ミュンヘンのユダヤ人礼拝所 ミュンヘンの市庁舎に近い広場に、ベージュ色の石造りの建物がある。2007年に建設されたオヘル・ヤコブ・シナゴーグ(ユダヤ人の礼拝所)である。 高さ28メートルの堂々とした建物は、エルサレムの嘆きの壁を思い起こさせる。
2016-10-23 16:29:56先日ミュンヘンのユダヤ人団体の招きで内部に初めて入った。 まず隣接したユダヤ人会館の金属探知機をくぐりぬけ、手荷物をX線装置に通さなくてはならない。 この会館から地下のトンネルを通って、シナゴーグへ行く。
2016-10-23 16:30:10地下のトンネルの壁には、ミュンヘンからアウシュビッツ強制収容所などに送られて殺害されたユダヤ人の内、約4500人の名前が刻まれている。 屋根にはガラスが多用されており、日光が差し込む。この屋根は、故郷を追われて放浪を繰り返したユダヤ人たちが荒野に立てたテントを象徴している。
2016-10-23 16:30:27オヘル・ヤコブ・シナゴーグとは、ナチスが1938年に破壊したミュンヘン市内のユダヤ人礼拝所の名前である。現在の建物の地下には、破壊されたシナゴーグの建物の一部が保存されている。
2016-10-23 16:30:42シナゴーグの建設には、5700万ユーロ(74億円・1ユーロ=130円換算)の費用がかかったが、バイエルン州政府、ミュンヘン市、ユダヤ人団体などが負担した。
2016-10-23 16:30:53ミュンヘンの一等地にこれほど大きなシナゴーグを建設したことには、ユダヤ人のコミュニティーはドイツ社会の一部であるという州政府や市当局のメッセージがこめられている。
2016-10-23 16:31:052003年11月には、この場所で当時連邦大統領だったヨハネス・ラウ氏を迎えて起工式が行われ、礎石が置かれた。当時ネオナチ組織が起工式で爆弾テロを計画していたが、仲間割れしたメンバーが警察に通報したため、犯行は未然に防がれた。
2016-10-23 16:31:17このシナゴーグの建設は、バイエルン州ユダヤ人評議会のシャルロッテ・クノープロッホ会長の長年の夢だった。クノープロッホさんは、「消滅したと思っていたユダヤ人の生活が、ミュンヘンの中心によみがえりました」と述べた。
2016-10-23 16:31:29彼女は、「反ユダヤ主義の理由の一つは、人々が我々について知らないことです。私は、ユダヤ人会館を誰に対しても開かれた場所にして、ドイツ人とユダヤ人の交流を促進したいのです」と語る。シナゴーグの建設は、過去を忘れまいとするドイツ人の努力の現われでもある。 pic.twitter.com/I4avjZgYPa
2016-10-23 16:32:10ミュンヘンのシナゴーグの外観。ナチスに破壊されたシナゴーグは、21世紀になってミュンヘンの中心部に蘇った。町のど真ん中に立つシナゴーグは、未来への警鐘でもある。 pic.twitter.com/QFNA6oIFCf
2016-10-23 22:32:44シナゴーグの地下の壁には、ミュンヘンから強制収容所へ送られて殺された、ユダヤ人たちの名前が記されている。ナチス・ドイツの犯罪を風化させまいとする試みだ。 pic.twitter.com/Jir4vvMnvB
2016-10-23 19:41:46ドイツでは、フォルクスワーゲンやBMW、ドイツ銀行など多くの大手企業が、資料室を歴史学者に公開し、これらの会社が戦前、戦中にナチスに協力していた事実を書籍として世間に公表している。
2016-10-24 00:24:12大手企業の間では、そうした態度を取り「過去との対決」を行うことが、株主や市民から高く評価されるという考え方が常識となっている。 興味深いことに、ドイツ連邦政府の外務省、内務省、連邦刑事局、連邦情報局などの官庁も、歴史学者に戦争中のナチスとの協力の歴史を研究させ、公表している。
2016-10-24 00:24:23最近では法務省が歴史学者に資料を分析させた結果を、公表した。2人の歴史学者の研究によると、1973年までに法務省に勤務した官僚のうち、半分以上が元ナチス党員だった。つまり戦後の法務省は、戦時中の態勢を色濃く残していたのだ。
2016-10-24 00:24:31検察官や裁判官の中には、戦時中に反体制派を絞首台に送ったナチス信奉者も混ざっていた。だが戦後西ドイツの法務省は、そうした検察官や裁判官たちを厳しく訴追せず、むしろ穏便に処置することが多かった。1960年代、1970年代には西ドイツも過去との対決に消極的だったのだ。 pic.twitter.com/OG3UR7x5De
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