「地域から医療再生へ<5>西脇編」 -htomihara(冨原均)さんの投稿より
地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:1951年以来長きにわたって市民の健康を守り続けた病院も、医師不足の流れで、51名いた医師も、36名にまで減少。平成15年、50名で2億4千万の黒字、平成17年に、43名に減少とともに、200万の黒字に減少。以後、赤字経営になっていきます。
2010-03-21 23:31:59地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:医師数が40を割り込んだ平成18年、医師数38名2億2千万の赤字となります。平成19年、病院の外来棟グランドオープン時、入院制限にて6億5千万の赤字。これに新病院建設費150億円を抱えて21年11月グランドオープンを迎えます。
2010-03-21 23:38:33地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:もちろん話は簡単です。大きな赤字を抱えて、「降参する」か、市民で支えるかです。150億円に建設費には驚きました。誰が立案し、将来設計を立てたのか、誰に責任が。東金病院の平井先生にお出あいした折りに、1床あたり2千万が最高額とお聞きしました。
2010-03-21 23:43:15地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:350床×2千万=70億円。実際は約倍額の150億円。全国で無計画な巨大病院建設により、自治体の赤字負債の増加が、さらなる医療崩壊を引き起こしています。西脇よ、おまえもか!と思いましたし、多くの市民もそう感じておられます。どうするのか!?
2010-03-21 23:47:38地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:私たちは、市民へ問いかけました。市長をリコールしますか(現市長のプランではない)病院を見放しますか、政治闘争しますか、それとも病院の頑張っておられる職員を支える運動をしますかと。多くの市民は西脇の最後のランドマークである病院を支えると!!
2010-03-21 23:50:19地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:医師数の減少は病院収益を確実に悪化させます。そして病院からさらに医師が退職します。悪循環に陥ります。病院の医師をはじめとした職員のモチベーションを上げ、新しい医師に来て頂ける地域作りをしようと決意を新たにし、奮闘を始めました。
2010-03-21 23:52:50地域から医療再生へ。<5>市立西脇病院:西脇病院小児科を守る会:小児科医が1名になり、入院が出来なくなってお母さんたちに動揺が起こりました。西脇市多可郡医師会の小児科医、藤田医師がお母さんたちに医療崩壊の現状を説明、柏原のお母さんたちに続き、「守る会」が結成されたのです。
2010-03-21 23:55:35地域から医療再生へ。<5>西脇:「守る会」お母さんたちは「西脇病院小児科の先生がお一人になられ(平成19年7月)、入院診療が出来なくなっているの。何とかしてほしい」と守る会を結成(平成20年1月)寒い雪の日も街頭に立たれ署名活動をされました。65241筆。西脇市の人口より多い!!
2010-03-22 00:07:14地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会などの市民運動には限界もあります。遅れること3ヶ月、医師会が中心となる市民を含む運動体「地域医療検討会」を組織しました。平成20年4月。最初の会合がお母さんたちとの意見交換会でした。そして医師会は、「守る会」を支えますと宣言したのです。
2010-03-22 00:12:32地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会:住民に対して、適正受診を心がける(コンビニ受診は、言葉的に正しくないと思います、必要があれば、躊躇なく夜間でも受診する)そうすることによって、お医者さんを守る・救急医療を守る・地域の医療を守ることを提案・実践されていくのです。
2010-03-22 00:18:12地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会:今まで考えなかった「医療」について考え、「ありがとう」という感謝の気持ちが一段と強くなったと。西脇病院の一人になられた先生に「ありがとうメッセージ」が届けられ、小児科の先生は「出来る限りとしか言えませんが、頑張ります。」と応えられたのです。
2010-03-22 00:25:12地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会:この話を書いているだけで、私自身泣きそうになります。小児科学会で「守る会」の活動報告に多くの最前線で診療されている小児科医が涙しています。救急の現場で、時には罵倒され、不合理な訴訟の中で頑張ってきたが、限界に達していた医師を支えたのです。
2010-03-22 00:30:43地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会:救急の医師は、やめたくてやめるわけではありません。救急がイヤなわけでもありません。むしろ好きだからこそ頑張っているのです。大切なことは、医師の心を折るのでなく、心を支えることです。それこそが、「守る会」のお母さんたちの活動なのです。
2010-03-22 00:33:07地域から医療再生へ。<5>西脇:守る会:「報われた日」平成21年4月。東京から兵庫県へと考えておられた小児科医が、お母さんたちの活動も考慮され、西脇病院へ赴任されたのです。そして2年ぶりに入院が再開されました。西脇病院が明るい未来に向かって走り出しました。お母さんたち!やった!!
2010-03-22 00:38:08地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:開業する際に、なぜ開業するのかという欄がある。おおむね「地域医療に貢献するため」という風に記載するらしく、そういえば私もそう書いたなと・・。救命から開業。静岡から西脇へと、落下傘がごとく開業。もともと地元に開業したのは、14年前。
2010-03-24 22:18:02地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:救命の仕事は厳しかったが楽しかった。ポジションもあった。そこへ阪神淡路大震災。いてもたってもいられずに静岡県全13チームの1つ順天堂で神戸、王子体育館へ。様々な出会いが被災地であった。日との持つ優しさ・思いやり・助け合いの心にふれた。
2010-03-24 22:22:48地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:情に弱く、時に流されやすく、時に激しやすい私が、開業を決意したのは、やはり被災地でのふれあいに情がほだされたこともあっただろう。被災地から静岡に戻ったときに、退職を申し出た。それなりに地域医療のことを考えてのことだった。
2010-03-24 22:27:16地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:救命センターと開業のギャップ。毎日がギャップに苦しんだ日々。同じ患者さんなのだが、やっぱり違う。悪く言えば刺激のない毎日。開業後、父が急性白血病で死亡。発見したのが開業後3ヶ月で善意から引き継いだ時、あっという間の死だった。
2010-03-24 22:30:35地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:父の死に向き合えたのは開業のおかげだったが、やはり診療所に閉じこもってはいられないと実感。医療講演会に精を出すことに。その中で救命時代には気がつかなかったこと。病院前救急のお粗末さに直面。これこそ救命での経験を生かせると。
2010-03-24 22:33:20地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:心肺蘇生法の講習会を始めて、水を得た魚のように頑張ってきた。この活動(北播磨地域ビジョン)については、後日述べることにするが、そうした中、医療崩壊・自治体病院の危機的状況に直面。マスコミ・住民・医師自身もが勤務医の心を折っていると。
2010-03-24 22:37:33地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:救命で勤務していたからこそ理解できることがある。もう5年若かったら病院への復帰も考えることもあったと思う。何とか勤務医と開業医の間を取り持ちながら支えたいと考えるようになった。自然と地域医療室から、支援策の相談を受けることになった。
2010-03-24 22:40:32地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:西脇病院は51名の医師が最低時36名になり、43名を割り込んだあたりから赤字となっている。医師不足は、財政的な危機をも招いている。不足により各医師への業務での負担が増す中での日当直。割り当てさえも、ままならないとの副院長の訴え。
2010-03-24 22:44:19地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:まずやれるところから始めよう。理事会で月2回の日曜の日直業務負担を理事会の議題に。意外に皆が賛成。医師会総会でも反対意見も出たが、地域医療を支えるというのが医師会=開業医の使命であるなら、これまでと逆に病院を支援しようと決議。
2010-03-24 22:50:23地域から医療再生へ。<5>西脇市多可郡医師会:月に2度ばかりの日直支援だったが副産物が実は大きかったと今は思う。今でも多くの勤務医の皆さんは医師会に対して「うさんくさい」と感じておられる方も多いだろう。私自身も勤務医時代にはそう感じていたからだ。西脇病院の医師・看護師・事務も。
2010-03-24 22:54:26