- kimototaro
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『女優の魂』『続・女優の魂』②滑稽になる小説の構造が顧みられていないと感じた。その意味で、女性を男優が演じ、演出なのか本当に必要だったのか小道具に貼ったカンペを堂々と読んでいた『続』のほうが、結果的にテキストを相対化することになっておもしろかった。でもあのオブジェはちょっと……。
2016-11-29 02:35:00マ・ドゥヨン演出『女優の魂』『続・女優の魂』①岡田利規本人による演出を観ているので、どうしても比較してしまうけれども、あの意地悪な小説がこんなに素直に上演されるんだと新鮮に観た。はっきり書くと、芸術論、演技論をぶちかますほど主人公自身の生前の実力や立場が照り返されて
2016-11-29 02:34:17もうひとつは『続・女優の魂』の岡田利規のテクストで、あるシーンで、うわ、こんなストレートなメッセージ書く人だったっけ、、、てゆう驚きと、あとあのラストはなんですか? いつもの岡田さんならもっとアイロニカルに提示してくるであろうその気配を、演出であえて消したのか、なんなのか。続
2016-11-28 12:08:52で、わたしはよく訓練された結果生まれる演劇的二人芝居も(たぶん)好きですが、異物が集い、掛け合わさる場としてのパフォーマンス、というのも捨てきれない、むしろ可能性があるかもしれないと思っている。続
2016-11-28 12:04:04ひとつは、圧倒的に女優としての実力を感じさせるチョ・アラに対して、並べられた美術品もつくっているイ・サンホンはかなり毛色が違うということ。スタンダードな二人芝居では、実力の拮抗した俳優が空間の緊密さや客席との関係をつくっていくことが多いと思いますが、これはそうではなかった。続
2016-11-28 12:00:07『続・女優の魂』は彼が現世に帰るまでのテクストが冗長に感じられたものの、映像、声、美術など、あれやこれやの手数をかけた実験的なもので、チャレンジ精神に満ちた上演だった。いわゆる多元芸術(ダウォン芸術)的なアプローチと呼んでいいのだと思う。特にふたつ、興味深いことがありました。続
2016-11-28 11:54:28ディレクターグ42、創作過程を見たわけじゃないからこれは想像でしかないけど、演出家のトップダウンというよりは、優れた技量を持つ人たちが集まってつくった印象を受ける。続
2016-11-28 11:43:47演出家の力量を測る指標として、元のテクストの魅力をどれだけ引き出せるか、がひとつありうる。ディレクターグ42は大胆に攻めながらも『女優の魂』の素の味を抜群に引き出したと思う。うわあ、こんなクリティカルな話だったっけ……とあらためて思い知らされた。ラストあたり感動で涙が出たわよ。続
2016-11-28 11:39:58金曜夜に観たディレクターグ42。『女優の魂』は元々完成度の高いテクストを、彼ら流に引き寄せる。しかしあくまで韓国の話ではなくて日本の話のままにしたのが、幾重ものねじれ効果を生み出していたと思う。ん? これ、自分はどこにいて何を観てるんでしょうか、的な不思議な観劇体験になった。続
2016-11-28 11:27:56『女優の魂』、『続・女優の魂』続。女優の対比として登場する芸術家はその姿勢から表現とは何かを問うてくる。その上、それを語りかけてくるのは2人の役者だけでなく、舞台装置や置かれている美術、そしてインスタレーションも語りかけてくる。これが「多元芸術」なのかなぁとちょっと思う。
2016-11-27 23:30:58ディレクターグ42『女優の魂』、『新・女優の魂』観劇。岡田利規の戯曲を韓国のカンパニーによって上演されたものはアーティストというものへの言及だった。小山さん演じるチョ・アラは韓国人だからかどっしりとした力強さを感じ、彼女だからこそ語られる女優論に納得させられてしまう。
2016-11-27 23:12:34岡田利規 短編小説選としてディレクターグ42 『女優の魂』『続・女優の魂』あわせ鏡というか互いにスピンオフな作品の印象。韓国の役者さんが精力的で張りの効いたキャラクターがとても映えて楽しかった。結構高い位置に字幕がありよく見えたから、こちらで座る位置を工夫すべきだった…
2016-11-27 16:53:23ディレクターグ42版の『女優の魂』も観たことだし、途中でJ・G・バラードを経由したキュイの演劇に関する8000字がこれです。さらにディストピアSFの話に続くかどうかは来週から始まる『現在地』を観てから考えます。 cui-genzaichi.tumblr.com/2016cui-01
2016-11-27 15:05:18小竹向原で、ディレクターグ42「岡田利規 短編小説選『女優の魂』『続・女優の魂』」。佐々木さんが体一つで演じたチェルフィッチュ版に比べ、演出の手数が多く、そもそも出演者が二人。岡田さんには『続』を最後まで書き終えていただき、自身の演出版もみたいね。韓国の検閲&デモの話は興味深い。
2016-11-26 23:34:47共有できる文脈・言語・ジャンルがない時に、ひとまずそれは「パフォーマンス」と呼ばれるしかない。実は「演劇」はそういう意味では今そこまでこの地球において普遍的ではないように思う。この認識は演劇の歴史・技術・知恵を軽視するものでは全くないとわたしは思ってますけど。
2016-11-26 00:10:44例えば今日観たディレクターグ42(いやほんとおもしろかった)だと、ソウルの小劇場のメッカであるテハンノで初演をやったそうですけど、あれってそもそも「演劇」批評でもあるわけで。さらには韓国に多元芸術という、既存ジャンルとは異なる領域が生まれたこととも無縁ではないと思う。
2016-11-26 00:06:05じわじわ思い始めていて、今日かなりはっきりしたことだけど、今自分は上演を「演劇」としてより「パフォーマンス」として捉えようとしていると思う。
2016-11-26 00:00:15観劇(超おもしろかった)後、フランス帰りの人と呑んだ。とても勉強になりました。とかいうと、はあ?とか言われそう。ピースとウインクをしてその人は去っていきました。
2016-11-25 23:57:32ディレクターグ42「女優の魂」「続・女優の魂」 #拝見 。佐々木幸子ありきの戯曲の印象が強かったが、この戯曲のグルーヴはハングルにマッチしている。チョさんがチヤーミング。イさんの味との組み合わせも良い。二つのアクティングエリアの使い分けとか字幕と通訳の使い分けなどの考え所も多い。
2016-11-25 21:55:32岡田利規 短編小説選 『女優の魂』『続・女優の魂』 @アトリエ春風舎 非常に贅沢な空間だった 韓国の俳優は、やはり力強い
2016-11-25 21:39:34あ、職業を継続するかどうかの書類の場面で日本人じゃない芸術家に変えられますか?という人種に関する台詞があったのを見落としました。
2016-11-25 17:10:27あと地獄の状態で未来永劫くすぶり続けている芸術家になれない段階で芸術の意味がわからなくなった和歌山君を母性本能で救ってあげたくなってしまう小山サダ子、女優/犯罪者が背負っている業をラップにするここ数年の東葛スポーツはこの辺から来てるのかな?と聞きたくなるほど通じる部分があった。
2016-11-25 16:48:28そして演劇界&アート界の苦い小ネタを織り交ぜつつ、死後の世界では無限に時間が残されているので大劇場を埋める目標に向かって女優の道をステップアップすることができると自身の「幸せ」を滔々と語る小山サダ子のヴィジョンが悪い夢を見ているような虚構として転がっていく。
2016-11-25 16:45:45