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リンク 大河ドラマ『真田丸』 あらすじ 第44回「築城」|大河ドラマ『真田丸』 幸村(堺雅人)は、大坂城の最大の弱点となる南側に出城を造ることを思いつく。しかし、同じことを考えている男がもう一人いた…
丸島和洋 @kazumaru_cf
盛り上がりましたね。ネタバレ注意も、出すと皆さん身構えちゃうので、「今日は」ではなくて「ネタバレ注意回が続く」と多少表現をいじったのですが(まあ今後もそうなんですが)、身構えていても吹き飛ぶようなTLだったようです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
僕は雑談で「OP、いろいろ検討してます」と聞いていたので、どの回でどうやるんだろうと思っていたのですが、実際最終チェック版を拝見して、「すげ-」となりました。他の考証陣は、手違いでOPを入れ忘れたのかと勘違いしたそうです(苦笑)。
丸島和洋 @kazumaru_cf
大坂冬の陣、徳川方。ウィキペディアでは20万となっていますが、慶長19年11月28日付け吉川広家書状(「吉川家文書」1305号)に「今迄ニ着候人数三十万ほと可有之様ニ取沙汰候」とあると考証会議で指摘がなされ、30万となりました。
丸島和洋 @kazumaru_cf
最終的な数字で、かつ吉川広家も「可有之様ニ取沙汰」(30万くらいになっているんじゃないかと囁かれている)と正確に把握できていないのですが。
丸島和洋 @kazumaru_cf
出雲阿国。二代目というか、こっちが一般に知られている出雲阿国という感じの設定です。というのも、秀吉の時代だと、彼女は子供の踊り手として知られた存在なので。
丸島和洋 @kazumaru_cf
信之。文通相手の小野於通との逢瀬(?)です。稲様の眼光がきらめいていました。実は、信之の「(江戸)城から帰った」というのも言い訳としては苦しいところでして、「登城命令」がないと江戸城にはいけません。ううっ。
丸島和洋 @kazumaru_cf
真田丸のところに後藤又兵衛が築城を計画していて・・・という話は軍記に出てくるものです。まあ、実際には大坂城の周囲には砦が複数作られており(木津川口砦とか)、真田丸もそのひとつで、当初からの計画を信繁が仕上げたという形だと思うのですが。結構入城からの日数がないんですよね。
丸島和洋 @kazumaru_cf
なお、「真田丸」という名前は、当初からついていたものではありませんでした(当初の呼び名は不明です)。後藤又兵衛遺臣の回想録『長沢聞書』によると、信繁と長宗我部盛親が入ったが、真田の活躍があまりに派手であったため、長宗我部の存在は忘れられてしまった(号泣)と。
丸島和洋 @kazumaru_cf
実際、「真田丸の戦い」における長宗我部隊の動きをみると、真田丸に入っていた可能性はかなり高いです。なお、じゃあいつから、誰が「真田丸」と呼んだのかというと、徳川方のようです。夏の陣の時には、真田丸跡地が「真田丸」という地名になって登場してきます。
丸島和洋 @kazumaru_cf
仕寄。「しよせ」とも、「しより」とも読みます。鉄砲よけの竹束・楯から、土塁・塹壕までを含んだ攻城器具・設備の総称です。すこしずつ土塁・塹壕を作って進んでいくわけです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
仕寄せはあまり合戦図屏風にも描かれないのですが、今回戦国軍事考証として西股先生に入っていただいたので、映像化ができました(完全再現はちょっと無理なのですが)。大河でやったことはあるのかな。
丸島和洋 @kazumaru_cf
で、家康の仕寄せ講座。これは『翁物語』に出てくるシーンのアレンジです。徳川方は大名どころか家老クラスも初陣の家が結構あり、仕寄せの構築が遅々として進みませんでした。それで怒った家康が、若い大名を集めて仕寄せの作り方を教えさせた(自分でやったわけではないですが)という話。
丸島和洋 @kazumaru_cf
『翁物語』の作者は、小早川能久という甲州流軍学者。能久の父は小早川秀包、祖父は毛利元就です。1652年の奥書が入った写本があるので、成立はそれ以前。小早川能久は小幡景憲の弟子で、小幡景憲はこの時スパイとして大坂城内にいました。なので、聞いていてもおかしくないかな。
丸島和洋 @kazumaru_cf
それによると、仕寄せ講座をやっていたら、井伊直孝が熱心に聞いていて、家康が「お前のところには山県昌景(武田の勇将)の部下を配下につけているだろうが、そいつから聞け!何でここにくる必要があるんだ」と激怒したということ。
丸島和洋 @kazumaru_cf
赤備え。実は文禄の役の時に信幸が出した書状に、「いつものように朱一色で統一せよ」とあるので、真田家自体が、武田滅亡後に赤備えを受け継いでいたようです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
信繁の馬印。やはりここは六文銭(正確に言うと六連銭=むつれんせん)がはためかなくては様になりませんね。実際には、旗印は赤一色で、馬印は黒い正方形の旗でした。これは『甲陽軍鑑』で真田信綱の馬印とあるもので、永青文庫の冬の陣図によると昌幸も使っていたとのこと。
丸島和洋 @kazumaru_cf
おそらく信繁は、「われこそは真田安房守の家督継承者」というアピールと(何しろ彼自身には武名がない)、真田本家への配慮を両立させたのでしょう。
丸島和洋 @kazumaru_cf
家康のもとに届いた怪しげな大坂城の絵図。あれは、真田信吉が冬の陣の時に作って、信之のもとに送った絵図をベースに作ってもらいました。たぶん描いたのは、真田丸の戦いの後だと思います。勇戦した叔父への誇りからか、真田丸が非常に大きく描かれているのが特徴的です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
次回、ついに真田丸の戦いです。また1週間、お待ちしましょう!
丸島和洋 @kazumaru_cf
この正規の大名が率いているけど実戦経験に乏しい人があちこちにいる幕府方(なにしろ野戦用トイレの作り方マニュアルまで作られている)と、経験は豊富だけどまとまりがない大坂方、というのが、大坂の陣の対比になります。
丸島和洋 @kazumaru_cf
補足。信繁が実際に用いた黒い正方形の馬印は、第1話から第13話まで、昌幸が馬印として使っています。上田城本城(本丸)から出陣するシーンなどを見返していただければと思います。
丸島和洋 @kazumaru_cf
あと政宗の「愚か者ですなぁ」という台詞。すごい彼の大坂の陣感を捉えたものだと思います。夏の陣後、息子の乳母に宛てた消息で「御ふくろ(御袋、淀殿のこと)もかねての御くちほとなく(口ほど無く)候て、むさと御はて候」と書き送っているので。政宗からすると、実権はまだ淀殿にあるという認識。
丸島和洋 @kazumaru_cf
この中の写真で出てくるのが、家康がぶち切れて指導をしていた「仕寄せ」です。//特集 さなイチ 大坂冬の陣「真田丸」オープンセット完成!|大河ドラマ『真田丸』 完成した真田丸のオープンセットとVFXをご紹介します。 nhk.or.jp/sanadamaru/spe…
かりた @kalitata
@kazumaru_cf いつもツイート拝見しています。真田丸西側は寺の構えを利用、南側は市街地であったため徳川勢は1ヵ所に殺到、退くこともままならず、と今年のTVでやってました。市街地説は採用されなかったのですか? そのほうが信繁の策も効果大のように思われましたが
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コメント

にゃるらとほてっぷ @nyalrathottep 2016-11-07 21:05:20
ここまで綿密にやれば「歴史警察」どもは近寄れもしまい。見事なものだ
ハドロン @hadoron1203 2016-11-08 12:54:21
ついにあの塹壕戦が展開されるのか。これは期待せざるを得ない。第一次世界大戦のあの悲惨な西部戦線からさかのぼること300年。戦国期にこんな戦闘が行なわれたと知ったのは、今年になってからだよ。http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/information/program/historia0106.html
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