- Slight_Bright
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サイエンスコミュニケーターは職業か職能か、って話。もっとがっつり考えてみたいな。職能と結論つけられることが多いけど。
2011-02-18 18:05:44@kuniesuzuki 科学を伝える、というと双方向モデル万歳の人たちに怒られるのですがw、私自身のやってる活動をイメージしています。執筆、出演、実験教室、講演とか。そして個人的には情報を増やす、という意識はまったくないですねえ…。
2011-02-19 09:24:20@kuniesuzuki ああ、なるほど。オープンという意味に包含されそうですね>伝える。私はサイエンスコミュニケーションにおける自分のような役割は基本お節介だと思ってるんですよ。それを「科学は良きモノだからオープンにする自分の行為は素晴らしい」となったらおしまいだ的な自戒ですね
2011-02-19 09:39:45@naturefront1941 科学大好き!みんな好きなはずでしょ!とやってると、そうじゃない人はどん引きしてかえってコミュニケーションを阻害してしまうのかな?と。ただそこをわかった上で「それでも!」と言う感じでしょうか。
2011-02-19 14:12:38サイエンスコミュニケーションの入り口や、参加機会への悩みって、既にwiki界隈の人たちで議論されていることが多いように感じる。オープンにしたとき集合知だと云々とかも。私は租借し切れていないので、 @J_Steman 氏あたりにぜひお願いしたかったり…。 #scstdy
2011-02-20 04:03:37最近気になってる「フリースタイルな僧侶たち」というプロジェクト。京都の若手のお坊さんたちが、フリーマガジン発行やトークイベントなど「仏教コミュニケーション」を実践。そのうちバイオなど科学技術と仏教をテーマにジョイントさせて頂きたい。http://www.freemonk.net/
2011-02-23 23:31:25(承前)狙ってるのは「科学と宗教の対話」なんかではなく、科学やテクノロジーの問題をめぐる「社会と仏教の対話」。つまり公的空間における宗教性の挑発。逆に、科学と宗教は永遠に折り合いつくはずがないし、そう思ってもいけない。根本的には折り合えないがゆえに意味がある。
2011-02-23 23:35:13oO(しかし「科学技術の国民対話」とかいいつつ、国民・市民を「説明され納得させられるだけ」の存在とし、研究者の側が対話を通じて学習・発見したり考えを変えたりする可能性は一切無視って、やっぱり酷いな。
2011-02-24 17:15:39(承前)この前も呟いたけど、政治的なオープンネスは単なる情報の公開性ではないし、アカウンタビリティは説明責任ではなく「説明応答責任」。相互行為=コミュニケーションを通じて、相手が変化しうるとともに自分の側も変わりうること。「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」。
2011-02-24 17:18:39(承前)恐らく「科学技術との国民対話」ということで想定されてる「国民」というのは、まるで小学生のように何もかも無知で、ちゃんと正しく・わかりやすく説明しないと、科学技術に対してなんでもかんでも反対する不合理な存在なのだろう。しかし、そんなのは「非実在国民」に過ぎないのではないか。
2011-02-24 17:22:04(承前)「実在」する国民は、たとえばある科学技術の専門分野については無知であったとしても、それぞれの職業等の文脈で様々な専門性や経験、洞察、価値観をもっている。つまり誰もが何かについて専門家であり他については素人であり、科学者もその一部に過ぎない。
2011-02-24 17:25:30(承前)そういう人たち同士の間での相互学習・相互変容の可能性があるかどうかが、本来の「双方向性」や「オープンネス」の要のはず。もちろんそれを可能にするのは、対面的な直接対話だけではないし、むしろ間に様々な解釈や分析が入るような間接的対話の仕掛けが必要なはず。
2011-02-24 17:30:51(承前)そういう直接・間接的な「対話」の仕掛けを作り、研究を社会に対してオープンでアカウンタブルなものにすること、そうやって、一緒に研究を通じて社会の未来を模索する「共創的イノベーション・ガバナンス」という発想と実践なしには、「国民対話」は無意味で無駄なものになってしまうだろう。
2011-02-24 17:36:21さっき「まるで小学生のように何もかも無知で」という書いたけど、小学生との対話でもたくさん学べることがあるというのは、実際に学校や科学館などで小学生を相手にしてる方々は熟知されているのでしょう。
2011-02-24 17:49:01先ほど研究者と国民・市民との「途中に解釈や分析が入る間接的対話」と書いたことについて補足。対面的・リアルタイムな対話の場は、相互学習・相互変容の場としてそれなりのポテンシャルがあるが、そこでの「素人」たちの言葉や疑問が、そのまんま研究の方向性に関わるものにはなかなかならない。
2011-02-24 18:11:33(承前)たとえば「素人」が発するいろいろな疑問の言葉と、研究者にとっての疑念=リサーチクエスチョンの間にはとっても大きな距離がある。しかしだからといって素人の疑問は研究者にとって無意味というわけでは必ずもない。
2011-02-24 18:14:23(承前)つまり、一見、「素朴」で研究現場には無縁に見える言葉や疑問にも、社会的・政治的・倫理的その他も含めた多角的観点から分析・解釈を加えることで、研究内容そのものに関わったり、研究の目標設定や関連する政策において検討すべき重要な問いかけがしばしば含まれている。
2011-02-24 18:16:01うん。だから「避けたい」。まあウィキペディアというものの性質を考えてそれに気づく人をこそ優秀というべきなのでしょうけど。出来ていない人が成長することや、出来ていない人だからこそ問い直せることに、とりあえず向かい合うことが期待される。 @britty
2011-02-25 21:15:04善し悪しは分からんけど、流行ってないと思う・・・。RT @tomo_kurata: 「人類の持続可能性の為」に科学コミュニケーションが必要、ってはやってるのかなぁ?
2011-02-25 22:08:11@britty つかね。優秀と言っても所詮母体はウィキペディア。完璧な記事に近いものが書けるならともかく、優秀と言っても相対的なものなわけで、自分を安全圏に置いて他者を排除するような線の引き方を勝手にするなら、せめて日本語圏で第一人者になってください、みたいな。
2011-02-25 23:02:45とはいえ、この違和感はなかなか言葉で表現しきれないので、皆さんもご一読を。新書で安いしね。一般向け新書のスタイルだけど、「科学コミュニケーター」に向けて書かれている内容。平凡社新書「科学コミュニケーション」
2011-02-25 23:07:38言い直す。優秀な執筆者が、優秀であるがゆえに気づいていることが周囲に伝わらないようなことは、第三者として回避させたい。優秀な執筆者が、優秀であるがゆえに他者にも優秀であることを強いることも、第三者として回避させたい。 #jawp
2011-02-25 23:08:30