ナウシカも引き返した手塚治虫の向こう側

54
uroak_miku @Uroak_Miku

うーんキャラ/キャラクターの二分類法では近似的な分析にしかならないと思う。可逆的/不可逆的と分類したほうが初期手塚まんがの突出したものをすっきり説明できる。 twitter.com/kumomajin/stat…

2016-11-06 01:37:56
平山軽 @kumomajin

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』で画期的だったのは、それまでは混同して捉えられていた、前キャラクター態=「(比較的)簡単な線画で描かれる「身体のようなもの」の図像」と、キャラクター=「人物の身体の表象」をはっきり区別して考えた点です。

2016-10-27 23:28:25
uroak_miku @Uroak_Miku

うさぎが手術で人間(と同じ知性と歩行能力をもった生物)になってしまうこと自体、もううさぎに戻ることはないという不可逆性の現れですよね。つまり耳男はこの時からもう悲劇的存在なのです。楽園を永久に追放された者の悲劇。幼年期の終わり。 twitter.com/KaoruKumi/stat…

2016-11-06 01:45:39
uroak_miku @Uroak_Miku

伊藤剛の「キャラ/キャラクター」分類法には違和感。むしろ「不可逆的なものにキャラクターが変わる」というべきではないか?耳男の死はキャラ→キャラクターへの置き換えではなく可逆(猫のトムが輪切りにされても次のカットで元に戻っている等)の不可逆(死ぬ)への逆転劇。 pic.twitter.com/4Kyox0xwjj

2016-11-02 10:15:03
uroak_miku @Uroak_Miku

破滅に向かっていく日本。そのなかで十代をすごした手塚。空襲下にも描き続けたという習作のなかにも死の匂いが濃くなっていく。これは後に当時の自分をフィクションも混ぜて振り返った作品。@KaoruKumi pic.twitter.com/iLjdJhmgSC

2016-11-06 01:51:27
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

宝塚歌劇団の女子学生とさ迷った地獄。この女の子は手塚の妄想ですけどね。@KaoruKumi pic.twitter.com/FbKHflJn9j

2016-11-06 01:55:28
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

この頃に手塚が描いた習作から。 pic.twitter.com/wI9btRgGpT

2016-11-06 02:00:35
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

死ぬんですよキャラクターが。これはもう伊藤のいうキャラ/キャラクター論では説明しきれない。私が提唱する可逆/不可逆モデルでないと。血を流して死ぬとはすなわち不可逆な存在であることです。 pic.twitter.com/EAW2L7fEjM

2016-11-06 02:02:38
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

手塚まんががどうして敗戦後の日本の少年少女を虜にしたのかというと、この不可逆性にあります。宮崎駿は後に「ヒューマニズムではなくペシミズム」と喝破した。楽園追放、幼年期の終わり、子どもはいつかおとなにならなければいけないという怖れ、痛み。

2016-11-06 02:05:59
uroak_miku @Uroak_Miku

映画のナウシカで結末をどうするかで宮崎は苦悶。「手塚ならきっとナウシカの亡骸を王蟲たちが持ち帰って、残された人間たちが自分たちの愚かさにうなだれるという展開にするだろうな、俺はやらないぞ真似なんかしないぞ」と意地を張ってひねり出したのがこれ。 pic.twitter.com/BSWQJ4ixer

2016-11-06 02:10:21
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

当時の宮崎の脳裏に反面教師としてあったのは、たぶんこれ。フウムーンという超人類の最後のひとりロココ(♀)を、人類がロケットで宇宙に永久追放するのを、彼女と淡い恋仲となった少年が泣き叫んで止めようとする。 pic.twitter.com/nOmT34kJBS

2016-11-06 02:18:33
拡大
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

こういう見方もできる。手塚は不可逆を選び、宮崎は可逆を選んだ。ロココは永久に宇宙をさまよい、ナウシカはすべての傷を癒され、初めから負傷していなかったかのように元の体で村人たちのもとに戻ってくる。手塚が乗り越えた一線を乗り越えられなかった。それゆえに万人に支持される映画となった。

2016-11-06 02:25:45
uroak_miku @Uroak_Miku

『テヅカ・イズ・デッド』のキャラクター論ではこの程度の分析もできないのです。

2016-11-06 02:27:04

その後読み返してみた。

uroak_miku @Uroak_Miku

『テヅカ・イズ・デッド』再読。『地底国の怪人』でモダンが始まって『ぼのぼの』でポストモダンに入った…無理やりはめ込んでない?手塚が戦争末期に描きためていた習作を分析すればわかる。キャラ→キャラクターではなく可逆→不可逆にキャラクターが変容するのが手塚の天才だった。幼年期の終わり。

2016-11-07 03:06:56