- Uroak_Miku
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25)I'm looking for my penciles.(俺の鉛筆を探しているんだけど)ならもっと腰の低い言い方ですが、すると今度はイラストと合わなくなってしまう。
2016-11-20 08:02:2826)教科書作成者はたぶんこう考えてこの会話文を作った。①疑問詞whereをこの単元で出さないといけない、②「鉛筆はどこ?」あたりが手ごろな文かな、③英訳しよう、④うむコミカルなやり取りになったぞ
2016-11-20 08:05:5727)ところが⑤あれれこれではインド娘に喧嘩売っているみたいじゃないか!と思考を進めなかった。それでこんな会話文が教科書に堂々と載ってしまった。全国のよいこの中学生の皆さんはこれで刷り込まれてしまう。そしてのちにネイティヴ相手にこの言い回しを口走って相手の顔色が変わるのに驚く。
2016-11-20 08:08:0031)文語/口語の対立項が関係しています。文語というと大日本帝国憲法の文体みたいなので口語は現行憲法の文体みたいなものととりあえずイメージしてください。この文語/口語の対立構図は明治中期に発明されたものです。「発明」です。
2016-11-20 08:13:2832)江戸時代に国学者たちは「雅語/俗語」と分類していました。雅語は「がご」と読みます。文語/口語ではなく雅語/俗語。つまり書きことば/話しことばで分けていなかった。
2016-11-20 08:14:5733)明治になってからです書きことば/話しことばの断絶が意識されるようになったのは。西洋の言語を知って明治の知識人は驚いたのですよ、書物の文体と話す際の言い回しにあまり差がないことに。日本だと「~に候」とか書簡で使いますが西洋ではそういう改まった文体でものを書かないことに。
2016-11-20 08:17:5634)西洋の植民地にされたくなかったら自ら西洋化して「国家」を打ち立てるしかない。「国家」を支えるには「国民」がいる。「国民」とは同じ「国語」と「国史」を頂く人民のことだ。よし学制を布いて子どものうちから叩き込もうじゃないかーーーこれが明治日本でした。
2016-11-20 08:19:5835)実は「国語」という呼称が生まれるのは明治の中期ですがここでは便宜的にこれで通します。明治政府は「国語」で二つの難題を抱えることになりました。ひとつは「標準語」問題。もうひとつは、今述べた「書きことば/話しことば」問題。
2016-11-20 08:22:0036)徴兵制を布いたとき「血税」とスローガンをぶちあげたところ「若い男の血を搾り取る税」と思い込まれて全国で血税反対運動が起きてしまいました。ことばが通じなかった。兵隊を集めても号令一つ通じない。長州人の上官が長州語で号令をかけ、兵卒は会津だの飛騨だのの混交。通じない。
2016-11-20 08:25:3537)明治初期の国語教科書を見ると「会話」という科目があります。会話なんて誰だってできるのにどうして小学校で?それはですね全国統一の話しことばを子どものうちに叩き込むためです。兵隊になって号令ひとつ通じないようでは軍隊にならないし。
2016-11-20 08:27:5938)この科目はのち消えたようですが、東京山の手で話される話し方を標準として小学校のうちにこの話し方をマスターするよう考えられたようです。
2016-11-20 08:29:1940)詳細はのちの機会に譲ります。「雅語/俗語」の対立として江戸時代の国学者には認識されていたことばの問題が、明治になると「書きことば/話しことば」の対立構図のなかに収れんしていったのです。
2016-11-20 08:32:2444)しかしもともと「口語」であるはずの「現代文」や、口語/文語の境目が緩い西洋言語を「口語」に訳すとはどういうことなのか?パラドクス。
2016-11-20 08:40:2445)それで「現代文」の問題は妙にひねって凝った設問形式が発達し、「英語」の問題は「訳せればそれでいい」に傾いていった…というのが私の今温めている説です。
2016-11-20 08:41:5746)Where are my penciles? は「私の鉛筆はどこですか」と訳せればいい、それで英語はマスターしたことになるのだ、と。 pic.twitter.com/OKQID2IeHD
2016-11-20 08:43:0747)「それだと『貴様隠しただろ!』と相手に取られかねないから Have you seen my penciles? あたりにしなさいな」と発想する芽が摘まれてしまう。
2016-11-20 08:44:32penciles --> pencils