- Eric_Ridel
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今日の朝日新聞の書評欄、見開き一面に何冊かの本を書影で掲載している中に、幸福の科学の本が入ってた。読んでないからもちろん内容は分からないけれど、やっぱりこう、新聞の時代というのは終わったんだな、という気がした
2011-02-23 18:32:52「消化しなくてはならない情報は莫大で、必要な時間は限られている」と考える人と、「消化しなくてはならない時間は莫大で、手に入る情報量は限られている」と考える人とは、一つの社会で衝突することなく共存している
2011-02-24 07:43:23電子化の流れは、情報は莫大であると考える人に対してはより多くの情報を、時間こそが莫大であると考える人に対しては、より収斂した情報を、それぞれもたらした
2011-02-24 07:45:08時間がないと考える人にとっては、情報は無限に多様化していくように見える。消化可能な範囲は限られているから、人は多様化する。時間のある人が手を伸ばすような情報は、淘汰の結果として、むしろ特定のコンテンツに収斂する。誰もが似たようなことを考えるようになる
2011-02-24 07:46:31多数決ルールで集計すると、団結した少数の意見が大勢を決定する。多様な意見を持つ人たちがどれだけたくさん存在しても、それが全体を代表する何かに反映されることはなくなる
2011-02-24 07:48:08結果としてたぶん、メディアにしても政治にしても、「消化しなくてはならない時間は莫大で、手に入る情報量は限られている」と考えている人たちに向けて、リソースの大半を割り振る必要が発生する。それがどれだけ歪んでいても、小さなパイに誰もが殺到していく
2011-02-24 07:49:29議会制民主主義ですからね RT @medtoolz: 多数決ルールで集計すると、団結した少数の意見が大勢を決定する。多様な意見を持つ人たちがどれだけたくさん存在しても、それが全体を代表する何かに反映されることはなくなる
2011-02-24 09:03:32たんぶらうざテキスト (だと思う) で流れてきた、「朝その日の夜に食べたいメニューを希望しておくと、準備する側の負担が減る」、という指摘はいろんなところに使えそうな気がする。仕事の伝達方面で
2011-02-24 09:43:25患者さんに関するあれこれを、実際に手を出して行うのはほとんどの場合看護師さんで、手術みたいな場を除外すれば、医師は自ら手を下すというか、オーダーを通じて、誰かに何かをお願いする場面のほうが多い
2011-02-24 09:44:34そこで現場をあまりにも「きっちり」と縛りすぎてしまうと、看護師さんの振る舞いに許される公差がほとんどゼロになる。これをやると、わずかなぶれは全て「ミス」になる。たいていはろくな結果を生まない
2011-02-24 09:45:37一方でこう、「とにかくよくして下さい。手段は問わない」なんてオーダーは、オーダーどころか診療になっていない。落としどころは極端と極端の中間にある
2011-02-24 09:46:55夕食で食べたいものの話題だと、「おいしいもの」だの「何でもいいよ」だのは、オーダーにならない。材料の指定オンリーも、厳しいんだと。メニュー自体を指定するといいらしい。山岡四郎クラスの厳しいオーダーをやると、たぶん離婚される
2011-02-24 09:48:06@medtoolz >極端と極端の中間 このぶれ幅が少ない方向に収斂させるのが難しそうですね。 個人の価値観やスキルで異なるぶれ幅を制御するのは骨が折れそうです。
2011-02-24 09:49:14オーダーを受ける側がある程度気分よく働ける落としどころは、けっこうストリクトな側であって、「誰がやっても、結果がある公差の範囲に収まる」レベルで、もっとも緩い縛りというのが正解なんだと思う
2011-02-24 09:49:17「普通にやってくれればいいのに!」という叱りかたは、「おいしいものが食べられればそれでよかったのに!」なんて夕食にケチ付ける亭主関白みたいなもので、やっちゃいけないんだと思う。家庭というものを「経営」して、果たしていいものなのかどうかはともかく
2011-02-24 09:50:45@medtoolz 今まで作ってもらったもので「アレがおいしかったからアレがいいな」というのがいいと聞いたことがあります。それだと食材がなかったとしても覚えててくれたことがうれしいのだとか。
2011-02-24 09:51:04@medtoolz おいしいものが~の例じゃないですが、良かれと思って裏目に出ることまで想定して、縛りを設けるってのはお互いにストレスを感じるのかもしれません。 そういう意味で、共通認識やルールってのは、お互いの摩擦を減らす知恵ですね。
2011-02-24 09:57:21全ダンナと子どもに告ぐ。RT @medtoolz: 夕食で食べたいものの話題だと、「おいしいもの」だの「何でもいいよ」だのは、オーダーにならない。材料の指定オンリーも、厳しいんだと。メニュー自体を指定するといいらしい。山岡四郎クラスの厳しいオーダーをやると、たぶん離婚される
2011-02-24 10:04:24自戒。RT @medtoolz: 「普通にやってくれればいいのに!」という叱りかたは、「おいしいものが食べられればそれでよかったのに!」なんて夕食にケチ付ける亭主関白みたいなもので、やっちゃいけないんだと思う。家庭というものを「経営」して、果たしていいものなのかどうかはともかく
2011-02-24 10:10:56それは診療科によりけり。“@medtoolz: 患者さんに関するあれこれを、実際に手を出して行うのはほとんどの場合看護師さんで、手術みたいな場を除外すれば、医師は自ら手を下すというか、オーダーを通じて、誰かに何かをお願いする場面のほうが多い”
2011-02-24 10:13:07示唆的。行動を限定すると人は自分で判断しなくなる。子供もそう。 RT @medtoolz: そこで現場をあまりにも「きっちり」と縛りすぎてしまうと、看護師さんの振る舞いに許される公差がほとんどゼロになる。これをやると、僅かなぶれは全て「ミス」になる。たいていはロクな結果を生まない
2011-02-24 10:22:40結局のところ、経営というものは、望ましい結果にたどり着くための道筋を、一連の制約として、可能な限り少ない言葉で記述することなのだと思う。
2011-02-24 10:40:58たとえば犬は手抜きをする。「こっちを見て」とか、「お座り」や「お手」みたいなのにしたところで、なるべく労力を少なくするよう、その都度やりかたを変えてくる。こっちの指示がパターン化すると、人の手のひらを前足で叩いて、ご褒美を要求したりする
2011-02-24 12:33:12こういうのは、犬を一種の家族として飼っている分には、むしろ手抜きを覚えられるのは楽しいんだけれど、ダンスをさせたり、警察犬みたいな仕事をさせたりするときには、こういう努力が徒になる。誉めてしつける訓練士の人と、ショードッグを訓練する人と、思想みたいなのが違う気がする
2011-02-24 12:34:37