福嶋亮大『厄介な遺産』読書メモ集

福嶋亮大『厄介な遺産――日本近代文学と演劇的想像力』(青土社、2016)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

モダニズムは過去の因習や慣例を断ち切り、いわば生まれたての新しい眼(純粋視覚)を作ろうとする芸術運動である。by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-09 17:09:53
荒木優太 @arishima_takeo

『草枕』のモダニズムの源泉となったのは、未知のフロンティアに身を投じていくアメリカ的冒険者ではなく、分立する共同体を横に超える対話的社交性を備えたヨーロッパ的市民でもなく、「自然の景物」と美しい調和を保とうとする非人情の観客=写生文家であった。by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-09 17:13:08
荒木優太 @arishima_takeo

漱石を読むとき、私たちは戯曲作品としては成就しなかった演劇的想像力を、いわば「演劇の亡霊」をそれと知らずに受け取っているのではないか?by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-09 17:52:29
荒木優太 @arishima_takeo

「大岡昇平によれば、「思想家」とは徳富蘇峰のような近代のジャーナリストの誕生とともに生まれた在野の知識人を指しており、大学に属さない『こころ』の先生もこの系譜に属する(ちなみに、大学教師である『行人』の一郎は「学者」「見識家」と呼ばれている」(福嶋亮大『厄介な遺産』)。へぇー。

2016-10-09 20:20:30
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo じゃあ私も「思想家」になろっかな(冗談です)。

2016-10-09 20:22:01
荒木優太 @arishima_takeo

逍遥における「ポスト馬琴の演劇的想像力」は苦難の道を歩んだ。ただ、ここでさらにもう一歩踏み込んで言えば、実は逍遥に限らず、日本の文学史や思想史そのものが演劇的な身体性を逸し続けた歴史であったのではないかという問いを立てることもできる。by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-10 11:58:33
荒木優太 @arishima_takeo

裏返せば、演劇が衰退する時代とは、魂が高次の形式を与えられることなく、たんに散漫なまま-ー神とも歴史とも宇宙とも何とも関係しないままーー投げ出される時代である。実際、近年の日本の演劇は総じて、自ら率先して反演劇的な弛緩した日常と泥んでいる。by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-10 15:27:59
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo 例えば誰だろう? 岡田利規とか??

2016-10-10 15:28:20
荒木優太 @arishima_takeo

「彼はまったくの空想によって少女を描くのではなく、自分の旅した名張の風土の化身として美少女を造形し、しかもその存在を文学好きの妻によって承認させた」(福嶋亮大『厄介な遺産』)。戦艦や戦車が女の子になったりするよ、みたいなノリなんだろうか。

2016-10-10 15:53:01
荒木優太 @arishima_takeo

「前近代」と言っても、その内部には当然差異がある。演劇的想像力についても、私は「近世派」と「中世派」の区別を提案したい。谷崎や円地が近世の劇場文化の遺産によってクィアなセクシュアリティを象ったのに対して、鴎外や折口は中世的=宗教的な野外芸能を参照した。by福嶋亮大『厄介な遺産』

2016-10-10 16:20:16
荒木優太 @arishima_takeo

「例えば、『こころ』の私と先生は鎌倉の海水浴場で最初に出会う。だが、谷崎はこのホモエロティックな「演出」を台無しにするように、『痴人の愛』ではわざわざ『草枕』を引用しつつ譲治とナオミという「痴人」たちを由比ケ浜でデートさせるのであった」(福嶋亮大『厄介な遺産』)。鋭い。

2016-10-10 16:27:47
荒木優太 @arishima_takeo

福嶋亮大『厄介な遺産』読了。近代小説において抑圧され続けた演劇的想像力(演技・観察・演出)をキーワードに、漱石、大岡、川端、谷崎、逍遥、中上、花袋、鷗外、折口など、文学研究定番作家を、文学史を書き換える不安定なエージェントとして読み直す。刺激的で、面白かった。

2016-10-10 16:40:53
荒木優太 @arishima_takeo

あえて、イチャモンみたいなものをいえば、一見、劇(戯曲)と無縁な表現に「演劇的想像力」を読み込もうとする意欲は素晴らしいと思うものの、他方、その想像力なるものが割となんでもかんでも示せるのではないか、という疑いもないではない。逆に演劇的想像力じゃないものってなんなんですか?的な。

2016-10-10 16:45:43
荒木優太 @arishima_takeo

いや、勿論、脱演劇的になっていく『三四郎』以降の漱石文学とか、反演劇としての『細雪』論とかが指摘されてるので、分からんじゃないのだけど…でも読み方に拠るかな?って気もする。

2016-10-10 16:49:23
荒木優太 @arishima_takeo

そう…たとえば…日本文学史でいえば埴谷雄高『死霊』なんか、演劇的想像力と真反対なテクストな気もするが、どうだろう? それとも逍遥的「牢獄願望」に回収されるべき??

2016-10-10 16:51:36
荒木優太 @arishima_takeo

考えてみれば、演劇ってそれこそ、身体を用いた古くから続く芸術形式なわけで、しかもそれだけでなく、(福嶋も指摘してるように)アーレント的にいえば政治の基本形でもあったわけで、そもそもそれを脱却できると考える方が無謀なんじゃないか、とか思うよな。

2016-10-10 16:55:36
荒木優太 @arishima_takeo

その観点からみると『遺産』ってフツーの本だけど、そのフツーの観点を与えてくれたこと自体が大事だというべきなのかもしれない。

2016-10-10 16:56:35