大きいですから
佐吉 @sakichi01 2016年10月11日
幕府を憚って講談師が違う名前にしたと思ってた。大石内蔵助は仮名手本忠臣蔵で「大星由良助」に名前を変えられてるよね。
ts-dra-4568@「いだてん」友の会会員 @4568Ts 2016年10月11日
「真田幸村」の名は寛文12年(1672)成立の万年頼方・二階堂行憲著の軍記物語『難波戦記』が初出とされる。この『難波戦記』が大ヒットしたために「真田幸村」の名が一気に広まり定着したようだ。これを受けて本家松代藩までが公式の系図で「幸村」の名を採用したので「幸村」は歴史上の名前になってしまった。
刑事長/理事長 @DekatyouNy 2016年10月11日
ebcdic_ascii 通称が幸村だった、という話もまた無い訳で… 個人的な意見としては、幕府あたりに睨まれないよう、「真田信繁と言う実在した人物の話ではありませんよ」ということにすべく幸村という名前をでっちあげたのでは無いかと…まかり間違うと信州松代藩が大変なことになるだけに…(ただ幸村の名前が名乗りとして説得力ありすぎて、当の松代藩も後に「大坂入城後に名乗った」と幕府問い合わせに答えてしまったという珍事も…)
空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2016年10月12日
もうやめて!わたしの体力はゼロよ!なんつって。ご教示ありがとうございます。
丸島和洋 @kazumaru_cf 2016年10月12日
ebcdic_ascii 当時の第三者から呼ばれた通称というのは、太郎といった仮名や官途・受領名のことで、「幸村」を通称と呼んでいること自体、ドラマ上の設定です。
空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2016年10月12日
ぐはぁっ *** あなたは灰になりました ***
HWS Mk-1 @HWShosii 2016年10月14日
面白いなぁ ”幸村”の名付け親が居たというので一つ話ができそうよね
亜山 雪 @ayamasets 2016年10月15日
ええまとめや。真田丸があったと言われる場所の近くに、昔住んでいたが、史跡などの説明文は全部「幸村」だった記憶。
真・鮫島事変@無断転載禁止 @6TKbJmCFIH1YutY 2016年10月16日
真面目に見てたのがアホらしい。この路線ならどうせラストは毎度おなじみ毛利勝永の戦功丸パクリやるんだろ?もうええわ
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2016年10月16日
真田の面白いのは信之の末裔が薩長陣営に入って信繁の末裔が奥羽越列藩同盟に入ること。
丸島和洋 @kazumaru_cf 2016年10月16日
一点訂正。上田市立博物館で展示されている信繁書状写(石合十蔵宛)は、写真パネルとのことです。
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