リスク社会論と自己責任論

tenkyoin, _Boogiepop, sahiro
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@tenkyoin

あ、そうそう。一件書き忘れたことを思い出した。リスク計算と決断主義ってのが、まるで証拠主義と神秘主義の対立のような対立として図式化されることがあるかもしれないのだけど、リスク計算とかリスクとベネフィットを天秤に載せるというような、30年前から消費者がなされてきた『訓練』が、

2009-11-22 15:03:04
@tenkyoin

むしろ決断主義への加速剤として働くということは覚えていたほうがいい。決断主義というより、自己責任論だけど。「自分は合理的な近代人でありリスクを適切に計算できている。だから私は自分の行動に責任を持ち、誰にも責任転嫁せずに生きねばならない」という思想。

2009-11-22 15:04:18
ブギーポップ @_Boogiepop

@tenkyoin 君の真摯な姿勢はそれ自体は立派だが……あまり周りの者に心配かけないようにね

2009-11-22 15:05:10
@tenkyoin

リスク社会も自己責任論もともに、証拠主義の側にある観念なんだね。昔の責任論はむしろ神秘主義的だったけれども、リスク計算とトレーサビリティの拡充が、「責任」という概念から神秘性のベールを剥ぎ取ったわけ。

2009-11-22 15:05:27
@tenkyoin

リスク計算がコモディティ化するほど、自己責任論によってより後期近代人は「自己のコントローラーたるべく」訓練されていくわけ。このからくりは、1986年(!)のU・ベックの『リスク社会』ですでに過不足なく説明されている。

2009-11-22 15:07:37
さひろ@アイコンを自動生成したヤツに変えてみた @sahiro

@tenkyoin そうそう。自己責任という言葉って、本来は「個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味だったと思ったのですが、最近の使われ方って、いつごろからなんでしょう? 例の人質事件以降、というかんじがするのですが。

2009-11-22 15:38:56
@tenkyoin

@sahiro 人質事件はまあ、メルクマール的な出来事だったけど、それで社会が変わったというわけじゃないと思う。「あなたは自分の未来のリスクを『個人として』管理できるはずです!」という思想って、30年くらい前から少しずつ先進国の人々に刷り込まれてきたものだから。

2009-11-23 00:10:19
@tenkyoin

@sahiro ここで紹介されている、ウルリッヒ・ベックの文章とか凄く参考になると思うよ>http://coe21-policy.sfc.keio.ac.jp/ja/wp/WP108.pdf

2009-11-23 00:11:19
@tenkyoin

「以前は、貧しい階級に特有の生活連関が、そうした苦しい状況を耐えられるような解釈や防御‐支援形態を提供し引き継いでいった。しかし、かつては集団で経験された運命は、階級関係が失われた個人化された生活状況においては、まずもって集団ではなく個人の運命となる。」>前掲pdf

2009-11-23 00:13:12
@tenkyoin

「『自分』は自分のコントローラーである」という思想って、「個人化」した資本主義が、リスクを個々人に転嫁するための方便でもあったわけだけどね。

2009-11-23 00:12:32