メモ・中野重治

備忘録です 附論 : 丸山真男について
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seki_yo @seki_yo

日本軍の 蛮行で 思い出したけど、中野重治について つぶやいた ツイートが けっこう ありました。 再録してみます。

2016-12-11 16:03:14
seki_yo @seki_yo

マニラでの 出来事か 否かは 不明だが、日本軍の フィリピンにおける 虐殺に 触れた 文学者は、残念ながら 中野重治 一人ですね (『わが国 わが国びと』)。

2013-01-13 20:03:21
seki_yo @seki_yo

1. だいぶ前だけど、福井県 丸岡町の 中野重治記念文庫に 行ったことがある。 隣の 鯖江市は そのころ 眼鏡フレームの 生産が 盛んだった。 安く 買い叩かれていて、グロス単位で 出荷していた。

2013-03-14 01:24:17
seki_yo @seki_yo

2. 丘の上にある、中野重治が 建てなければよかったと いった 丸岡城にも 登ってみた。 まわりからは 織機の パタンパタンという 音が 聞こえた。 木造の 城は 年月を 経て、落ち着いた ようすに なっていた。

2013-03-14 01:27:08
seki_yo @seki_yo

3. 中野重治記念文庫では、入り口で 手荷物を 預け、鍵を 開けて 部屋に 入る。 訪問する 人も あまり いないようすだった。

2013-03-14 01:28:41
seki_yo @seki_yo

5. 訪れた 目的は、中野重治が 湯浅芳子の 訳した チェホフ著『中二階のある家』を 読んだのかと いうことだった。 手ずれのある 文庫本をみて、それが 確かめられた。

2013-03-14 01:34:41
seki_yo @seki_yo

6. また 中野重治は、中江兆民の『一年有半』も 入手し、繙いたようだ。 書架に 収められていた『一年有半』は、兆民の 生前に 出版された 博文館版だった。(了)

2013-03-14 01:37:14
seki_yo @seki_yo

中野重治「実際 私たちは、わが国、わが国びと、つまるところ 日本人 私が、過去に 外国、外国人に 対して 何を してきたかを よく 知っていない。(「わが国 わが国びと」)

2013-11-24 17:48:13
seki_yo @seki_yo

中野重治「1950年以前の 時期に、日本の 国会へ、フィリピン国会から 何とかいう 上院議員が 来て 私たちと 話し合ったことがあった。(中略) (「わが国 わが国びと」)

2013-11-24 17:50:44
seki_yo @seki_yo

中野重治「それから なお 問答があったが、戦争のとき、この人の 子供が 日本兵の手で 殺されたのだったということを 私たちは 後で どこからか 知らされたのだった。(「わが国 わが国びと」)

2013-11-24 17:53:13
seki_yo @seki_yo

中野重治「『あの人の 子供を、それは まだ 誕生まえの 全くの 赤ん坊だったが、日本兵が 室内で ほうり上げて、落ちてくるところを 下から 銃剣で 刺し殺した ...』(「わが国 わが国びと」)

2013-11-24 17:56:36
seki_yo @seki_yo

中野重治「その人は、戦争のときのことには 一言半句 ふれていなかった。(「わが国 わが国びと」)

2013-11-24 17:58:14
seki_yo @seki_yo

中野重治が 書いていたが、朝鮮戦争のとき、米軍の 仁川上陸作戦だったと 思う、海上保安庁の 職員は 司令部の 命令に 対して、危険な 戦地には 赴けないとして 出動を 拒否している。 いまでは 考えられない 出来事だ。

2015-01-18 16:20:38
seki_yo @seki_yo

鎌田慧氏で 思い出すのは 新日本文学会が 解散した時のこと。 あの 建物は 中野重治が 筑摩書房に 借金までして 建築費用の 多くを 捻出したのに、解散時に 代表だった 鎌田氏、そのことには まったく 触れなかった。 借地であれば 解散後、とうに 壊されただろうけど ...

2015-04-08 14:11:17
seki_yo @seki_yo

中野重治著『小林多喜二と宮本百合子』(1972年刊) を 再読、前書きに マズレールについての 記述があったことに 気づいた。 マズレールは ベルギーの 版画家、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』の 木版画による 連作挿絵が 知られています。

2016-01-23 20:01:45
seki_yo @seki_yo

「宮本百合子は、1930年代の 仕事のなかで ずいぶん 無理をして 金の 工面をしたようにも 思う」(中野重治)

2016-01-23 20:03:44
seki_yo @seki_yo

「大事にしていた 本の類も 売ったりもした。 ベルギーの マズレールの 版画集なども 彼女は 手ばなしていた」(中野重治)

2016-01-23 20:09:26
seki_yo @seki_yo

「こんなことは、私に 気づいたことの 一つで 九牛の一毛に 過ぎぬだろう」(中野重治)

2016-01-23 20:10:52
seki_yo @seki_yo

↓ 占領下の 日本、当時 国会議員だった 中野重治、すぐに 故郷でもある 福井県へ 現地視察に 赴こうとしたが、共産党員という 理由で 被災地には 入れませんでした ...

2016-04-28 11:59:36
seki_yo @seki_yo

丸山真男も 日本軍の 蛮行について 触れてましたね、わずかですが。

2016-12-11 16:20:46
seki_yo @seki_yo

↓ 日本への 本格的空爆に 先立ち、マッカーサーは フィリッピン上陸の 直前、首都周辺を 焼夷弾攻撃し、マニラ市街は 文字通り 焦土と 化した。 連合軍によって こうした 戦術が 取られたのは、ヨーロッパ戦線では ワルシャワだけだった。

2013-11-01 13:04:33
seki_yo @seki_yo

(参考) "Murderous Army" 米軍による 空爆に さらされた マニラ市街では、敗走する 駐留日本軍によって 無差別殺害が 実行されていた。 d.hatena.ne.jp/sekiyo/2008080…

2013-11-01 13:15:28
seki_yo @seki_yo

父親が 新聞社勤務だった 丸山真男は、こうした 情報を 知っていたと 考えていい。 彼の「超国家主義の論理と心理」(『現代政治の思想と行動』収録) には、それを 示唆する 文章が 含まれている。

2013-11-01 13:22:20
seki_yo @seki_yo

(補論) 丸山真男と マニラ大虐殺 3. 画期的な 論文「超国家主義の論理と心理」を 生み出す 一助となった、日本軍による マニラ大虐殺だが、丸山真男は その後、この 出来事を 振り返ることは 一度として なかった。

2015-08-02 14:52:28
seki_yo @seki_yo

(補) 1945年 9月 15日、GHQ は「フィリピンにおける日本軍の典型的残虐行為」を 発表、各新聞紙上に 掲載される。

2014-04-29 12:49:02