2016年10月22日

ミュンヒハウゼンのトリレンマと後期クイーン的問題

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@quantumspin

「『ニッポン樫鳥の謎』と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1028741

2016-09-25 11:22:45
@quantumspin

アルバートは『批判的理性論考』のなかで、〝ミュンヒハウゼンのトリレンマ〟ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F…を提起している。古典的基礎付け主義においては、ある命題は、真なる命題から演繹されるから真なのであり、この真なる命題もまた、別の命題に基礎づけられなければならない。

2016-10-01 13:19:12
@quantumspin

この状況が繰り返されれば、やがて次の何れかの状況にいたるのである。①無限後退、②循環論法、③恣意的停止。アルバートによれば、ある命題を基礎づけようとする者は、確実に真である命題に帰着させ目的を達成しようとするが、これは基礎づけの原理を前提するかぎり、恣意的な作業中断と区別できない

2016-10-01 13:38:00
@quantumspin

アルバートはさらに、命題に確実性を付与するこうした無謬主義は、潜在的独断論であると批判し、可謬主義の立場を選ぶ。我々は永久に真理に辿り着けない。しかし批判的検討を繰り返す事で、徐々に真理に漸近する事はできる。可謬主義の立場では、対立する複数理論の同時競合、理論的多元論を許容する。

2016-10-01 14:57:23
@quantumspin

一方アーペルは、『ミュンヒハウゼンのトリレンマ』が知識の基礎づけの原理を形式論理学的に基礎づけ不可能と結論する論法を批判する。可謬主義に基づく批判は、言語ゲームという枠組みを前提している。個々の批判の妥当性は、言語ゲームの参加者達によって共有されている明証性によってのみ確認される

2016-10-01 15:58:17
@quantumspin

これは、討議を通じて相互主観的妥当性を与えられた明証性である。即ち、可謬主義に基づく批判もまた、明証性に基礎づけられる筈である。可謬主義は、真理性追及、論証的履行といった討議倫理を暗黙に前提しながら、まるで前提しないかのような議論を展開し、あらゆる例外を認めない批判を標榜するのだ

2016-10-01 16:15:47
@quantumspin

討議の場に『あらゆる命題は誤りでありうる』という主張をする為には『討議は現実に存在する』や『私はあなたを討議の相手と認定する』という、真なる命題を前提する。故にアルバートの主張は遂行的矛盾を犯している。アーペルによれば、基礎づけの原理はこうした遂行的矛盾によって逆説的に示される。

2016-10-01 16:32:00
@quantumspin

さて、ミュンヒハウゼンのトリレンマを巡って繰り広げられた一連の論争を、後期クイーン的問題の文脈にあてはめ解釈してみるとどうなるだろうか。アルバートは古典的基礎づけ主義を③恣意的停止と批判し、①無限後退の立場を選ぶ。これは法月の言う〝メタレベルの無限界階梯化〟に対応すると言える。

2016-10-22 08:00:44
@quantumspin

確かに法月の〝メタレベルの無限階梯化〟は、『メタ犯人による証拠の偽造を容認するなら、メタ犯人を指名するメタ証拠を偽造するメタ・メタ犯人が事件の背後に存在する可能性をも否定できなくなる。これは「作中作」のテクニックと同様、いくらでも拡張しうる』ものであり、トリレンマ①とよく似ている

2016-10-22 08:12:20
@quantumspin

しかし、〝メタレベルの無限階梯化〟がメタ犯人の存在を問題にしている限り、これが命題の無現後退と一致する事はないように思われる。既にtogetter.com/li/856545でも言及しているが、犯人候補は膨大であっても有限であり、無限の存在を仮定できる命題とは異なるのではないか

2016-10-22 08:24:11
@quantumspin

法月が〝メタレベルの無限階梯化〟を論じる際、恐らく問題にすべきだったのは、メタ犯人、メタ・メタ犯人についてではなく、メタ手掛り、メタ・メタ手掛りについてではないだろうか。手掛りの真偽(手掛りが自然発生的か人工創出的か)についての判断は、命題の真偽と同様、無限に後退しうるからである

2016-10-22 08:33:53
@quantumspin

手掛かりが自然発生的であることを根拠づけるには、別の自然発生的手掛りを必要とする。同様に、手掛りが人工創出的であることを根拠づけるにも、別の〝自然発生的〟手掛りを必要とする。いずれの場合も、根拠づけに用いた自然発生的手掛かりは、別の自然発生的手掛かりに根拠づけられなければならない

2016-10-22 09:29:13
@quantumspin

手掛りの無限後退はこのようにして起こるのであり、ミュンヒハウゼンのトリレンマ的状況とよく対応している。ある手掛りが自然発生的である事の根拠づけは、手持ちの自然発生的手掛りの中だけでは行えないし、別の自然発生的手掛りを使って根拠づけを行ったとしても、その手掛り自身の根拠が求められる

2016-10-22 09:47:05
@quantumspin

では、対するアーペルの主張の後期クイーン的文脈における解釈はどのようなものになるだろうか。アーペルの反論は、アルバートの『あらゆる命題は誤りでありうる』という主張に向けられている。ならば、後期クイーン的文脈においてその主張は、『あらゆる手掛りは人工創出的でありうる』と解釈される。

2016-10-22 09:59:44
@quantumspin

この時、アーペルの行った批判は、〝討議の場に『あらゆる手掛りは人工創出的でありうる』という主張をする為には『討議は現実に存在する』や『私はあなたを討議の相手と認定する』という、自然発生的手掛りを前提する。故にこの主張は遂行的矛盾を犯している〟という主張と解釈されるように思われる。

2016-10-22 10:36:41
@quantumspin

しかし『あらゆる手掛りは人工創出的でありうる』という手掛りを基礎づける討議倫理は人工創出的であるから、これに基礎づけられた主張を自然発生的と見なす事は出来ないのではないだろうか。即ち、『あらゆる手掛りは人工創出的でありうる』という手掛り自身は、確かに人工創出的たりえていると思う。

2016-10-22 10:49:19
@quantumspin

このように見ると、形式論理の論議論と後期クイーン的問題のそれとの違いが鮮明になるように思う。前者が命題の真偽を問題にしているのに対し、後者は手掛りが自然発生的か人工創出的かを問題にしている。両者はよく近似しており、その為比喩表現が妥当する場合もあるが、根底では異なる面もあると思う

2016-10-22 11:03:25
@quantumspin

「謎解きLive2.4と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1064986

2016-12-30 17:30:20

コメント

@quantumspin 2016年12月30日
まとめを更新しました。
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