エレン先生は平家物語をどう読むか

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uroak_miku @Uroak_Miku

1)文語/口語の違いについて改めて論じてみます。

2016-11-21 08:51:11
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2)こんなブログ記事があります。面白いので紹介します。 戦中の初等科国語 - 文語体の学習 gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/p…

2016-11-21 08:51:51
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3) >現在の日本の小学校国語教科書では、何年生の時から「文語体」が登場するのだろうか。 昭和17年4月に入学した私たちの国語は「ヨミカタ・一」、アカイ アカイ アサヒ アサヒから始まった。

2016-11-21 08:52:48
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4) >このシリーズで初めて文語体の文章が出てくるのは、4年生の後半に使用された「初等科国語・四」である。まず、「くりから谷」として、木曽義仲と敵の大将平維盛の越中の国での戦を取り上げている pic.twitter.com/CZ1Fxr4DAp

2016-11-21 08:55:18
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5) >さらに屋島の合戦を舞台とする「扇の的」では、那須与一が登場する。これら一連の源平合戦が、わたくしたちが最初に出会った文語体文章であった pic.twitter.com/52oQqoOmFG

2016-11-21 08:56:18
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6) >・・・・・というはずであったのだが、実際は、私たちが国民学校の4年生に進級した昭和20年には、戦争からくる疲弊、極度の物資不足に加えて学童疎開が実施されるなど、勉強どころではなくなっていたのが実情であった。

2016-11-21 08:57:10
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7) >戦後の中学、高校時代には「古文」として徒然草、枕草子、源氏物語などの古典にめぐりあい、大学受験に際しては漢文とともに現代国語、古文が受験科目に入っていたと記憶する。

2016-11-21 08:57:56
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8)整理します。戦前は「国語」と「漢文」の二本立てでした。それが戦時中に「古典」が設けられたそうです。後でまた文献に当たってみますが、おそらく今でいう「古文」と「漢文」のことだと思います。よくわかりませんが。

2016-11-21 09:02:10
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9)今の中学用国語教科書を開けてみましょう。巻末に文法の章があります。私が中学生のときにもこういうのがあったと思います。 pic.twitter.com/zOXMUUN8uB

2016-11-21 09:17:38
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10)活用表…懐かしいですね。で、よく見てやってください「口語~活用表」とあります。「口語」とあります。すると「文語」の活用表も載っているのかと思ってページをめくっていくと pic.twitter.com/zniOUzhNvN

2016-11-21 09:20:42
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11)ないんですよ。私たちのときはどうだったかな?中学国語では「口語」の文法しか教科書には載っていないのです。

2016-11-21 09:22:13
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12)いわゆる「古文」は中一でもう出てきます。現代語訳付きです。『竹取物語』ですか。 pic.twitter.com/l6MXv3IaXO

2016-11-21 09:24:31
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13)中二でも現代語訳付き。『枕草子』から。 pic.twitter.com/SR318pdwaI

2016-11-21 09:25:51
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14)同じく中二。『徒然草』から。これは全訳ではなく対語訳寄りですね。子ども用自転車から補助輪を片方外して、少しずつ慣れさせていく感じ。 pic.twitter.com/Lnu2upN2FU

2016-11-21 09:29:50
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15)中三で和歌が出てきます。全訳付き。右ページに古代日本っぽい絵がありますが描かれたのは戦後昭和です。 pic.twitter.com/jR0t1j2KZA

2016-11-21 09:31:36
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16)『おくのほそ道』から。これも全訳付きです。 pic.twitter.com/ZAT0xOr15Q

2016-11-21 09:32:44
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17)さあここまでの古文のページでは文法の話題が出てこなかったことに気が付くでしょうか。

2016-11-21 09:33:38
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18)私自身も係り結びの法則を教わったのは高校に上がってからでした。助動詞とかも高校ですね、たしか古文の授業は自主的に捨ててしまって駿台の参考書でどんどん独習した覚えがあります。助動詞がわかれば古文はわかる、と合格体験記あたりによく書かれていたし。

2016-11-21 09:35:31
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19)個人的な思い出語りは置いといて、中学国語では古文読解のための文法、いわゆる「文語文法」は習わないわけです。教科書の文法ページにはいっさい出てこない。

2016-11-21 09:37:39
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20)文語/口語と分類しましたが、これは明治時代に作られたものです。江戸時代に本居宣長あたりが雅語/俗語という区分をしていますが、これは文語/口語とは別ものです。

2016-11-21 09:39:37
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21)江戸の国学者たちは、雅語/平語/俗語の三分類をしていました。平語(つねこと)というのは見ての通り雅語よりくだけているけれど一応フォーマルなことばのことです。

2016-11-21 09:42:02
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22)『源氏』とか『枕草子』あたりの平安の書き物の文体やいいまわしを、江戸時代の国学者たちは「雅語」と呼んだ。主に和歌を論ずるときに雅語/俗語の区分法を使ったようです。

2016-11-21 09:45:45
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24)漢文(の読み下し文)や候文は含まない。いわゆる和語限定です。

2016-11-21 09:48:05
uroak_miku @Uroak_Miku

25)どうも宣長やその系統の学者たちは書きことば/話しことばの違いにはあまり意識がいかなかったようです。違っててあたりまえじゃん、ぐらいにしか思っていなかった節が見られます。

2016-11-21 09:49:47
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