VRにおけるイベントとキャラプレゼンスについて

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Hiroshi Kasai @heron64

#Mikulus で「エンパシー」を追求するとなった場合、「ミクが主体的に起こす行動」と言うのが重要になって来るのではないか。要するにこの子は何が好きで、何に興味を持って、それに対してどのように働きかけるのか。 その内面に「感情移入」する事で人格としての存在感が際立って行く。

2016-11-24 17:28:50
Hiroshi Kasai @heron64

しかしこのような主体性を取り込んで行くという事は、VRキャラにとってはそのプレゼンスを破壊しかねないリスクもはらむ諸刃の剣だと思う。 プロシージャルな処理で自律的に動いているはずのミクが、何か行動を起こした瞬間、何か「別の意志」に駆動されるような感覚。

2016-11-24 17:31:05
Hiroshi Kasai @heron64

それまで受身的にリアクションしていただけのキャラが突然主体的に動くという事は、その間はその行動やリアクションがプログラムとかスクリプトとか、要するに体験者にとっての「あちら側」に移行してしまっているわけで、その事を気取られた瞬間に実在感そのものが損なわれる可能性は大いにある。

2016-11-24 17:32:40
Hiroshi Kasai @heron64

例えばゲームのフィールド上のイベントで、視点もモードもそのままにスクリプトに移行するのだけど、その際にモーション読み込みやキャラ位置のリセットなどで「プログラムの手順」があからさまに可視化するやうな瞬間。 こういうのが見えた瞬間、恐らくVR人格の魔法は剥がれてしまう。

2016-11-24 17:34:57
Hiroshi Kasai @heron64

VRの方向性として個人的に強く興味があるのは「物語」的ジャンル(映画でもゲームでも何でも)なのだけど、これにおいてVRを導入しようとすると、恐らく体験者自身も「視線」を主体としたスキンシップやコミュニケーションによって作中の人間関係の渦中に巻き込まれる。

2016-11-24 17:36:18
Hiroshi Kasai @heron64

勿論この「渦中の人」になる感覚こそがVRの醍醐味なのだけど、その時に相手のリアクションや行動に「スクリプト神の見えざる手」が認識されてしまうと、一瞬にして世界も相手も作り物にしか思えなくなってしまう。 ガラスの靴が砕ける瞬間。

2016-11-24 17:38:38
Hiroshi Kasai @heron64

多分その危険が一番前面に出て来るのが、先にも挙げたような「プロシージャルからスクリプトに移行する」瞬間なのだと思う。 それまで極めて自然に世界に対して反応していたVR人格が、突然決まり切った手順的な行動にパッと切り替わってしまったら、体験者は置いてきぼりを食う。

2016-11-24 17:41:17
Hiroshi Kasai @heron64

例えばモード移行時に、機械的な切り替わりと感じさせないようクッション的な「間」を置くとどうかと考えてみたのだけど、これもただ機械的にウェイトを置くだけでは不十分な気がする。 何と言うか「人間が行動を起こす」時の自然な手続き感みたいな物を感じさせる必要があるのではないか。

2016-11-24 17:42:36
Hiroshi Kasai @heron64

そこで一つ考えたのが「認識から行動への時差」の導入。キャラが「行動の対象」に気付いてから実際に行動を起こそうと態勢を整えるまでの流れをイベントとかスクリプトの頭に挿入する方法論。 キャラのモードに「認識していない」「気付く」「態勢を整える」「アクションを起こす」と段階を設ける。

2016-11-24 17:45:16
Hiroshi Kasai @heron64

例えばMikulus冒頭でミクが体験者に気付くみたいなイベント。 「ボーッとしている」認識していない 「視界に体験者を捉えると目線をそちらに送り表情が明るくなる」気付く 「乗り出して、体験者の方を向く」態勢を整える 「歓迎するように満面の笑み」アクションを起こす みたいな。

2016-11-24 17:47:49
Hiroshi Kasai @heron64

VRにおける「キャラの視線」がこんなにもインパクト強いのは、多分「この視線で捉える対象に興味がある」という主体性の表れであるからこそで、だからそれを表情と連動させる形で活用して対象を「認識している」事の表現とする。そして認識と行動の間には、少し時差をつけて自然な流れを組み立てる。

2016-11-24 17:50:13
Hiroshi Kasai @heron64

体験者に対しての行動だけではなく、他のオブジェクトに対する行動としても、まず「認識」して、そちらに視線を送ったまま「集中」して、そちらを向いて「アクション」を起こす、と言うような手順化。 気分や集中力や対象への興味の度合いによって、その対応の早さも変化したり。

2016-11-24 17:50:53
Hiroshi Kasai @heron64

この「認識」と「行動」の切り分けというのが、VRキャラのパーソナリティの実在感を高める上で重要になって来るのではないだろうか。 二本立てであれば「認識しつつも別のことをやっている」というような「ながらアクション」も成立する。

2016-11-24 17:53:19
Hiroshi Kasai @heron64

体験者の相手をしながらも、意識はデスクトップに映ってるYoutube動画が気になって仕方ないみたいなw

2016-11-24 17:53:35
Hiroshi Kasai @heron64

「ながら〇〇」みたいな物も含めて、人間というのは常に一つの事に集中して行動しているわけではない。「意識」と「行動」の乖離をあえて取り入れて行くのもVRパーソナリティの実在感を高める一要素にもなるかも知れない。 「心ここに在らず」と「全身全霊を込めて」の違いを伝えられるかどうか。

2016-11-24 17:54:14
Hiroshi Kasai @heron64

「サマーレッスン」なんかも家庭教師という立場上、こういうのは重要かも知れない。レッスン中ひかりちゃんの視線が泳ぎ出したら集中出来ていない、みたいなw

2016-11-24 17:54:48
Hiroshi Kasai @heron64

いずれにせよ、VRにおける「キャラが主体的に起こすイベント」と言うのは、これまでのゲームなどにおけるスクリプトイベント等とは全く異なる考え方でアプローチする必要があるように思う。 プログラム的なモードの切り替わりは、VR内では恐らく世界観そのものの切り替えとして認知される。

2016-11-24 17:58:29