戦車殺し小話~混迷極める戦間期の赤軍対戦車銃~

赤軍の対戦車銃といえばPTRDとPTRS。でもその前は一体どうなってたの? というお話
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

戦間期の赤軍対戦車銃はイマイチよくわからんのですが、どうも軽歩兵砲的口径から小さくなって行って、そして小さくなり過ぎ、揺り戻して最終的に14.5mmに落ち着いた……てな流れでいいのかしら

2016-10-20 22:00:11
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

まず1931年、クルチェフスキーが37mm「無反動対戦車銃」を開発する。大威力版と小威力版の二種類を試作。前者は重量32kgで、0.6kg弾頭を初速530m/sで撃ち出し500mで20mmの装甲貫徹力と。「銃」とは言うけど事実上プトー砲の無反動砲版みたいな感じの要目ですわね pic.twitter.com/TEfQQTBIFL

2016-10-20 22:06:11
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

「小威力版」の方は28kg。0.5kg弾頭を475m/sで、400mにて20mm貫徹。文字通りちょっとだけ小威力。そして驚くべきことに、クルチェフスキーの無反動砲は(一方? 両方?)1933年2月に一旦は赤軍制式となったようで。無反動砲の採用例としてはかなり早い部類なのでは

2016-10-20 22:10:36
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

ただし成形炸薬弾のない頃の無反動砲の未来なんてものは当然明るくない。クルチェフスキーの37mm無反動砲は少数生産されるも、後方爆風が厄介・大重量のため機動性に欠ける・戦車の進歩に対して装甲貫徹力が追いついていないとの理由から、制式を外されてしまうのでした

2016-10-20 22:14:19
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

しかしクルチェフスキーの無反動砲がなくなると、赤軍歩兵は下のレベルで使える軽便な対戦車防御手段を欠くことになる。これはやっぱりマズいという事で、1936年には口径20~25mm、重量35kg未満の対戦車銃の競作が発せられる、と

2016-10-20 22:19:06
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

そうして出来上がったうちの一つが、ブリュムとヴラジーミロフの「20mm 中隊対戦車銃INZ-10」。よく見れば情報に弾倉がある事からもわかるように自動砲で、本体重量は47.2kgに増大。でも車輪付(推定合計70~80kg)なので重機関銃並程度の機動力は確保されるはずだった pic.twitter.com/awiRSNL1E6

2016-10-20 22:25:25
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SUDO @sudo_simoigusa

@FHSWman 本邦とかの20mm級対戦車ライフルは当然ソ連もやってたということなんですね

2016-10-20 22:29:01
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

@sudo_simoigusa 彼らとしてはもうちょっと小回り効くやつが欲しかった感じですね。火点潰し能力を少しくらい犠牲にしてでも戦車殺しに振りたかったみたいな

2016-10-20 22:30:50
SUDO @sudo_simoigusa

@FHSWman ソ連軍は歩兵にあんまし難しい事要求したがらないから多用途装備でどれを撃つか悩ませるより、戦車撃てな武器のほうが良かったのかな

2016-10-20 22:33:36
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

しかしこの頃から、対戦車銃はより小口径・軽量・機動性大であるべきなのではないかという議論が起きたらしく、20~25mm競作は白紙になっちゃいます。次の候補としては「12.7mm超大威力弾」(たぶん108mmより長いんでしょう)が予定されるも、これは結局作られない

2016-10-20 22:28:44
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

1938年頃の赤軍対戦車銃開発事情は混迷を極める。更に小口径高初速に振った7.62x122mmとか7.62x155mmなんて狂気の弾薬が検討されたかと思えば、WW1ドイツのT-Gew M1918を12.7x108mm弾仕様にしたショロホフ対戦車銃なんて「今更?」なものが出てきたり pic.twitter.com/MLfPNZSQkv

2016-10-20 22:33:54
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

12.7x108mm弾仕様の対戦車銃は新弾薬制定までの繋ぎ的に考えられてたらしく、ショロホフ以外にもブリュムなんかも試作してたようです。設計者が同じだけあって、先の20mm INZ-10対戦車銃とレイアウトやマズルブレーキなんかに共通点が見られますわね pic.twitter.com/rTKZAWxPKN

2016-10-20 22:39:15
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

っと、ブリュムの12.7mm対戦車銃は銃身長2030mmと1610mmの2バリエーションがあったらしく。前者は初速1018、後者は747m/sというから、既存の12.7x108mm弾とはちょっと違った感じ。超大威力12.7mm弾薬も実際作られたのかしら?

2016-10-20 22:43:00
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

そうして色んな意味で赤軍が大混乱してる1938年、颯爽と現れたのが、あの14.5x114mm弾薬という訳なのでした。これをもとに翌年にはルカビシュニコフやヴラジーミロフが14.5mm対戦車銃を試作。前者は制式を勝ち取るも、結局40年夏までに31挺が生産されたのみ pic.twitter.com/CXsh5nZV9a

2016-10-20 22:46:12
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

ルカビシュニコフの対戦車銃が少数生産に留まったのは、抽筒不良とか埃に弱いとかの欠点のほかに、諜報戦によってもたらされた敵戦車に関する誤報により「14.5mmでは威力不足」との認識が生まれたという面もあるようです。そのせいで一旦は採用取り消しの憂き目に遭う

2016-10-20 22:48:16
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

そんな状況下で運命の1941年6月22日。もはや「最適」を模索している状況ではなくなったので、目下のところ一番大威力だったルカビシュニコフの14.5mm対戦車銃に日が当たるも、構造が複雑すぎて量産に不適。代案として、極めて短期間でPTRDやPTRSが開発され、採用に至る、と

2016-10-20 22:56:10
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

PTRDやPTRSの開発は「突撃的テンポ」で進められ、両者の試作銃は僅か22日で完成したとされます。PTRDの方も当初は弾倉がついてて反動利用の自動銃だったようですが、作動不良が多いというので簡略化し単発に。PTRSも最初はだいぶ様子が違う pic.twitter.com/o92YOTFyPT

2016-10-20 23:00:30
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えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

おっと、一つ忘れてました。独ソ開戦直後の混乱期から41年夏にかけて、実は赤軍は独軍PzB39対戦車銃のフルコピーさえ検討してました。これはあと一歩で現実になる所でしたが、その前にPTRDやPTRSが物になったので結局お蔵入りになります。赤軍対戦車銃事情の混乱をよく表したエピソード

2016-10-20 23:03:45
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

赤軍の兵器開発ペースを表すのに、「突撃的テンポ」って言葉がたまに(公文書中でさえ!)使われるんですが、個人的にこれが大好き。「短期間で」とか「迅速」とか「突撃的」。突撃的ですよ!!

2016-10-20 23:17:07
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

ちなみにブリュム/ヴラジーミロフのINZ-10対戦車銃は20x99R弾を使います。そう、航空機関砲の弾です。砲口エネルギー的には3.3tf·mで、14.5x114の3.2tf·mに僅かに勝るほどなんですが、大口径故に弾頭断面積が大きくて圧力が逃げるんで、貫徹力では不利なんですね

2016-10-20 23:29:41
えすだぶ@C103日曜東3"サ"-58a @FHSWman

14.5x114ってのは、大戦期の中戦車以下殺しという目的には本当に絶妙な口径選択であったように思います。彼らは敵戦車について明確に把握していた訳では全くなかったので、こうなったのは恐らく偶然なのですが、丁度重すぎず弱すぎずに収まった

2016-10-20 23:32:12