弥生・古墳時代の倭国の集落でも使用された「弩」は、何故似た環境の「中世の武士」には引き継がれなかったのか?

出雲市姫原西遺跡から出土した弥生時代の「弩」が復元され、古墳の壁画にも「弩」が見つかった。鎌倉武士たちに「クロスボウの威力を怖れて使用を禁止」した事実は存在せず、では何故、日本では弩が廃れたのか?
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

天理参考館で展示されている中国戦国時代の「」の発射装置 (写真右上) ※撮影可ということで、ありがたく写真を撮らせていただきました。 pic.twitter.com/KJTahLzPWe

2016-11-06 11:19:29
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

數月,食盡窮困,乃煮鎧弩,食其筋革 『後漢書』 弩って喰えるのか?

2014-05-06 15:43:49

それは西洋史の発想では?

巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本の中世に「弩」が発達せず廃れたのは、「その威力を怖れた武士たちが使用を禁止したから」と書いた新書を見つけてしまったのですが、それって西洋史の発想じゃないですか…?ちょっと(日本史では)聞いたことが無い説明でした。

2016-10-07 21:54:01
呉清 @kure_kiyoshi

武士たちにとって弩はだめで鉄砲はOKな理由はなんだろう?鎌倉室町と戦国期では武士の意識に差があるから?鎌倉武士の時代は一騎打ちを旨としていたから距離をとって正確な狙撃に使える弩を卑怯な兵器だと認識していたとか? twitter.com/fushunia/statu…

2016-10-07 22:10:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

律令時代に存在したその後廃れたのは、専門的に扱う技術を持っていた古代日本の正規兵が機能しなくなり幼い頃から弓を習っている私的な兵(つわもの)の武士の家が台頭したからのようです。鎌倉時代の戦いがイメージ通りの礼儀正しいものだったかどうかは疑問視する意見も以前からあるようです twitter.com/kure_kiyoshi/s…

2016-10-07 22:24:04
呉清 @kure_kiyoshi

@fushunia 丁寧なご説明ありがとうございます。弩の消滅は官軍の衰退と軌を一にしているってことですかね。あと最近ネット界隈で見かける鎌倉武士のイメージは、それこそ禽獣かなにかかみたいな感じだったりしますね。

2016-10-07 23:00:00
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

弩は、歩兵主体で陣形を組むことが前提の律令軍団あってこそだしね。とくに対蝦夷戦では役に立たない。ちなみに律令軍団末期に鉄炮があっても武士は使わなかった(使えなかった)と思うですよ。 twitter.com/fushunia/statu…

2016-10-07 22:31:10

弥生時代と古墳時代の弩

巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生時代の遺跡から弩が出土したり、古墳時代の石室の壁画を持つ騎乗兵士の絵が描かれたりしてるので、(私たちの時代につながらない別の時空の中世の)武士的な人たちも使っていてもおかしくはないのですが、天武天皇の詔に官以外が弩を持つことを禁止する命令があることなど、関係してるかもです twitter.com/saemonhiguchi/…

2016-10-07 22:38:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

画像(グーグル画像検索より) yamataikokutosyokan.web.fc2.com/image/do4.jpg 弥生時代の出雲市姫原西遺跡出土の「弩」 yamataikokutosyokan.web.fc2.com/heya0/kantyou6… 画像引用元「館長だより 第67号」「弩」について (1)「弩」形木製品

2016-11-06 11:30:23
巫俊(ふしゅん) @fushunia

画像(グーグル画像検索より) pds.exblog.jp/pds/1/201302/2… 古墳時代 騎射武人図 lunabura.exblog.jp/i167/ 画像引用元「ブログひもろぎ逍遥」 ブログには、もう1枚、別の壁画有り。 福岡県中間市の歴史民俗資料館で見られるそうです。

2016-11-06 11:35:11

弩は中国南部に由来する?

巫俊(ふしゅん) @fushunia

通説では「弩」は、高温多湿に弱く、そのために日本では普及しなかったとされることもあるのですが(朝鮮半島などでは雨で弩の膠が解けた歴史記事があるそうです)、中国南方の~蛮と呼ばれた諸族は、弩を使用していた記述が『後漢書』にあったので、気になっています。

2016-10-08 23:40:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 中国の弩の起源については、一説に南方の人たちが使用していた狩猟用の弓(弦を固定しておくタイプ)に由来するという説もあるようです。この辺ははっきりした出土物がある訳ではないですが。

2016-10-08 23:42:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 日本に伝わった弩は、北周りで伝来したので、長雨に弱い、ということはあるかもしれないです。どのくらい雨に弱いのかはよく分からなかったです。どちらにせよ、弩が廃れた理由の一部分に過ぎないと想像しています。

2016-10-08 23:44:14
巫俊(ふしゅん) @fushunia

一番関心があるのは、弩の起源なんですが、茶などが現在の中国南部の地方に由来する青銅器/鉄器時代に中国語圏が南方に拡大していく)であるように、弩も先住民族が使用していたものに由来するらしいです。

2016-11-06 10:06:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

巴蛮の「白竹の弩」とかの故事があるようです。NHKでも、小鳥を弩で狩る中国の少数民族の映像を見ましたが、南は湿気ムンムンのはずなので、湿気で壊れるへの対策は可能日本でも使用可能)ということなんでしょうか。その辺、気になっています。

2016-11-06 10:07:05
shs_kz @s_hskz

@fushunia 弩…私は重装歩兵のイメージを感じてしまうアホタレですが馬と何か関係がありますでしょうか…… たとえば高句麗は弩が嫌いとか。

2016-10-08 23:56:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz 騎馬の突撃を、伏せておいた弩兵で撃退した例はたしかにありますね。後漢末袁紹の部下がやりました。

2016-10-09 22:39:23

「弩」の引き金装置

名無し整備兵 @seibihei

@fushunia 引金装置のような金属部分の加工が、日本では難しかったのかもしれません。

2016-10-08 23:54:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@seibihei お聞きすると、確かにそんな気がしてきました。ありがとうございます。

2016-10-09 22:41:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

平安時代日本と同時代の北宋時代の中国では、金属製品の値段とか流通していた量にかなりの違いがあるようです。

2016-11-06 10:19:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本の将棋と、中国の象棋(どちらもインドチャトランガ由来し、西洋のチェスと起源が同じ)はそれぞれこの時代に、駒の形や種類、基本的なルールが定着したものですが、木片の先を尖らせて漢字を書く日本の駒とは違い、北宋時代の庶民の墓から出土した象棋の駒は、「青銅」で出てきて円形でした。

2016-11-06 10:25:18
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コメント

the loyaltouch @theloyaltouch 2016年11月6日
律令時代の武具と鎌倉以降の武具の著しい断絶が気になる。東国の武士はなんであんなにオリジナリティ出しちゃったの?
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月6日
馬での移動が基本だった武士の場合、矢をつがえた状態の弩は運搬に不便じゃないか?それに二の矢を番えるときは馬から降りるの?
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naruto,tousen @narutousen 2016年11月6日
私は単純なので、古代中国や中世ヨーロッパにあって中世日本にない都市国家、城壁に囲まれた独立した都市が無いと製作や使用のハードルが高かったんではと思います。律令制日本の弩は複数人で操作する器械ですし、野戦では弩より長弓の方が有利なのでそれを必要とし管理維持運用する母体が無いと存置するメリットがないのではないかと思います。それに軍団兵士の個人装備は弓・太刀・小刀がデフォなのでよほど弩を必要とする目標がないと弓で充分と思うかも?
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月6日
878年に蝦夷が秋田城を襲撃したとき、城内にあった弩29具、手弩100具が蝦夷に奪われるか、焼かれて焼失したとありまして、古代日本律令時代の「弩」には、大型の弩と、小型の一人で操作する「手弩」があったようでした。(『日本三代実録』) http://yamataikokutosyokan.web.fc2.com/heya0/kantyou68.htm narutousen
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月6日
中国では移動手段については「南船北馬」といわれるように、中国南方から弩が来たというのならまあわからんでもない。wikiにある外国の馬弓手や馬車弓手の画像を見ても、剣などほかの武装を持っていないように見える。日本の武士はまず弓で射掛け合って、乱戦になればそのまま同じ人間が刀でやりあうから、弩のような強制的に片手がふさがるものを持ちたがらないだろう。馬上なら少なくとも片手で手綱を持つ必要はあるのだから。
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naruto,tousen @narutousen 2016年11月6日
fushunia その弩・手弩は戦闘に使われたんですか? 使われたならあまり役に立ってないように思えるし、使われてなかったら帳簿上は武器だけど倉庫で眠っていた可能性が。私が蝦夷なら手弩は奪うけど持ち運びに不便な弩は焼くかな。拠点防衛にしか使えなさそうですし。
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2016年11月6日
ヘリ空母+VTOL機便利なのになんでロシアやタイでは廃れたの?というようなものか。
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とっち.opanpon @totty2nd 2016年11月6日
律令時代の弩の製作技術は半ば国家機密レベルの扱いだったとか。
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大蔵春 @ookuranoharu 2016年11月6日
律令制規模の大規模運用でないと金属製品を用いるのは馬鹿らしいでしょうね。
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今日が終わりの始まりの日 @__blind_side 2016年11月6日
広階一族に関するくだりを読んだ時、中世のテクノクラートという言葉が頭の中に浮かびました。
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2016年11月6日
( ×H×)y-~~性能的に日本での使用に和弓より適さなかったのかも。
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ろんどん @lawtomol 2016年11月6日
こちらのまとめが大変勉強になりました。 「弓と弩の話から始まって」 http://togetter.com/li/493234
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アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年11月6日
「律令時代に専門的な正規兵」ってのに「え?」って感じがするんですが詳しい人プリーズ
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月6日
「(弩を)専門的に扱う技術を持っていた古代日本の正規兵」のツイートについてですが、『漢語大詞典』によると、漢語では「正兵」(意味:正規部隊)と呼ぶとありました。正兵の対義語は土兵とのことです。 albireo_B
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おか @hgsoka 2016年11月6日
中央集権の崩壊と共に技術が廃れたとは聞くが色んな要因が
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おか @hgsoka 2016年11月6日
中央集権の崩壊と共に技術が廃れたとは聞くが色んな要因
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アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年11月6日
fushunia ありがとうございます。考えてみると「軍」ではなく「兵」としてなら専門職もありそうですね
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アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年11月6日
弩って武器としては複雑な方だからたぶん支給品で、武士たちは装備は自前で揃えるのが基本なので組織的な武器調達があまり行われなくなったことも理由かもしれませんね。コストがかかるうえに他の兵科のサポートがないと有効性を発揮しにくいから個人で持とうとするような武器ではなさそうだし
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月6日
『続・中世ヨーロッパの武術』P211に、15世紀後半のドイツ「騎馬弩兵」の図版があり、騎馬弩兵は剣を腰に差していたようです。当時の戦闘教本には、左手に持つ弩で相手の槍を受け流すとあるそうで、右手で剣を抜いて相手に対処するのでしょうか。馬の手綱は左の腕にかけておくようです。 C_Kozakura
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月6日
馬上でクロスボウを手から外すときは、腰から下げた「雨よけケース」にクロスボウを入れるとありました。 C_Kozakura
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月6日
弓を引くのに馬を下りない前提ということだと弩ではなくて手弩になりますね。馬上で手弩を引くよりも、普通の弓のほうが強く引けるのであれば、手弩を使わない理由にはなるでしょう。
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こぎつね @KogituneJPN 2016年11月7日
弩の凄いところはその辺の農民に持たせるだけで戦力化できる点。熟練すれば弓の方が優位な上に、高価なので廃れた。
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こぎつね @KogituneJPN 2016年11月7日
弩が復活する前に上位互換の鉄砲が輸入されてきたのでそのまま消えていった感じ。投石機が発達する前に大砲が入ってきたのと似てる
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有村悠%1/22砲雷撃戦・に-10 @y_arim 2016年11月7日
律令制の崩壊とともに失われた古代以来の"伝統"少なくなさそう?
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歩き目です @arukime01 2016年11月7日
外した後のリカバリー考えると、弩は為す術持たないからなぁ。 その頃はいわゆる武田の「3人ローテーション戦法」も無かったろうしね。(真偽はさておき)
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文里 @wenly_m 2016年11月7日
弩って火縄銃よりも連発きかない一発勝負の武器で(続く
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文里 @wenly_m 2016年11月7日
wenly_m 承前)他の方も書いたように大規模大量運用じゃないと意味がない武器だった。中華世界の城壁上から、攻め寄せる敵を退けるとかにはかなり有効だったろうけど。日本の合戦の場面で弩ならもっと楽に勝てたものとかを全然思いつかないので、どなたかご教示を(緩募。信長が火縄銃で編み出したといわれてた三段構えとかは当然ない前提で。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月7日
火縄銃よりも連発が効かないというのは、固定式の大型の弩のことでしょうか?手持ちの弩であれば、それほど時間はかからないようです。ただ、西欧の例だと、手持ちの弩も、より強く弦を引っ張る威力の強いものが好まれたのか、ちょっとした機械じかけの巻き上げ方式で弦を引っ張るように変わっていくそうです。 wenly_m
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Hoehoe @baisetusai 2016年11月7日
琉球王国の武装とかも独自発展で面白いですね
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月7日
保元の乱だと、馬に乗る源為朝(弓の達人)の左手に飛び込むと危険だという故事があります。弓は右手で弦を引くので、基本的に自分の左側にいる敵を狙うという話です(右には射ちにくい)。手持ちの弩があれば、右に射つのも容易ですので、このお話は弩を普段使わない社会の人たちがハラハラドキドキしながら聞いてた「弓手」の話になります。 wenly_m
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まんりき @manriki 2016年11月7日
99年に宮城県の伊治城遺跡から8世紀の青銅製弩器(引き金部分)が発掘されている。正倉院など中央の武器収蔵施設からあまり出ないのでやっぱり対蝦夷用だったのか。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月7日
こちらの論文に、「中国南方弩」の写真がありました。秦漢の正規軍隊の「弩」と違って、随分と素朴です。弥生時代の弩と何となく似ている感じがします。金属の引き金を使わない弩もあるようですね(威力は別にして)。 http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/2002-12-25/s001/s021/pdf/article.pdf
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大蔵春 @ookuranoharu 2016年11月7日
arukime01 wenly_m 弩について、数段構えにして発射間隔の隙をどうにかするという方法は、どこかで南宋の将が蜀の山地でやったと聞いたことがあるような……どちらにしろ城壁上など高所から大量に運用して雨のように降らせる事前提の武器なんじゃないかなぁ、とは思います。あと李陵がやったように馬車や荷車を馬止め代わりにして抗戦するとか。
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アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年11月8日
ookuranoharu 言われてみると弓のための空間が必要なので上半身は露出することになりやすいのに比べると、弩だと遮蔽物に隠れながら撃つことができますね。弩が有利な地形は騎兵が苦手な場所だから騎兵の武器としてはいまいちだったのかも?
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月8日
中国の古代だと、中世ドイツのような「騎馬弩兵」は史料に出てきませんし、中世以降の中国については専門外ですが(存在を示す史料が出てくれば、また考えますが、聞いたことが無いです)、騎馬弓兵が戦場の花形だった源平の頃の武士に、「メンテナンスもするから、この弩使ってくれ」と言い寄る人がタイムスクープハンターみたいな特殊な話術で近寄ってきたら、使わなかったとは言えない気がします。 albireo_B
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月8日
fushunia 弓手(左手)と馬手(右手)の話ですね。弓を左手で持ち右手で弓を引くことに慣れた人が、左手で弩を持ち左手で引き金を引くとなると、聞き手と利き目の関係が変化する。ピンとこない人はダーツやビリヤードのキューを普段の逆の手に持って構えてみればわかるだろうが、非常に狙いがつけにくい。おそらくは弓と弩を両方とも使いこなせる人はいないのではないか。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月8日
宋代(平安鎌倉時代に並行する時代)には、騎馬弩兵がいたのではないかという史料を見つけて、ツイートしました。 albireo_B
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月8日
ここでいう「利き目」というのはよく見えるほうの目という意味ではなくて、方向感覚をつかさどる目ということです。人間の目は方向感覚をつかさどる利き目と距離感や立体感を出すためのもう一方の目というふうに役割を分担しているので、これをいきなり逆にしたら、非常に使いにくいことになる。
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やまどり @yamadori06 2016年11月8日
江戸時代の話は初めて聴いたな
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月8日
人口600万人程度で伸び悩んだとされる平安時代の日本の人口と社会では、弩のような手間のかかるものを平安末期に再導入する仕掛け人とかリソースが足りなかったからではないかと考えています。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年11月8日
C_Kozakura 「利き目」のお話、ありがとうございます。子どもの頃から右手で弩をもって、左右に射る経験をしてなれることが大切なのかもしれないですね。
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月8日
弩はどちらの手にも持てるでしょう。問題は、武士が馬術を先達から学ぶ中で弓手と馬手というかたちで左右の手の使い勝手が『固定化』されたときに、右が利き目で右手で弩を構えていた人は対応できなくなる。利き目は利き手ほど多数少数が偏りはしないけど、利き手と違って矯正するのは現代でも無理なので、使えない人が多数出るはずです。
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年11月8日
弩はその機構上、構造の違う弩の矢を使いまわしできないという欠点がある。つまり、赤壁の孔明のように「敵軍の矢を拝借する」ことはできない。官軍として所属部隊が補給してくれる間は問題にならないが、手弁当で参加する武士にとって戦場で矢を補給できない弩は使い勝手が悪かったのでは。
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cinefuk 🌀 @cinefuk 2016年11月8日
九州国立博物館にピストル型の青銅弩があった筈(今度また見に行こう)
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ヘーコ @apporu 2016年11月8日
単純に律令制下では弩や矛の私有が禁止されていて(軍防令私家鼓鉦条) 私人が持てる武器は「弓矢」と「刀剣」だけだったから(賊盗律禁兵条) 私戦をやる必要がある武士は弓矢と刀剣で戦うしかなかったのでは。
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内調フクロウの憂鬱(多ボタンマウス普及委員会) @komakikiti 2016年11月8日
日本では矢に対する防御に特化した鎧が発達していて、そこらの弩では武士を倒せなかった。 さらに武士はそこらの弩より強力な弓を馬上で扱いこなせるだけの時間と能力があった。 騎兵という矢に当たりにくい要素を持つ武士に対して、弩を使うはずの歩兵は脆かったので弩と共に戦場から一時的に消えた。 というのを考えた。 日本の武士は重装弓騎兵という珍しい存在(というよりキチガイ)だったから、このような現象が起きたのだと思う。
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NORt @NORt18953368 2018年1月11日
背筋使って引き絞るような強力な弩や設置式の大型弩と、古代や馬上で使うような弩は別物な気がするがどうだろう。弱い弓に台座と引き金付けただけみたいな。 それだと製作は簡単だが、引き絞れない(威力低い)、連射面倒、弦張り等面倒で、物陰で準備できるから狩りに便利くらいの代物になりそうだが。
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NORt @NORt18953368 2018年1月11日
通常の強力だが、再装填や連射に難があるタイプのクロスボウを馬上で使うと、最初の一発目以降は利点がない。長弓は右に撃ちにくいと言っても全く無防備な訳でもなく、相手の二の矢がなければ方向転換も自由だ。射撃武器は一撃で相手を無力化できる物でもないので、反復射撃ができなければ主力として期待される兵科には向かないと思われる。
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NORt @NORt18953368 2018年1月11日
ヨーロッパでも古代ローマ期にあったクロスボウ形状の弓は一度すたれて、中世で素材が変わった事で改めて復活したらしい。 木材や竹材の弓は長大化で威力を稼ぐから、クロスボウ形状では設置式にでもしないと威力が出せない。短弓で威力を出すには動物性素材や金属が必要で、自弁が当然の古代や中世の一般歩兵の装備には皮革業者が特殊身分扱いされてたような日本では無理だったのでは? 逆に弥生や南方では狩りがもっと庶民に身近で素材の供給が高かったのかも?
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