考古学者xガイドの軽率なホモを書いていく
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目を刺す光に覚ますと、忌々しいFacebookの通知がモニタを煌々と輝かせているところだった。数十年前に同じゼミだった、今は超有名エッセイストの同級生の、ハッピーで最高な日常がつづられているだろうそれを見ないふりしてスリープボタンを押すと、あくびをし、背骨を鳴らして伸びをした。
2016-11-28 01:20:21どうやら採点中に寝落ちてしまったらしい。朝の青緑色の日差しがブラインドの隙間から誇り臭い研究室に差し込んでいた。デスクで寝るのが最近つらいというのに。ため息を一つこぼし、凝りに凝った肩をくるりと回すと、立ち上がって皺だらけのジャケットを羽織る。おいしいコーヒーでも飲みたい気分だ。
2016-11-28 01:22:32ドアを開ければ、まだ静まり返った廊下は壮年の清掃員がいるくらいでほかには誰もいない。昼も過ぎれば、単位取得が容易な私のクラスはまるで猿のような生徒であふれ、私は誰も聞いていない講義を1時間垂れ流す羽目になる。どうせなら昼寝をしていてくれれば、ずっと静かでいいのに。そうこぼしながら
2016-11-28 01:25:25裏口のガラス扉を開けば、清々しい朝の冷たい空気が顔に当たった。秋口の空気はひんやりとしていて、ジャケットがなければ寒くてしようがない。既婚の職員ならば家に帰ればアイロンのパリッとかかったシャツの1枚や2枚あるのだろうが、悲しいことに36を迎えた私の家で待つものは誰もいなかった。
2016-11-28 01:28:58大学の敷地内に店舗を構えるチェーンのコーヒーショップは、私だけでなく殆どの職員の行きつけだ。味は大したことなく、時折ひどい泥水のような液体がサーブされることもあるが、暖かいコーヒーが飲めるのに越したことはない。よって私もまた、経営者に踊らされたまま、ぬるいドブ水を啜るのだ。
2016-11-28 01:33:20濃く苦すぎるブラックコーヒーをマシにするため、しこたま砂糖をいれる。また次の健康診断で糖尿を注意されるのはいつものことだった。もはや糖蜜と違いがないその黒い液体を口に含むと、えぐい様な味覚が眠気を蹴り飛ばすようだ。この泥水で一日が始まり、猿とダンスを踊り、研究室で意識を失う。
2016-11-28 01:37:00まるでプログラミングされたかのように鮮やかに滞りなく、私のみじめで下らない一日が、また今日も繰り返されるのだ。秋の風は骨身に染みるように駆け抜ける。こんな時、家族の一人、またはそう、恋人でもいれば違うんだろうなと、朝早いクラスの生徒たちが手をつないで通り過ぎていくのを眺めた。
2016-11-28 01:42:14美味しいコーヒーを、と思っていたのにこのクソみたいなコーヒーショップに来てしまったのは単に不精なのだ。人目もはばからず、自身の人生の縮図みたいな皺だらけのジャケットを着れるのも、地球の何処かをほっつき回っている教授の”代理”としてたった数十枚のドル札で講師を請け負っているのも全て
2016-11-28 15:51:43不精なのだ。泥水の最後の一口を飲み下し、空の紙コップをトラッシュボックスに投げると、それは一回転して中途半端に引っかかった。何もかもがイマイチだ。ため息をついて改めてそれを箱の中に押しやると、陽気な事務職の同僚がコーヒーを買い求めに私の隣にやってきたところだった。
2016-11-28 15:59:02やぁ、クリフと声をかければ、いつものラージサイズのカフェ・モカを手にした彼が女生徒人気ナンバーワンの笑顔を無償で振りまいてくれる。彼は私のことはなんとも思っていないが、私は彼のことが苦手だった。私もこんな屈託のない笑顔を浮かべられたら、寂しい人生を謳歌しなくても済んだのでないかと
2016-11-28 16:00:30思ってしまうのである。 「ようパース、今日も相変わらずシワクチャだな。顔は若いのに雰囲気が老人だ。60過ぎのプロフェッサー・ブレンダンのほうが生き生きしてるぜ」 そう言いながら彼はそのおしゃれなタンブラーを傾けた。うん、相変わらずマズイねココは。そんな事を店の前で言って業務妨害で
2016-11-28 16:01:59訴えられやしないだろうか。私の心配とはよそに彼は勝手に話を進めて満足したのか、手を振って去っていった。きっとそんな勢いがあるから人に好かれるのだろう。理解はしていても到底真似はできようがなかった。こんな分析をしているくらいには自分がネガティヴで腐っているのを知っているからだ。
2016-11-28 16:04:22ブレンダン教授より年老いて見えるという言葉が跡を引きずる。コーヒーショップの窓に反射する姿を見てみれば、確かに疲れた顔の艶のない中年が映り込んでいる。それもこれも、そのブレンダン教授が研究室に居着いてくれれば要らない心配なのだが。大きくため息をついて研究室への道を戻り始めた。
2016-11-28 16:08:24002
研究室の扉を開くと、くたびれた応接ソファに書類がうず高く積まれ、壁の本棚には文献が所狭しと並べられる。デスクの上には古めかしい90年台のPCの隣に、最新のMacbookが置かれている。私はその、Macbookの方を開いて仕事の続きを開くと、再びため息をしてから取り掛かった。
2016-11-28 16:13:18このパワーポイントは今日の午後までに仕上げなければならない。正直言うと学生のテストの採点などその後でもよいのだ。ブレンダン教授が資料を送らないから途中になっていた採点を始めただけ。全て教授のせい。コーヒーがマズイのも、私が家に帰れないのも、猿の相手をしなければならないのも、全部だ
2016-11-28 16:15:59私は教授ではない。書類上は助手という扱いにされており、その給与はブレンダン教授に出される研究予算から捻出されている。この研究室の本来の持ち主はもちろんブレンダン教授だ。その教授が何をしているかと言えば、世界中を飛び回っては調査研究に勤しんでいる。数ヶ月に1度の学会にも顔を出さない
2016-11-28 16:17:06のだ。なんとその貴重な資料をまとめて手柄として発表する学会の集まりさえも私に丸投げする。助手という名の使いっ走り。私がやるべきことは、彼の送る資料を適切にまとめ、汚いメモを清書し、ブレンダン教授の言葉として発表すること。その仕事をひとつやるたび、過去には滾っていたはずの情熱は
2016-11-28 16:21:00少しずつ冷めていくのだった。学生の頃には、自身の胸の内にもロマンや情熱はあったはずだが、今では微塵も感じない。ただの古いもの。自分の人生を過去の人物に縛られているような気分だ。まぁその仕事のおかげで食いっぱぐれず、郊外の狭いアパルトメントを維持できていると思えば辞めるに辞めれない
2016-11-28 16:23:00まさに不精。それも筋金入りのだ。苦笑しながら今朝届いたばかりの写真を貼り付け、クセのある尖った文字をゴシック体に置き換える。彼が今追っているのはアラスカに"あるかもしれない"古代の文明の痕跡だった。こうやって定期的に成果を報告しないと予算が降りない。降りないということは
2016-11-28 16:34:32私もまた金に困るということだ。ようやく乱暴に暴れる蛇の足跡を人間の言葉に直し切ると、時計は10時を回るところだった。ファイルを保存してMacbookの電源を落とす。今日は学会あるということで午後の考古学のクラスは休講だ。11時から12時までのクラスの前にランチを済ませてもいいかも
2016-11-28 18:09:48しれない。軽く上半身のストレッチをしてジャケット……は置いていくことにし、緩んでいたタイを軽く締めてテキストを手にした。今のクラスの講義はアステカ文明について研究で明らかになっている史実を説明するだけのレクチャーだ。専門的なことが知りたいやつはプロフェッサー・スミスの研究室で
2016-11-28 18:12:44もっとちゃんとした考古学を学んでいるはずだろうし、試験前にテキストを丸暗記すればいいような私のクラスに、真面目な考古学の生徒が集まるわけがなかった。果たして講義室の扉を開けて見れば、3,4人の不真面目そうな生徒達が、スマートフォンに目を落としていた。デスクの上にはテキストはなく、
2016-11-28 18:14:51代わりにスナック菓子が幾つかと、あの不味いコーヒーのタンブラー、そしてスマートフォンのケーブルが置いてある。生徒は講師である私に一瞥をくれたあと、再びスマートフォンに視線を戻した。今日は静かでやりやすい。恋に花咲かせるハイティーンの会話は騒々しいし、明日のバスケットボールについて
2016-11-28 18:16:38