続報!「破斯清道」は正倉院文書「土師浄道」と同一人物か!?ペルシャ人では無かった日本の下級官吏はじのきよみちの17年後の昇進について
【前回のまとめ】 「破斯清道」は本当にペルシャ人なのか?「はじ」(土師)とも読めることに気付いた…【平城宮式部省木簡】 togetter.com/li/1037244
2016-10-17 16:19:09前回の続きです。
はじめての方は、前回をご参照ください。
前回、この文字が「はじ」(土師)と読めることを指摘し、状況証拠から集めていきましたが、
フォロワーさんから、より興味深い情報が寄せられました。
今回、赤外線写真で確認された平城宮式部省木簡の「破斯清道」(はじのきよみち)は、正倉院文書に出てくる「土師浄道」(はじのきよみち)の17年後の姿の可能性が高まってきました。その正体はペルシャ人では無かったようですが、普通の下級官吏のその後の人生が分かる大事な「発見」になりますね。
2016-10-17 12:28:49「破斯」が、「波斯」(ペルシャ)に見える表記なのは確かですし、木簡の人名表記には「孔子」(子牛)や「孔王部」(あなほべ)の例があります。「土師」(はじ)を万葉仮名で「破斯」(はじ)と書くと、まるで異国の「波斯」っぽくてオシャレだということもあったかもしれないです。
2016-10-17 15:09:03それと、「ペルシャ人?」の最初の発表が無ければ、関心を持つことは無かったですし、中国史と東西交流を研究している私としては、実に刺激的でわくわくする「地下の正倉院展」とその報道でした。たまたま、国内の普通の役人の名前だと考えるようになりましたが、こんな感じで議論が深まればと思います
2016-10-17 16:07:08↓リンク先で読める論文は、
直木孝次郎「土師(はじ)氏の研究」(『人文研究』、1960年)
@s_hskz dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_c… に 【土師浄道】の件。〈破斯清道〉と酷似した名前。
2016-10-16 07:32:32今月ニュースになったペルシア人役人かと目される人物名の記された木簡の件。「破斯清通(破斯清道)」「天平神護元年(765年)」が木簡に記されていて、これが(続く
2016-10-16 09:47:04@s_hskz 『大日本古文書』に見える、「春宮舎人土師浄道」ではないかと推理中です。 例えば、「千部法華経料納物帳」(『正倉院文書』)の撰述日天平20年(西暦748年)正月11日に
2016-10-16 10:04:00@s_hskz 「千部法花経料納物帳」 天平廿年正月十一日 正月十日自内裏給出紙肆仟貳伯張 [千部法花経料 使春宮舎人出師浄道] 便充能登忍人 検納阿刀酒主 とあったりします。
2016-10-16 10:05:05同一人物!?
※同じ名前の別人の可能性が無いとは言えませんが、
昇進にかかる年月などを考えると、
同一人物だと考えても不自然ではないようです。
春宮舎人(とうぐうとねり):
「舎人監の職員。定員は六百人。東宮に従事する雑用実務官。」
http://kitabatake.world.coocan.jp/kanitop3.html
「官位相当表」のサイトから引用させていただきました。
http://kitabatake.world.coocan.jp/
(そのサイトのトップページはこちら)
天平20年(748年)正月10日に、
春宮舎人(とうぐうとねり)の土師浄道(はじのきよみち)が、
内裏(だいり)より賜(たま)う「紙」4200張を、
千部法花経料(費用)として届けています。
@s_hskz さきほどの資料中の能登忍人なる人物は写経を担当する貧乏下級役人らしい。 d.hatena.ne.jp/fish_t/mobile?…
2016-10-16 11:24:37@s_hskz 同じく、阿刀酒主は、写経関係の官吏。天平勝宝年間に造寺司主典、東大寺政所主典と出世している。 土師浄道の天平神護年間での地位や暮らしはどうだったのだろうか。
2016-10-16 11:30:38@s_hskz 748年の春宮舎人土師浄道が、17年後の765年には大学寮の員外大属(いんがいだいさかん)に出世していたということですね。
2016-10-17 12:30:29下級官吏「はじのきよみち」の仕事人生
.@fushunia ご教示をありがとうございます。 すると彼は出世していたものと考えられるのですね! 宿直の意味にも、ビックリしました。
2016-10-17 15:02:36平安時代の菅原道真との同族関係は?