大東亜戦争末期の食糧事情と継戦能力

【戦争指導の基本大綱】 ……今後国民の食生活は 強度に規制せられたる基準の糧穀と 生理的必要最小限度の塩分を 漸く摂取し得る程度のなるを覚悟せざるべからず…… (2016.11.30 CIAの地図の件更新) ちょっと続き→帝国昭和とコメ http://togetter.com/li/1036858
285

※フラグが過ぎるので最初に載っける

国策標語bot @KokusakuHyogo

わが國はいつの世にも瑞穂の國に變りはない 食料自給は我國の根幹をなしてゐる 南方に依存するやうな心の緩みが食料增産をさまたげては御先祖様に申譯ない twitpic.com/cdfxq6

2016-10-08 23:43:23
拡大
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

ところが昭和20年に至ると、マジで天候不良による凶作が末期戦に重なったらしい。そこへシーレーンの遮断による肥料不足、空襲や燃料不足による流通の停止(かろうじて満州や朝鮮半島から食糧を調達しても陸上輸送能力が不足し陸揚げ地で停滞)、徴兵による働き手不足…… twitter.com/YS_GPCR/status…

2016-10-12 12:00:52
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

太平洋戦争、意外と自然環境の影響を受けていたらしく、当時は太陽の黒点活動が活発だったことで地球の電離層が不安定になり、低緯度地方で戦う日米両軍の多用した短波通信に悪影響を及ぼしたという話がある。あと戦争末期に日本列島を連続して襲った巨大地震も、農業生産や軍用機生産にダメージを……

2016-10-12 12:21:12
リンク Wikipedia 鳥取地震 鳥取地震(とっとりじしん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。M 7.2(Mw 7.0)。震源が極めて浅く、気高郡湖山村(現・鳥取市)で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1,000名を超える死者を出した4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の一つである。 激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し

鳥取地震(とっとりじしん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。

リンク Wikipedia 昭和東南海地震 昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)は、1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで破壊が進行した(震源としては「熊野灘」)M7.9のプレート境界型巨大地震。単に「東南海地震」または「1944年東南海地震」と呼ばれることがある。また当初は遠州沖大地震と呼ばれていたが、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」に変更したとする説がある。 1945年前後にか

昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)は、1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20km (北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで破壊が進行した(震源としては「熊野灘」)M7.9のプレート境界型巨大地震。
当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が日本の国民や敵国アメリカに漏れることを恐れた軍部は情報を統制した。翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された。

リンク Wikipedia 三河地震 三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8(Mw 6.6)の直下型地震である。 また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである。 震源地は三河湾 北緯34度42分06秒 東経137度06分48秒、深さ11km。三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。 1ヶ月前の1944年12月7

三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8(Mw 6.6)の直下型地震である。
震源が浅く、マグニチュード 6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。しかし震源域の三河地域では、昭和東南海地震よりも多くの死者が記録されており、死者1,180人、行方不明者1,126人、負傷者3,866人。家屋の全壊は7,221戸、半壊1万6,555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4,311戸とされる。

有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

く昭和東南海地震で軍用機の生産拠点を潰されて、せっかくの新鋭機もロクに生産できず……なんてのはさすがに大日本帝国、運がなかったとしか言いようがない。

2016-10-12 12:26:54
シロタツ @SHIROTATSU3231

逆に戦争継続が困難となり早期決着に至った可能性も?もはや手遅れの段階だしね。ちなみに5月に亡くなった爺ちゃん曰くこの地震でせっかく合成した秋水用ヒドラジンが瓶から全部零れちゃったとか

2016-10-12 13:23:19
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

戦争末期の凶作、 ●天候不順肥料不足(シーレーン破壊による化学肥料の輸入途絶) ●耕作用の馬不足(軍馬として供出させられた) ●労働力不足(男手は徴兵され女子供病人で農耕せざるを得ず) ざっとこれだけの要因が思いつく

2016-10-12 12:51:45
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

最末期は内地の軍人も腹空かしてて、体力の消耗を防ぐためあまり動くな的な訓示が各基地で出ていた、という目を疑うような話をtogetterで読んだ記憶があるのだが…… twitter.com/nysalor/status…

2016-10-12 13:25:41
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

たぶんコレだわ>【艦これ】カロリー管理【史実】 / 坂崎ふれでぃ さんのイラスト nico.ms/im3855430 twitter.com/y_arim/status/…

2016-10-12 15:57:36
ないさろーる @nysalor

@y_arim 議事堂の庭まで芋畑にして食糧増産を図ってますね。機雷封鎖でシーレーンのみならず内航船の運航すら満足にできなくなっていたので・・・

2016-10-12 14:23:40
リンク Wikipedia 飢餓作戦 飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。日本の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日本の海運に影響を残した。 1945年(昭和20年)3月下旬、沖縄諸島への連合国軍侵攻が迫り、日本の東南アジア方面との南方航路は閉鎖に追い込まれた。これにより、日本に残されたシーレーンは、大連など

飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。
この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。
日本の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日本の海運に影響を残した。

ないさろーる @nysalor

昭和20年は記録的な凶作だったけども、その影響が出たのは戦後で、大戦末期の食糧事情の悪化は燃料事情と、南方航路が途絶したことによるはず。さらに戦争が続けば釜山との航路も途絶したので、凶作と合わせて数千万の餓死者が出たと思われる。本土決戦する前に腹減って死にます twitter.com/y_arim/status/…

2016-10-12 13:01:38
花咲正直(鬼退寺桃太郎) @hanasakimasanao

@y_arim 1945年の作況指数が67(208kg/10a)という観測史上最低でしたし

2016-10-12 13:05:56
土偶 @dogu_fm

深刻なのは塩の不足で国内の製塩工場は軒並みやられていた。家畜用と工業用の塩が足りず更に翌21年は人間用の塩が不足すると見られていた。即ち死。

2016-10-12 13:25:56
山崎 美鶴 @harima1330057

ですね。他に字面に出難いのですが 『塩の不足(供給不均衡)』も 昭和19年後半の信州では 「塩が貴重品になりつつあった」と 伺っています、体力低下や疾病率にも影響  @y_arim 昭和20年に至ると、マジで天候不良による凶作が末期戦に重なったらしい。 そこへシーレーンの遮断

2016-10-12 13:54:56
川獺まつり @matuli515

@y_arim 肥料と並んで塩の輸入が止まったのも致命的でしたような 20年の秋には家畜向けの配給が止まる予定でしたし

2016-10-12 13:14:05
山崎 美鶴 @harima1330057

左様です。 当時の経験者様に依ると 信州では塩の不足から体力低下 疾病率の上昇などが体感されていた と承っております。   @dogu_fm 深刻なのは塩の不足で国内の製塩工場は軒並みやられていた。 家畜用と工業用の塩が足りず 更に翌21年は人間用の塩が不足 @y_arim

2016-10-12 14:03:06
ないさろーる @nysalor

戦争指導の基本大綱によると「今後国民の食生活は(略)生理的必要最小限の塩分を漸く摂取し得る程度のなるを覚悟せざるべからず」=「生きるぎりっぎりの塩しかなくなるで」

2016-10-12 15:06:29
残りを読む(102)

コメント

小川靖浩 @olfey0506 2016年10月12日
…そう考えるとやはり「戦争を続けても自国も前線も飢えさせることのなかった」蕭何は第一の功と称えられて当然だよなぁ…
18
はらしとと @jonchama 2016年10月12日
昭和新山誕生時の大噴火の被害もそういえばあまり聞かんな。有珠山のときでも鉄道や産業に被害があったから同じくらいあっても不思議ではないんだけど。
6
牛乃介@C98エア参戦 @gyuunosuke 2016年10月12日
jonchama 昭和新山この間見学してきました。新聞には「天然のセメント。要塞建設に天祐」と書かれていたけど、実際は食糧は火山灰で全滅 近くを走る胆振線は噴火に合わせて不通になっては線路移設の繰り返しだったそうな
9
光三郎 @okomeyasan56 2016年10月12日
神風が吹くどころか自然からもフルボッコだったわけですか・・・
35
ペンギン海未ねこちゃん @Penginumineko 2016年10月12日
昭和19年は米が冷害で不作だったと聞いたような
0
有村悠%1/22砲雷撃戦・に-10 @y_arim 2016年10月12日
okomeyasan56 なお台風がフィリピン近海のアメリカ太平洋艦隊をフルボッコにした(3隻沈没9隻損傷790人死亡)もよう
9
ドゥンドゥン @hatti0214 2016年10月12日
独ソ戦初年度の早めの寒波到来を思い出した
0
清水代歩 @kaho_biz 2016年10月12日
その状態で昭和21年まで戦争を続けたとしても、数千万人の餓死者が出る前に革命が起こったんじゃないかとも思えるな。WW1の時のドイツみたいに。
16
エ レ キ た ん @空間絶縁 @ElekiTan 2016年10月12日
亡父(昭和1ケタ)の話では、空襲とか無かった播州北部では田畑は無事だったけど成人男子が徴兵されて労働力だけでなく下肥が減ってしまって万事休すだったと(19年夏頃、化成肥料はとっくに欠乏)。
3
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月12日
ちなみに陸軍もこうした事態を座視していた訳では無く実際海軍に生命線ともいうべき日本海航路の護衛強化を何度も打診しているのですが、海軍の庭ともいうべき日本海が狙われる訳が無いいう慢心じみた認識から無視した結果(実際は日本海に回す戦力が無かったからのようですが)、米潜水艦の跳梁跋扈を許し物資不足へ更に拍車を掛けることに……
7
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2016年10月12日
冷戦期のソ連もずっと食糧不足で西側から輸入して凌いでいたし、ナポレオンからバグダディまでアングロサクソンに喧嘩売る勢力って毎度食糧難に陥るんだよね。
4
ゆきかぜまる(24) @ykkzmr 2016年10月12日
ところで、この統計は本当に正確だったんですか?
1
Simon_Sin @Simon_Sin 2016年10月12日
ykkzmr 吉田茂が45年冬に「このままでは大量の餓死者が出る」とマッカーサーに食糧援助を要求したら大量に余ったのでマッカーサーが「どういうこっちゃねん」と吉田茂に難癖をつけたら「そらウチの統計が正しかったら戦争に負けてへんわ」と言い返したという逸話が残っている
32
ゆきかぜまる(24) @ykkzmr 2016年10月12日
Simon_Sin ええ、その逸話は存じています。なので、このまとめで言われるほど大変だったのか、あるいは、吉田茂とマ元帥の逸話が誇張されたものなのか……その辺が気になったのです。
3
水野修平 @mizunosyuhei 2016年10月12日
鈴木内閣の東郷外相と石黒内相は(旧制)七高以来の生涯の親友の間柄で、度々お互いの状況を連絡し合っていたらしいので、戦争指導や和平工作においても何らかの影響があった可能性はあると思います(可能性の指摘だけに留める)。
1
マシン語P @mashingoP 2016年10月12日
日本は総力戦では戦えないからこそ「対米戦争は戦場を限定して日露みたいに艦隊決戦で完勝する」前提で戦略を組み立てていた国が、総力戦でチート国家米国と当たればまあそうなるな…
2
八八@Der Alte würfelt nicht. @amagi88fleet 2016年10月12日
もしも本土決戦がおこなわれていたら連合国による輸送網の破壊がおこなわれていたハズで…考えただけでもおそろしい。
2
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月12日
amagi88fleet まあ昭和20年の時点で日本の輸送網は陸上海上問わずほぼ断絶状態で、そもそも輸送の為の燃料すら事欠く有様だったのですが。
4
川獺まつり @matuli515 2016年10月12日
kaho_biz まとめの中でも少し触れられていますが、まさにその革命への不安が『御聖断』の決定打になったという説がありますね
7
島の人Part2 @simasyodes 2016年10月12日
開戦前の総力戦研究所でも凶作で食糧が厳しいってシミュレーションがあったはず
1
一般社団法人柴犬デザイン推進協議会 @sbinnn21 2016年10月12日
昭和新山は、地盤の隆起で使えなくなった橋脚などが山の中に残っていますね
0
まつき @matukimatuki 2016年10月12日
「食糧も大丈夫也」http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=05_89732343/ まだ読んでいないけど....
0
亜山 雪 @ayamasets 2016年10月12日
なお日本が米の自給を達成したのは昭和42年である。
11
ポポイ @popoi 2016年10月12日
『これだけ読めば戦は勝てる』が全国民に行き渡るくらい有れば無問題だったんじゃないですかね?
0
Tamon @Tamon0703 2016年10月12日
内航海運がこれだけ壊滅していた状況下で、昭和17年に開通していた関門トンネルが、どれだけ戦中戦後の日本の国力維持に貢献したか、ということは想像できると思う。終戦時までには関門海峡は機雷だらけにされてしまったしね。
8
奥山犛牛 @bogyu 2016年10月12日
海軍は船舶の損耗を一年に60万~80万トンと見込んでいたらしいね。昔NHKでやってた。実際は開戦第一年こそ96万トンと予想に近かったが、第三年には392万トンと大幅に上回ってしまった。もっとも、数値の問題というより敵が艦隊決戦を避けてシーレーンの破壊を優先したことが誤算だったのだろう。
5
対馬守 @enanji 2016年10月12日
大阪だと8月には開拓団って名目で、口減らしの為に大阪市民を北海道の原野に追い出している。  それに臨時職員として関わったのが、後の民俗学者である宮本常一だったりする。
12
対馬守 @enanji 2016年10月12日
塩と言えば、ほたるの墓で海水浴のついでだったかに、海水を汲んで歩いて帰るシーンがあるが、祖母から似たような思い出を聞いたことがある。  ...あれ?お婆ちゃんの実家って海から片道20キロは離れてるよね?
2
SY1698 @SY1698 2016年10月12日
日塩五十年史では 戎克で大陸からの決死行だとか、柏原兵太郎文書には北海道炭を冬の日本海経由で運ぶの止めようよとか
1
はるやすみ @dandonban 2016年10月13日
Tamon0703 もっとも昭和20年に入ると度重なる空襲で鉄道輸送(貨物)そのものが崩壊状態だったとの話もあるね
1
匿名希・望 @Ntokunaki 2016年10月13日
というか、近代の農業生産もまた流通に依存するんだよね。 独立した事象じゃないんだ。
1
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月13日
ちなみに大戦中海軍がシーレーン維持に全く関心が無いことを自ら証明してしまい、戦後その反動で長らく海上自衛隊は船舶業界から怨恨と疑惑の目で見続けられ、その信用が回復するのに東日本大震災での活躍まで待たねばならないほどでした。
11
みま @mimarisu 2016年10月13日
兵器の統一規格すらできてない状態で統計だとか合理化なんかできるはずないもの 全部精神論で押し通した結果の大惨事でしかない
1
M.S+. @mdsch23 2016年10月13日
福井県:農産物増産督励員および農林水産物増産指導員を置いたけど農業の生産性を改善しようにも一番必要な人手が足りてないからどだい無理な話だったというような話をまとめてますね。 http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T6/T6-2-01-02-01-01.htm
1
M.S+. @mdsch23 2016年10月13日
清沢洌の日記、昭和20年5月に亡くなる前のあたりで餓死者がいつ出るか、またいつ負けるかと言った話題が出ていたような気がする。
0
空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2016年10月13日
映画「日本のいちばん長い日(1967年版)」でも、戦争を続行するか否かの閣議の席で石黒農相の「今年の秋は昭和6年以来の凶作が見込まれており、農民以外の者はほとんどが餓死に近い有様に…日本には、もう戦う余力なぞは…」というセリフがありましたね。それに対して阿南陸相が「かかる事態は、誰もが十分承知のはずである。この実情の下でも尚、戦い続けるのがこんにちの決心であると思う!」と強硬意見を述べるわけですが。
17
花咲正直(鬼退寺桃太郎) @hanasakimasanao 2016年10月13日
官僚文法がすごいね(´・ω・`)<「日本はまだ戦える(建前)けどいろいろ問題あるんすよ(言いたいことはこっち」
0
the loyaltouch @theloyaltouch 2016年10月13日
なお戦争に勝ったら奴隷を大量投入して国力を回復することが可能であります同士スターリン
0
サムさん@フォースの英国面(令和も据え置き) @samusamudou 2016年10月13日
地震の影響面は自分も考えていたけど大凶作もか…orz
0
牙王獣太 @k2train 2016年10月13日
農業政策は今確認しただけでも、常識はずれの政策に自然災害のダブルパンチですから、現在農業界の端くれに身を置く者としては暗澹たる気分になります。
1
BUFF @geishawaltz 2016年10月13日
ベトナムでも凶作と太平洋戦争の影響で餓死者が道端に転がっていたそうだけど、そういう事も起きてる。
1
竹光からま @takemitu37 2016年10月13日
海軍がシーレーン防衛に興味ないんだったら開戦直前のマル急計画で船団護衛用の海防艦30隻(それまでは4隻)建造なんてしませんよ。重視はしてなかったし失敗はしたけど、だからと言って「できなかった」と「やらなかった」の混同は大間違い。
6
万世六兵太 @roppeita_mansei 2016年10月13日
mdsch23 4月18日の日記には兵隊の食糧が足りなくて家や食堂でねだっているということが書かれていますね。
0
Simon_Sin @Simon_Sin 2016年10月13日
[c3138301] 日本国内だけじゃなくてベトナムとかタイなどの日本支配地域でも1945年には米潜水艦により海運が壊滅して餓死者が出てたりします。ベトナムなんか南部で取れた米を北部に運ぶ事すら出来なかったのです
1
AstLayer @Cyrfy_AstLayer 2016年10月13日
そもそも速攻による早期講和を狙って起こした戦争だから長引けばジリ貧になるのは当然としか言えないよね…
6
@_114_514_1 2016年10月13日
有村先生元気そうで良かった
0
あっと寿司 @atsushi015 2016年10月13日
軍事に振りすぎ問題。そうするしかないのは分かるが。
0
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic 2016年10月13日
偽りの神(=国家神道における天皇)を信じて戦争を起こしたら、アメリカにも自然にもフルボッコにされた、という文脈?
3
文里 @wenly_m 2016年10月13日
このまとめもコメント欄を別まとめにする必要が出てきたか。
0
他人 @Messiah_Justo 2016年10月13日
全人類の共有財産であるこの地球上のすべての柵(民族)と檻(国家)を取り払うことが飢餓問題の解決の第一歩。人と物の「移動の自由」を妨げる者こそ真の虐殺者。それゆえに国境を破壊する「侵略」を私は全面的に支持します。「立国は私なり。公に非ざるなり(福沢諭吉)」
1
島の人Part2 @simasyodes 2016年10月13日
ベルリン陥落直前にドイツ脱出した邦人が帰国したら、日本は戦局末期のドイツより配給がひどかって話が・・・
1
デュアルハート @haniwaras 2016年10月13日
ガンダムの塩の話は経験から来たものだったんだねぇ…
4
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月13日
まあシーレーン維持の為護衛に必要最低限な重油を菊水作戦のような投機的作戦(という言い方でさえまだ穏当な方で、実際は自暴自棄)に突っ込んでる時点で、海軍が最後までシーレーンに興味が無かったと言われても仕方ないでしょう。当人達はそうでないつもりでも、外野はそう見ざるをえない。ソースは失念しましたが、戦後日本船舶協会の会長がマスコミのインタビューで「海軍は全ての準備(シーレーン維持も含めて)ができているからこそ開戦したと思っていたら、それが全く見込み違いだった」というような回答をしています。
13
夏馬 @natsuma_e 2016年10月13日
戦争ってのは、根本は経済力生産力の殴り合いだなあと改めて思う。仮に軍事力が強大でも支える地盤が無ければ振るえない…
2
mmmmmtttt37 @mmmmmtttt37 2016年10月13日
ところで連合国の方も、アメリカからのレンドリースがなかったらイギリスやソ連ってどんなことになってたんだろうね?
1
Kawano Yuichiro @Y_Michiari 2016年10月14日
天も見放している…こりゃ酷いなぁ・・・。これは指導者に徳が無かったからだ。(易姓革命みたいな事を言ってみる。)
0
竹光からま @takemitu37 2016年10月14日
インパール作戦を実行した日本陸軍は兵站の概念以前に自分の食う飯の計算すらできない小学生以下の無能集団、と言ってるのと同じようなものでして、なんとなくそう思う、そう見えるからそうだった、とするのは実態把握において一番やっちゃいけない事ですよ。
4
Kawano Yuichiro @Y_Michiari 2016年10月14日
いや、実は飢えているからこそ、戦争を仕掛けて経済圏を広げていきたかったのかもしれませんね。ゲルマン大移動の原因の一つも、気候変動による不作ですから。
2
pintu_darurat @langsung_ke 2016年10月14日
米軍による農地への爆撃も忘れてはいけない。それらと比べれば影響は小さかっただろうけど。 https://twitter.com/y_arim/status/786051707625144320
0
pintu_darurat @langsung_ke 2016年10月14日
日本が降伏しなかったら、45年秋の本土上陸作戦の一環で農地に毒を撒く予定だったんだっけな
0
😊春咲䋝梨😊 @haruharukuru 2016年10月14日
こういう研究の表面をかすり取って「日本は戦前への道を歩んでる!」とヒステリー起こしてるのがY崎M弘先生ですかね
0
Kanorin_EX @ant_onion 2016年10月14日
そう、まさに天運にも見放されて詰んでいるとしか言えない状態に…。
0
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月14日
なんか当局のコメントが気に入らない人が居るみたいだけど、『全く関心が無い』という言い方が癇に障ったのであれば『極めて希薄だった』と言い換えても構いませんよ。まあ正直な所そう言い換えた所で「0%ではなく、1~2%程度は有ったかもしれない」程度の意味しか感じませんが。
6
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月14日
あと当局が海軍の海上輸送に対する関心の希薄さを指摘するのは何も大戦中のことだけが根拠ではなく、実際明治時代に陸軍が海軍に海上輸送を全て委ねようと提案した際当の海軍がこれを拒否している点も加味してます。別に陸軍側が無茶な要求をした訳では無く、また海軍が何故断ったかは未だに不明ですが、少なくとも陸軍が自前の輸送船舶を持たねばならなかった理由が海軍にあることだけは疑いようのない事実です。
7
hellcatcart@リンガ泊地 @hellcatcart 2016年10月14日
海上護衛戦の後半部大井さん壊れ始めてるほどだし
1
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月14日
あと実態把握に努めるのは構わないけど、それならば何故日本海軍のシーレーン維持に対する意識が異常なまでに希薄だったのか納得のいく説明がほしいところ。別に今の価値観で日本海軍を裁こうというつもりはなく、むしろ同時代の米海軍ですら日本のシーレーンの無防備ぶりに困惑していたくらいなので、それを納得させられるだけの理由が当時の海軍にあったのか純粋に疑問なので。陸軍と仲違いをしていたからとか、貧乏が悪いなどといった理由だけであの希薄さはちょっと説明が付きません。
6
M.S+. @mdsch23 2016年10月15日
roppeita_mansei 士官候補生が親御さんに差し入れをするようにねだっていたとかそういう話ですね。あの日記は偏見もありますが当時の声が反映されていて参考になります。
0
M.S+. @mdsch23 2016年10月15日
農村部で農業のやり方を知っている指導者級の人まで召集したから、残された者たちでは労働力も足りず、いつ何をすれば効果的か分かる人もおらずという状況で農業がまともに機能しなくなっていたとの話を読んだのですが、何に出ていたか思い出せない。
0
M.S+. @mdsch23 2016年10月15日
英国は戦後も配給統制経済を解除できませんでした。アントニー・ビーヴァーの「パリ解放」の本に出ていたと思います。
0
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
前提が違うんですよ、何故海軍はシーレーンを重視しなかったのか、ではなくそもそも戦前には守るべきシーレーンそのものが存在していなかったんです。 当時の日本の海外領域は大陸と台湾にしかなく、あとは太平洋上のたいした資産価値のない島ばかり。 これが40年の仏印進駐からその後の対連合戦を意識するに従い広大な範囲を考える必要性ができたわけで、仏印から考えても2年も準備期間が無いんです。
7
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
これで必要な装備や研究なんてそうそう出来はしません。米英だって43年を迎えるまではUボートに多大な被害を受けているのです。 予算も大いに影響しています。最初の海防艦も軍縮条約に入って何度も要求していますが結局条約脱退まで予算は認められず、それにしても古い駆逐艦の主砲の流用などで予算をおさえてのことです。 こんな状況で多くの護衛艦を用意しておくなど無理な話で、正式な護衛艦たる択捉型にしても43年に入ってから竣工で、何もないところから手探りでやっていくしかなかったのです。
6
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
なので戦争をにらんだマル急計画で一挙に30隻もの護衛艦というのは、むしろシーレーンに無関心どころか新たな課題に即座に対応しているとさえ言えます。 準備をするには時間が無く、戦訓が反映され活きるような戦況でもなかった。 細かい改良点は数多あれど、やらなかったのではなく、やってあの様だったのが日本の限界なのです。
6
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
なら一つ聞きますが、シーレーンを全く考えていない訳では無かったというのであれば、大戦期日本海軍が民間船を命がけで守ったという話が全く無いのは何故なんですかね? 海軍が勇ましく敵と戦ったという話はよく聞くけれど、身体を張って民間船を守った話は大和ミュージアムやてつのくじら館、海軍の聖地である江田島の教育参考館にもそんな話は全く無かったのですが。シーレーンを守る意思が乏しかったことまで国力が無い所為にするんですか?
5
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
陸軍がまるゆを建造したのも海軍があまりにシーレーンへ無頓着だったことがきっかけで、また水中なら潜水艦同士の戦闘は起きないという陸軍が陸軍なりに考えたシーレーン対策だった訳です。 それを「陸軍はこれだから」と馬鹿にしていた海軍自身、まるゆが作られて1年半以上経った後自分達も同じように潜水艇による輸送を始める体たらく。 大体陸軍の方が海軍よりシーレーン維持を真剣に考えていたという時点で海軍失格でしょう。
4
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
それと陸軍は第1次大戦時欧州に武官を派遣し無制限通商破壊がどういったものであるかを研究していたりします。 勿論海軍も同様に派遣しているのですが、主に兵器や戦術といった点へ目が奪われていたせいか肝心のシーレーンにはあまり興味を示しませんでした。陸軍が大佐級それも参謀の人員を派遣していたのに対し、海軍は大尉~少佐クラスへ留まっていた点からも、真剣の度合いが違った事を伺わせます。
4
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
ちなみに陸軍がシーレーンの研究を行っていたのは偶然の産物で、元々輸送全般に関する研究を行っていてその一環でシーレーンに関する事項が含まれていたからです。しかしきっかけはどうであれ、少なくとも海軍よりはよほどシーレーンを真剣に考え、その対策を実行していたと言ってもいいかと。しかし同時に、そこまで分かってたのなら何で最初から輸送という点だけから見ても破綻が確定だったインパール作戦なんかやったんだよと、思わず愚痴りたくなるのも確かなのですが……
4
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
輸送船団についた護衛艦は襲来した敵と戦っていますが、それが命がけでないのなら何なんだということになるのですが。身体を張って他艦を守るなんて戦史全体で見てもレアケースです。それでシーレーン防衛の意思の有無を言うなら、それこそ米英のPQ17船団のように、敵戦艦が船団攻撃に出撃した(これは誤報だった)と受けて駆逐艦や後方にいた巡洋艦や戦艦は撤退させ、船団には目的地へ向かえと命令した米英両海軍もシーレーン防衛の意思が無かった事になります。なおこの船団は護衛が撤退したのち33隻中22隻が撃沈されました。
5
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
http://togetter.com/li/627940 こちらのまとめにもある通り海軍が何も考えていなかった訳では無かったといえばその通りでしょう。だけど同時にそれが海軍の名誉を守ることとには全くならない点も全くもってその通りですが。
3
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
ちなみに fool_0 を補足すると、日本海軍がシーレーンのためにどんなことを行っていたのかという展示も一切ありません。意図的に展示をやっていないのではなく資料が無い、或いはそういう事例が皆無だからです。敗戦後の混乱で資料が全部失われたからだと主張するのはちょっと無理があるでしょう。
2
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
展示が無いのはただそこで展示する必要が無いだけですよ。そもそもそういった見世物は目立つものがいくつかあるだけでそういった全体のあらゆることの展示はしませんしできません。海軍の陸戦部隊や空挺部隊、海軍戦車などいくらでもあります。シーレーンに関することはやっています、だから海上護衛隊が作られたし、大井篤が海上護衛戦で中央に文句も言っているのです。海軍が何もしなかったのなら大井篤は海軍にいた1将校で無名のまま終わっています。
7
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
護衛艦の大規模建造計画に、護衛専門部隊の設立、航空機による対潜哨戒や直接護衛、本来水上戦を行う艦隊型駆逐艦による護衛、小型空母を船団護衛に回したりと機材面だけでも色々としています。 有名な戦例では、駆逐艦神風が米潜水艦ホークビルとの戦闘において輸送船は敵襲来の脅威が低い陸地沿いを行動させ神風は沖に出て哨戒、そして会敵という船団を守るための命のやり取りは起きています。
5
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
まあ海軍が無策でなかった否かは個人的にあまり意味のない議論にしか思えませんけどね。それは実際の結果に何の言い訳にもならないですし、違う見方をすれば「考えていてその結果かよ」という評価が下されても当然かと。 大体貧乏だから全て仕方がないとうのであれば、海軍から予算分捕られまくっていた陸軍なんかはもっと同情されるべき存在になるのだけど、現実はそうなってないですし、実際陸軍にも責められるべき点が多々あるからそれは当然の評価です。なのに海軍だけ仕方が無かったという論法が通じるのは凄く不思議ですね。
0
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
日本陸海軍の予算はほぼ同等少し陸軍の方が多いくらいで別に不公平でもないです。海軍だけがしかたなかったなんて一言も言ってないし、海上護衛についてなのだから陸軍の事を言わないのは当たり前のことです。日本陸海軍の兵站に関する問題はそのままお互いの分野に置き換えるだけで殆どそのまま適用される部分があります。だから数個前のコメントであの様になったのが海軍の限界、では無く日本の限界だと言ったのです。
8
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
そりゃ人件費を全く無視すればそうなるでしょうが、人員的に海軍の数倍ある陸軍で当然ながらその維持費も数倍掛かる以上実質的に海軍の方が優遇されてます。必然的に新兵器の開発や装備更新に使える資金は海軍よりずっと少ない訳で、海軍の方が兵器単価が高いことを考慮しても不平が出て当然でしょう。海軍もそれが分かっていたからこそ、安易に対米戦を「できません」と答えることができなかった。答えてしまえばそれまで優遇されていた予算が無くなる事を意味してましたから。
1
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
予算配分の内訳はその部署の都合であってその他の責任ではないです。戦艦に金をかけるのは海軍の勝手なら歩兵に金をかけるのも陸軍の勝手です。それと海軍は平沼内閣時代の39年8月の5相会議の席上で日独伊と英米の間で戦争が起きたらどうなるかと問われ、米内光正海相が「勝てる見込みはありません。日本の海軍は米英を相手に戦争ができるように建造されておりません」と言っています。
6
竹光からま @takemitu37 2016年10月15日
なんかスレ違いのやり取りが長く続いてしまっているので、ここらで終わりにします。長々と失礼しました。
0
他人 @Messiah_Justo 2016年10月15日
誰も起きないはずだと思っていたことが起きたなんて素敵だね。まさに神の意志。
0
愚者@7/12勇者部満開13:No.20 @fool_0 2016年10月15日
こちらもスレ違いな話を長々と続けてしまい、失礼しました。
0
もまつて @fursultiamine 2016年10月16日
昭和天皇が戦後行幸で日本中回って、自ら田んぼに突撃してはコメの育ちチェックしては、農民の手を取って「ようやってくれた!」って労っては次の地方みたいなプロレス巡業かライブツアーみたいな事やってたのも、戦中は食糧事情が本当に悲惨極まりなかったからなんやろなぁ。
7
PlatoonLeader @442ndCombatTeam 2016年10月16日
戦略爆撃に関していうと、文献によって評価がまちまちなんだけど・・・こうしてみるとインフラに対する攻撃が戦争遂行に与える影響というのが大きい気がするね。
1
PlatoonLeader @442ndCombatTeam 2016年10月16日
島国に対する無制限潜水艦作戦って効果絶大なのね・・・海外領土の多い大英帝国はともかく、日本に対してもこれだけ効いてる。
3
PlatoonLeader @442ndCombatTeam 2016年10月16日
戦前、日本は物資の多くを輸入に頼っていながら、その輸入に必要な海域のほとんどを英国・米国が支配していて、シーレーン防衛をする必要性がなかった。 戦中、その海域を奪い取ったはいいが、敵対国の攻勢にシーレーンを維持できず痛い目見た。 そして現在、輸入に必要な海域のほとんどを米国が支配(軍事・政治的介入)していて、戦前と同じくシーレーン防衛をする必要がない点が共通している。そんな中、その米国が力を失いつつあるという現状が恐ろしい。
1
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年10月16日
442ndCombatTeam 高速道路なんてない上に幹線道路でも未舗装のとこがけっこうあったりで、国内物流も鉄道と船が頼り。沿岸でも潜水艦に沈められるとなったら外から入ってこないだけでなく中での物資輸送にも深刻な影響があったはずです
0
山田つちのこ @yuribouz 2016年10月17日
米軍は日本上陸作戦に先駆けて、穀倉地帯に枯葉剤撒く作戦を検討していたとか。戦争が長引いていたらさらにヤバい事に・・・・
0
IheY @kujira090 2016年10月18日
トンデモ話の類だけども、フランス革命の発端はなまぐさ黒穂病(Fishy smell smut)がに大発生して麦の供給量が極端に減ったのが発端だった、という説を何かで読んだ記憶があります。 (麦作面積の増加もあって、近年は国内でも発生例が増加してるようです)
2
IheY @kujira090 2016年10月18日
低温や冷夏だけではなく病害や害虫の大量発生がたまたま十数年無かっただけで、平成5年のような冷夏による米不作のような事象は、いつ起きてもおかしくはないんです。 現実、日本の食料基地の一つである北海道に台風が3つも上陸し、まだ詳細はわからないものの、かなり被害の被害が出ているようですし。
1
赤木智弘@真実の赤(白) @T_akagi 2016年11月21日
当時でも、物資はあるところは余りながら、ないところにはまったくなかったのでしょう。今の日本経済と同じ。金余りと貧困による需要不足が同時に起こる。戦時から今に至るまで、誰も分配政策なんてろくに考えていない。
1
鮎麻呂 @aymro 2016年11月21日
戦火が交えられなくとも準戦時体制が敷かれたら現代日本は自死同然だな。カロリーと精神の抑制に堪えられる人は多くない。
0
蒼眼鏡👓 @yt93c 2016年11月21日
艦隊これくしょんの人の3倍飯くってますと言わんばかりのナイスボディの「戦艦さん」達を見たら敗戦間際の腹をすかせた日本の兵隊さんはどう思うやろ(笑)
1
name @unagi_anago 2016年11月21日
まぁ、大戦末期は瀬戸内海とかの沿岸航路も漁船も銃撃されてたからなぁ
0
八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro 2016年12月4日
これ、多分今でも同じ。同じ規模の災害でも、先進国では死者百人、発展途上国では死者千人なんてざらにある。
0