【刀剣】大包平は池田輝政の愛刀だったのか?

大包平は池田輝政の愛刀といわれていますが、事実なのでしょうか?
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のいまご @noimago

大包平の話をしよう。大包平は池田輝政の愛刀といわれるが、おそらく輝政は所有していなかった。理由は明白。輝政の遺物に大包平が存在しないからである。

2016-12-01 22:56:20
のいまご @noimago

また、池田家で毎年、具足始の際に大包平が飾られたとあるが、これは具足始と具足祝を混同したことによる間違いである。大包平の名前が出てくるのは具足始。簡単に言うと元服祝いである。具足祝とは年始に具足、つまり甲冑を飾って祝うこと。具足祝に大包平が飾られたという記述は見当たらない。

2016-12-01 23:34:44
のいまご @noimago

『備藩外史別録』の記述をもって、光政以前から大包平が池田家にあったとする記述も見られるが、池田宮内少輔忠雄が池田宮内「大」輔忠雄と書かれていたり、加々爪甲斐守という一世代違う人物が出てきたりと、その記述内容は信憑性に乏しい。

2016-12-02 00:23:55
のいまご @noimago

池田光政が大包平を所持していたのは、『池田光政日記』や『本阿弥光瑳名物刀記』の記述から確かである。光政の代より前に池田家に伝わっていたという記述は、今のところ確かな史料には見当たらない。

2016-12-02 00:32:44
のいまご @noimago

時の華族仲間で刀剣界の重鎮をもって鳴った松平頼平子爵、細川護立侯爵を煩して説得してもらったが、それでも池田家ではウンと言わない「祖先光政公以来伝来の家宝大包平は門外不出でござる、池田家の家憲であればこれを破ることは出来申さぬ。」と真向からはねつけてしまいました。→

2016-12-17 00:54:01
のいまご @noimago

しかしそれなり引き下る両御所ではありませんので、いろいろ策戦を練った揚句”門外不出”を逆用して『家憲の門外不出が破れぬとすれば、如何でござろう塀を越してお出し下さらぬか。』と、機転の懇請にようやく空気が和み、ともかく文部省へ運び入れたのでありますが

2016-12-17 00:54:25
のいまご @noimago

参考:杉野一太「備前刀と「大包平」」『岡山春秋』2巻10号、1952年 注:旧仮名遣いや旧漢字は修正している。

2016-12-17 00:55:46
のいまご @noimago

池田輝政の遺物が載っている史料:「池田分限帳」『大日本史料』12編10冊642~656頁(史料編纂所のデータベースで閲覧可能) 『池田光政日記』の具足始の記述:『池田光政公伝』下巻で見れる。dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『本阿弥光瑳名物刀記』:画像参照 pic.twitter.com/uVB1kojZ0U

2016-12-19 23:42:13
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