2016年12月6日の備忘録

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つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

1935年に勃発した旧王党派の蜂起に始まるイスパニア内戦へ各国は挙って義勇軍を派遣した。八洲陸軍も戦闘機隊や最新鋭の94式軽装甲車、95式軽戦車を派遣し実戦試験を行なったが、ヴィーンランドが供給した重機関銃の前に予想外の被害を積み重ね、軍備計画そのものの再考を余儀なくされた

2016-12-05 21:49:59
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

当初は捜索連隊用軽装甲車、快速戦車部隊用ハ号戦車の二種を主力に据えた機械化機動軍を志向していたが、両車種が共に歩兵陣地の火力に撃破されうる現状は装備開発と調達の計画を根底から覆すこととなった。36年より次期主力戦車チハ、チニの開発が開始されたがイスパニア派遣団からの報告により(続

2016-12-05 21:58:01
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

「時期中戦車ノ砲塔ハ二名又は三名用ヲ以テ可トス可シ。一名用ハ指揮、射撃、観測、ノ全般不利ニテ絶対不可」とされ、チハ車の採用が決定された。機甲本部はより大型の二十瓲級戦車を要求していたが機甲部隊の急速拡充には間に合わないと判断され、習作として開発されたチハ車の量産が決定された

2016-12-05 22:03:44
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

こうして量産配備の進んだ97式チハ車であるが、38年に勃発した第二次上海事変では投入された先行量産車が予想外の苦戦を強いられることとなった。イスパニアでは問題視されなかったが、ガリア製歩兵戦車の45mm装甲を撃ち抜けない57mm砲は今後の戦車戦に適さないことが判明したのである

2016-12-05 22:07:36
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

参謀本部主導で開発されていた試製98式チホ車は車体の小ささから来る発展性の不足と装甲の薄さから採用しないことが決定されながら技術実証を兼ねて製作が進められていた。これが搭載した試製47mm砲はイスパニアでの戦訓から自国の立ち遅れた37mm速射砲に危機感を覚え開発の急がれた(続

2016-12-05 22:15:40
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

ものであったが、適宜改修し戦車砲としたのであった。上海事変における自国戦車の火力不足を認識した八洲陸軍は距離500m以上において50mmの装甲を貫通可能な主砲の搭載を時期中戦車に求めると共に、不十分ながらチハ車へ応急的にチホ車の砲塔を改修し搭載、上海へと投入した

2016-12-05 22:18:46
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

@tsumuji_wind typoと修正 時期中戦車→次期中戦車 500mにおいて50mm→1000mにおいて50mm

2016-12-05 23:29:18
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

チホ砲塔搭載チハ車(通称チハ改、後には上海型とも)は期待通りの能力を発揮し、その火力でR35型軽戦車を撃破することに成功したがガルダリケ製45mm砲のみならずガリア製25mm砲の攻撃で撃破される例も多く、砲塔も手狭であったことから機甲本部はチハのさらなる改修を進めさせた

2016-12-05 22:23:37
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

歩兵用速射砲として開発の進んでいた99式機動47mm砲を改修した短砲身の99式47mm戦車砲を搭載した拡大型砲塔を搭載するチハⅡは39年以降急速に量産と既存車両からの改修が進められ、同年に勃発した満洲帝国と大モンゴル・ウルスの国境紛争、通称ノモンハン事件には上海型と共に投入された

2016-12-05 22:26:35
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

戦車戦においては長距離からBT-5快速戦車やT-26歩兵戦車を圧倒した八洲軍が優位であったが、モンゴル・ウルスの騎兵軍を援助する形で参戦したガルダリケ軍は砲兵戦で主導権を握ると大兵力による攻勢で八洲、満洲連合軍を旧国境線より駆逐した。しかしこの戦いで鹵獲された装輪装甲車は後に(続

2016-12-05 22:29:34
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

海軍陸戦隊へ譲渡され上海の警備に投入された。海軍はさらに、装輪装甲車開発において90式57mm砲と砲塔の譲渡を要請している。後年のメリディオナリア戦線では海軍航空隊基地の警備に当たっていた57mm砲搭載6輪装甲車が襲撃部隊のM8装甲車を撃破した記録が残っている他、各所で活用された

2016-12-05 22:33:50
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

チハⅡの生産と改修は38年に開設された陸軍の平壤砲兵工廠や咸興の自動車工場でも行われ、41年以降八洲本国の工場における生産がチヘやチヌ、チトへと移り変わっていく中で自走砲車体としてのチハや旧式化したチハ車の改修、さらには旧式火砲のチハ車体を利用した機動化などもこれらで行われ続けた

2016-12-05 22:51:36
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

チハの改修と平行し、機甲本部は20トン級中戦車を皇紀2600年を目処に開発すると決定し、急ピッチで概要の策定と設計作業が進められた。仮想敵国であるガルダリケが彼らと同様に20トン級中戦車の開発を行っているという情報から設計は急がれ、チハを拡大する形で纏められた

2016-12-05 22:56:20
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

主砲には新開発の長砲身57mm砲を搭載、97式車載重機関銃はイスパニアでの戦訓によりチハⅡより引き続き同軸装備かつ砲の動作は機力を主とすることとされた。しかし41年になっても新型五十七粍戦車砲及び機動五十七粍砲の開発は完了しておらず、チヘ車の初期型は47mm砲装備とされた

2016-12-05 23:10:41
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

一式中戦車チヘは42年より一式五糎七戦車砲を装備。さらに百式重戦車用に開発された大型砲塔を搭載した三式中戦車チヌ(百式七糎半戦車砲、九〇式野砲の改修型)、チヌⅡ(三式七糎半戦車砲、九九式七糎半野戦高射砲の改修型)へと発展し休戦まで八洲陸軍の主力戦車として使用され続けた

2016-12-05 23:21:56
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

チヘ車の量産と配備に伴い、チハ車は次第に二線級部隊へと下げられていった。捜索連隊の軽戦車は試製九八式軽戦車から発展し、チホ用を改修した砲塔に短砲身型47mm砲を搭載する二式軽戦車ケトが採用されていたが、この不足を補うためチハⅡが利用されていた

2016-12-05 23:28:04
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

チハの戦車としての新規生産数は大幅に削減されていたが、支援車両である自走砲の車体として生産が続行され九〇式野砲を搭載する九九式ホニ、九一式榴弾砲を搭載する九九式ホニⅡ、百式七糎半戦車砲を搭載し対戦車戦闘を重視した三式ホニⅢなどが開発、生産された

2016-12-05 23:31:48
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

これらと並行して、主に三八式系の旧式火砲を装備していた朝鮮軍が主力戦車としてのチハ、ハ号のみならずこれらの車体を利用して射程の不足した旧式砲の活用を模索するようになる。まず余剰装備となりつつあった九五式軽戦車ハ号に同じく余剰となったチハの砲塔を搭載し、試製三式軽戦車ケリ(続

2016-12-05 23:34:48
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

三式軽戦車ケヌが開発された。自走砲はホニ系の開発を参考として咸興で設計が進められ、ハ号の車体に三八式12cm榴弾砲を搭載した二式十二糎自走砲ホト、チハの車体に三八式15cm榴弾砲を搭載した三式十五糎自走砲ホロが開発され、ともに華北方面の戦闘へ投入されたと記録されている

2016-12-05 23:38:44
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

ヴィーンランドの新型戦車M4に対する47mm戦車砲の威力不足は深刻であり、正面から打撃を与えられる可能性は限定的であった。二線級ではあるが各地で利用の続いているチハ車の火力強化として、75mm榴弾砲を搭載する試製一式砲戦車ホイの制式化と、その砲架を利用して一式57mm戦車砲を(続

2016-12-05 23:42:35
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

搭載したチハⅢの制式化が行われた。これらは一部を除き既存車両の改修で行われており、実戦投入の記録は少なく、懸念されていたM4中戦車とチハの交戦も例が極めて少なかったことから戦果は不明とされている

2016-12-05 23:44:41
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

ホイ車の採用と量産に伴い、改造三八式野砲を九五式軽戦車に搭載した試製三式七糎半自走砲ホチの制式化は見送られることとなった。他に対空戦車も数種試作されたがハ号車体使用のものは安定性不良により不採用とされ、九九式四〇粍対空機関銃をチハ車体に搭載した対空戦車タセのみが実用化された

2016-12-06 00:46:52
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

海軍陸戦隊は陸戦用装備の多くを陸軍からの供給に頼っていた結果、主に旧式火器を受け取っていた。ガリポリ戦に投入されて以降は不足装備を独自に海外から輸入することで補っていたが、兵器国産化と機械化の中で陸軍からの供給装備を原型に独自改修を加えて利用するようになっていった

2016-12-06 00:53:54
つむじ伯(混沌・善) @tsumuji_wind

まず、戦艦の改装や八八艦隊計画時に量産して以来倉庫に収蔵されたままになっていた三年式14cm砲を陸戦砲架に搭載し、沿岸砲台としての設置のみならず野戦重砲としてある程度活用出来るように改修した。また、同様に三年式12cm砲も改造され、各鎮守府陸戦隊の重砲隊に配備された

2016-12-06 01:03:04