96
切り取り線neo(時報) @kiri_tori_neo
✄---------- 12/20(火)----------✄
佐賀の戦国史 @sagasengoku
【詳しい方へ質問】★これらの物が佐賀藩支藩の家老系旧家から発見されましたが、どういう物なのか不明だそうです。ご存知の方いらっしゃれば教えていただければ幸いです。受筒、袖印?ではないかと、、 pic.twitter.com/Ilrw0vgM4j
拡大
拡大
拡大
拡大
佐賀の戦国史 @sagasengoku
@sagasengoku これらがワンセットで保管されていたそうです。セットなのか、たまたま一緒になっていただけか不明です。
佐賀の戦国史 @sagasengoku

★「第二回 関ヶ原の戦いを再検討する ー高橋陽介・乃至政彦両氏に聞く関ヶ原の戦いの実像ー」三講師:白峰旬、高橋陽介、乃至政彦 ■日時:2019年6月23日 12:00~16:00 ■場所:KOKURAホール(福岡県北九州市小倉) / 佐賀戦国研究会

https://t.co/9tOkZkzIsw
中西豪@史道不覚悟 @take_nakanishi
【実見】当世具足の受け筒と差し物の柄の下端は間違いないようだけど、袖印様のものは柔軟性がない。精緻な筋彫り文様のある金属板は何かの装飾部品? twitter.com/sagasengoku/st…
中西豪@史道不覚悟 @take_nakanishi
十二日足紋の小旗が小城鍋島家の家老旧宅に残っていたという不思議。 twitter.com/sagasengoku/st…
リンク Wikipedia 1 当世具足 当世具足(とうせいぐそく)とは、日本の甲冑の分類名称の一つ。戦術の変化、武器の進歩、西洋甲冑の影響などのさまざまな要因により、室町時代後期から安土桃山時代に生じた鎧の形式。単に具足とも称す。 「当世」とは「現代」の意で、戦国時代当時の人々が、伝統的な鎧に比べて「今様」の新しい鎧という含意をもって用いた呼称が形式化したものである。それまで主流であった胴丸・腹..

当世具足(とうせい ぐそく)とは、日本の甲冑の分類名称の一つ。戦術の変化、武器の進歩、西洋甲冑の影響などのさまざまな要因により、室町時代後期から安土桃山時代に生じた鎧の形式。

リンク コトバンク 受筒(ウケヅツ)とは - コトバンク デジタル大辞泉 - 受筒の用語解説 - 1 具足の背部につけた、軍陣で指物を差し込むための筒。指筒(さしづつ)。2 生け花で、鉛や鉄製の円筒形の花留め。
リンク コトバンク 指物(さしもの)とは - コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 指物の用語解説 - 差物,捺物,挿物とも書き,背旗ともいう。戦国時代,武士が自己の存在,所属を誇示するために,具足の胴の背に差しかざしたり,従者に持たせた小旗の類。旗は無地,または書画を染め出し,形は輪貫,馬藺 (ばりん) ,吹流し,うちわなどいろ...
リンク Wikipedia 鍋島氏 鍋島氏(なべしまし)は、近世の佐賀藩藩主の氏族。血縁的には武藤氏の一族・少弐氏の男系である(系譜を参照)。 出自については諸説あり、不明。宇多源氏佐々木一族の長岡伊勢守経秀(つねひで)が、山城国から肥前国小城郡主千葉氏を頼って、下向したことにはじまると伝えている。経秀は肥前国鍋島村に居住し、在名をもって鍋島氏とした。 主たる通字は「直」(なお)。その他、初期..

隆信の死後、豊臣秀吉により、龍造寺氏領の支配を委任され実権を握り、徳川家康により鍋島氏が正式に佐賀藩主と認められ、龍造寺氏の大名としての地位を簒奪する形になった。近世には長崎警備を担い、重い財政負担に悩むが、幕末に至って10代藩主鍋島直正が抜本的な藩政改革を断行、西洋技術の積極的な移入を果たした。これにより雄藩の一角を占めるが、倒幕勢力に加わったのが遅かったため、政治的には薩長の後塵を拝するに留まった。11代鍋島直大のとき、侯爵となった。
系譜[編集]

酒上小琴【サケノウエノコゴト】 @raizou5th
一枚目の左から、旗指物の受筒、采配の残欠、旗指物の上に付ける小旗二流、旗か吹き流しの飾りでしょうね。「日足」がついているということは諫早・武雄・多久・須古の竜造寺四家の内いずれかの裔の方ですね。 twitter.com/sagasengoku/st…
リンク Wikipedia 龍造寺四家 龍造寺四家(りゅうぞうじしけ)は、鍋島氏により親類同格として佐賀藩の支配機構に組み込まれた龍造寺一門の4つの家の呼称である。 鍋島直茂は、佐賀藩の運営には鍋島氏と龍造寺一門との融和が必要と考え、龍造寺一門のうちでも特に有力であった4系統を優遇し、鍋島氏の親類同格とした。 それぞれ諫早、須古、多久、武雄を領したため、諫早鍋島氏、須古鍋島氏、多久鍋島氏、武雄鍋島..

鍋島直茂は、佐賀藩の運営には鍋島氏と龍造寺一門との融和が必要と考え、龍造寺一門のうちでも特に有力であった4系統を優遇し、鍋島氏の親類同格とした。
それぞれ諫早、須古、多久、武雄を領したため、諫早鍋島氏、須古鍋島氏、多久鍋島氏、武雄鍋島氏と言われたが、諫早鍋島氏は諫早氏、多久鍋島氏は多久氏を称した。
諫早鍋島家:龍造寺家晴系。諫早家とも呼称される。
須古鍋島家:龍造寺信周系。
多久鍋島家:龍造寺長信系。多久家とも呼称される。
武雄鍋島家:後藤家信系。

酒上小琴【サケノウエノコゴト】 @raizou5th
@sagasengoku 写真からの情報なので、金属板は想像です。4つの穴が空いていることから、そこに紐の飾りがついていたのかもしれません。蓮の花が描かれているようにも見えるのですが、お寺の「旙」のように使ったのかもしれませんね。
佐賀の戦国史 @sagasengoku
@raizou5th なるほどです。それであればこれらがワンセットで保管されていたのも理解できる気がします。
うめこ@趣味アカ @kojika_Umeko
@sagasengoku 市内の博物館や市役所の文化系の課、歴史学科のある大学に連絡はされていますか?
佐賀の戦国史 @sagasengoku
@k_Umeko 発見したばかりで専門機関には相談されていないそうです。
桔梗(竜胆) @Rindou_MS
@sagasengoku 県立博物館とかに連絡してから持って行ってみると良いですよー。専門の人がいれば調べられます。
佐賀の戦国史 @sagasengoku
@Rindou_MS 有難うございます、専門家に見てもらう様に先方へ申し上げました。
丁稚奉公 @shige_0709
@sagasengoku 右から二番目三番目は槍に付ける槍印じゃないですかね。
佐賀の戦国史 @sagasengoku
@shige_0709 なるほど、ご教示有難うございます、この薄い札は柔軟性がなく金箔らしきものが貼ってあり、パリパリした感じの手触りです。小旗または、槍印、ですかね。。
リンク コトバンク 槍印/槍幟(ヤリジルシ)とは - コトバンク デジタル大辞泉 - 槍印/槍幟の用語解説 - 槍の印付(しるしづ)けの環につけて家名を明らかにした、小切れ・白熊(はぐま)などのしるし。戦陣や外出のときに用いた。
中西豪@史道不覚悟 @take_nakanishi
@sagasengoku 皮革製の短冊に金箔を貼り家紋を描いた槍印の遺物は存在するので、その可能性が高いかもしれません。
残りを読む(37)

コメント

kawonasi @kawonasi4989 2016年12月20日
@katchusi 佐藤誠孝 鎧甲冑製作所 さんいかがでしょうか?
アラオジ @araoji 2016年12月21日
続報願います、気になる。
🍒 @tadayoujiishiki 2016年12月21日
まとめを更新しました。 みなさんの意見をまとめました。 専門家の方の鑑定を待ちたいです。
🍒 @tadayoujiishiki 2016年12月21日
まとめを更新しました。
よーぐる @Seto_yasu1987 2016年12月22日
これを機にみんな龍造寺鍋島に興味を持ってもいいのよ。 佐賀戦国研究会さんのアカウントをチェックチェック!
よーぐる @Seto_yasu1987 2016年12月22日
自分もいくらかの連続ツィートまとめさせてもらっておりますのでよかったら
第24戦略機甲歩兵団@OMEGA7 @votoms_museru 2016年12月22日
鍋島と見るとつい焼き肉行きたくなる
のんさん🌻🍟🍩@六廃 @nonchan1975 2018年4月9日
やっぱりわかる人には分かるもんなんやなあ(語彙力)
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする