小説に関するさまざま

@boweddaylightさんが「大学教授のように小説を読む方法」を読まれてtweetする内容に@wtnbtさんが応答しており、西洋と日本の小説のことを中心にお話しされていました。
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@boweddaylight

ある種の小説は、物語る様に見せかけて全てを拡散してしまい、それに付き合う間まるで二重の迷路を同時に四次元的に歩かされている様な気分になる。メルヴィルがそうだし、フォークナーがそうだし、そしてピンチョンがまさにそうだ。大量に語るが、何かに向かうというより、何かから全速で逃げてる様だ

2011-02-17 01:19:58
@boweddaylight

そうやって逃げる事を通じて、語り得ぬものの輪郭が影絵のように無意識に刻印される。例えばそれはサヴァルタンの沈黙かもしれないし、存在しない歴史の影かもしれない。ただ、大抵それらは幻想的というよりは麻薬的で、読むことによっていささか精神が侵食される。否応なく。

2011-02-17 01:24:56
@boweddaylight

小説の読解には正解はない。ただし、誤読はあるのだよね。シェイクスピアには枕草子の影響がある!と言っちゃうと、誤読なわけだ。ここまでは当たり前の話。小説の良いところは、誤読をしても良いってところにある。むしろそれは推奨さえされる。なぜなら、思わぬ読みの可能性を拓くかもしれないから。

2011-02-17 08:53:05
@boweddaylight

フォスターの大学教授のうんたらかんたらを読んでると、日本人の小説てのは、西洋のそれとは違うよなあ、と感じる。西洋の小説は結局聖書かシェイクスピアかギリシャ神話の順列組み合わせみたいなもんで、いつでも聖典との合わせ読みみたいな作業になる。謎解き的であり陰謀論的でもあり、神経症的。

2011-02-17 08:59:52
@boweddaylight

日本には参照すべき聖典て基本ないよね。だから、リファレンスは常に自分になる。セカイ系的な発想が日本でかくも受けたのは、参照先がはじめて見えやすく提示されたからだろうし、村上春樹が日本を代表するのは、彼が参照先を近過去のノスタルジーに設定するのが抜群に上手いからだ。

2011-02-17 09:02:33
@boweddaylight

まあ、例外はいくらでもいるわけだけど。

2011-02-17 09:02:50
渡邊利道 @wtnbt

@boweddaylight 一応日本の場合は漢籍を背景にして平安朝文学と近世俳諧、上代の神話、中世の語り物から近世の歌舞伎への流れ、というのが主な「聖典」ではあるかと。紅葉漱石の小説にはあきらかに源氏への目配せがありますし、谷崎は勿論古井由吉や中上健次もその流れに入るかと。

2011-02-17 12:06:44
渡邊利道 @wtnbt

@boweddaylight 日本で西洋の聖書にあたるのは民間信仰的なものですね。山椒大夫とか俊徳丸とか。ああいうのはずっと芝居でやってるので思われているよりはずっとポピュラーですよ。たとえば本なんて一冊も読まないうちの親父とかでも知ってる。

2011-02-17 12:29:16
@boweddaylight

@wtnbt おー、すげえ、確かにそうですね!ただ、参照先があまりにも高踏かなと思うんです。源氏への目配せを理解できるのは、ごく一部の文化人だったと思うんです。西洋の場合、参照先は聖書ならば、多分無意識でさえ反応できる。大雨が降ったらノア、みたいな。その違いのためか、

2011-02-17 12:19:39
@boweddaylight

まるで、日本の小説と西洋の小説は、同じ形式をとってるように見えながら、微妙に実質は違うように思えるんです。西洋の場合リチャードソンからブコウスキーまで、確かに大抵小説なんですが、日本の小説は時に説話的だったり時に漢文的だったり、ジャンル枠組みが西洋のように自明では無い感じがします

2011-02-17 12:23:37
渡邊利道 @wtnbt

@boweddaylight ああ、成程。たしかに西洋以外の小説は大抵語りが不透明ですよね。もっとも西洋の小説でも18世紀と20世紀は不透明なものが多いんじゃないかと思いますが。19世紀の西洋小説が一種特殊なのかとか思うんですが。

2011-02-17 12:34:14
@boweddaylight

@wtnbt あー、そうか。そうですね。日本の説話や神話てのが、どれくらい受容されてるのかてのは、わからんところがあったんですが、どこかで耳にしますね。

2011-02-17 12:36:58
@boweddaylight

@wtnbt 18世紀は黎明期の混乱、20世紀は19世紀の反証みたいに考えられませんか。それにしても、18世紀はスウィフトがいてスターンがいて、20世紀はユルスナールやエーコみたいなのがいる。全体的な傾向は断片化だとしても、Iへの信仰は強くかんじます。

2011-02-17 12:44:56
@boweddaylight

とは言え、19世紀が特殊てのは確かではある。

2011-02-17 12:47:33
渡邊利道 @wtnbt

@boweddaylight 西洋的なもの、というのはたしかにありますね。ただ、小説はどうしても「語り」が形式的に問題にされるのが普通で、19世紀の透明な叙述空間というのは、たぶんあの時期だけに可能だった奇跡みたいなものじゃないかなあと思います。

2011-02-17 12:51:18
@boweddaylight

@wtnbt ちょうど渡邊さんと今話してたことを、授業で雑談で使ってきました(笑)ところで、西洋小説で語りの意識が強いのは、ある面、信仰告白ないしは告解や懺悔の伝統からも裏付けられるんじゃないかなと思ったこともあります。強い自我意識を強制されるわけですよね、あれって。

2011-02-17 14:49:21
@boweddaylight

キリスト教圏以外の文化には、告解の秘跡に相当するような、概念的で超越的なコミュニケーション形式って、あまり見ないよな。

2011-02-17 14:53:52
@boweddaylight

電車の中で白いラインを耳から垂らしてないひとを見つける方が難しい、って状況は、ある意味極めて異常だよな。キリスト以来の布教っぷりと断言できるとか出来ないとか。

2011-02-17 15:06:29
@boweddaylight

その意味で、ジョブズの葬式で、one more thingで黒いタートルネックの新ジョブズ登場てのは、悪い冗談とは言い切れない含意がある。明らかにジーザスの再臨を思わせるからだ。

2011-02-17 15:09:17
渡邊利道 @wtnbt

@boweddaylight 告白の伝統と近代小説ってのはすごく大きいでしょうね。日本の近代文学でもキリスト教とマルクス主義が決定的な意味をもっていたし、20世紀での精神分析が与えた影響は明らかにキリストの告解が背景にありますね。あと「作者author」の観念も。

2011-02-17 15:56:09
@boweddaylight

佐々木中の九夏前夜を本屋でチェックしてみたが、まあ予想通りの単なる賢い人のマスかきだった。文学を理解してる人が必ずしも文学がかけるわけではないと言うよくあるパターンだが、返す刀は果たしてではそれは文学をわかったことになっていたのかと言う疑問を招く類。

2011-02-18 15:40:58
@boweddaylight

さっきの続き。結局のところ小説てのはレトリックで、レトリックということは説得のことで、内容は多分二の次だと思う。説得行為を通じて、アイロニーやサタイアが生まれて、そのインターアクションの丁々発止が文学を面白くする。賢いやつが小説を書くと、「俺はこんなにすごい思想を持ってる」

2011-02-18 16:19:16
@boweddaylight

ていう形になりがちで、それはもう最初の数行で威圧感と共にわかるんだけど、それはやはりこけおどしに過ぎなくて、すぐに平野啓一郎を思い出してしまった。「日蝕」もやはりこんな印象。ただ、平野啓一郎はさすがにそれを24歳でやったが、佐々木中は30も後半でやると、賢いというより厨二病。

2011-02-18 16:20:40
@boweddaylight

思想小説なんてのは、政治小説やプロパガンダ小説と同じで、最後は「俺がエラい」か「これはスゴい」か「総統は(書記官は)偉大だ」の変奏で、だから真理値が問題になる学問をやってる人間は小説なんて書いちゃだめだ。人類の偉大な発展に貢献すべきだと感じる。

2011-02-18 16:22:36
@boweddaylight

小説や文学の偉大さは、結局のところ「事後的」に出るもので、ハックフィンも響きと怒りも、偉大さを最初から目指して書かれたわけではないてのは、忘れちゃいけないところ。

2011-02-18 16:23:20