化石燃料利用の歴史やメタンハイドレートなどについて
アメリカ大統領選挙のお祭り騒ぎも終わったところで、少し落ち着いてエネルギー資源について考えてみたい。燃料利用の歴史をざっと振り返り、今後の化石資源利用について今の時点で分かっていることをまとめてみる。興味のある人は多くないかもしれないが、しばしお付き合い願いたい。
2016-11-11 18:21:35人類は太古の昔から火を利用してきた。むしろ、火の利用こそが人類に他の類人猿とは決定的に異なる文明を発展させるきっかけを与えた。当時から近世に至るまで、燃料として利用されてきた資源は動植物燃料だ。ルネサンス期からは世界人口の増加が始まるが、その時点でも熱資源の顕著な変化はない。
2016-11-11 18:22:40油脂や薪などの動植物燃料は発熱量が小さく、発熱量を改善するため木炭に変換して利用する工夫は古くから行われてきた。しかし木炭では長時間の大熱量を供給することはできず、18世紀中頃に始まる第1次産業革命では石炭が大規模に利用されるようになった。
2016-11-11 18:24:45石炭は暖房や調理など日常生活でも利用されたが、18世紀においては大部分が製鉄などの工業利用で消費された。コストとしては木炭の方が安価だったが、特に蒸気機関が普及すると大量の燃料消費に木炭では生産が追いつかず、石炭への燃料種の転換が進んだ。
2016-11-11 18:27:54一方、液体燃料については照明としての利用が始まりだ。灯油ランプは蝋燭などよりも遙かに明るく、18世紀を通して灯油を購入できる社会階層に浸透していった。また、工場の照明にも利用された。当時の灯油は主に鯨油が使われ、捕鯨産業は19世紀前半にそのピークを迎える。
2016-11-11 18:29:0119世紀半ばには大西洋の鯨は乱獲によってほぼ採り尽くされ、太平洋にも捕鯨船が進出するようになる。ペリー率いる黒船が浦賀に来たのは1853年だが、当時のアメリカにとっては太平洋海域において捕鯨船団の飲料水・食料の補給基地を確保することが大きな目的であった。
2016-11-11 18:30:38捕鯨船の数は1840年代後半には頭打ちとなり、1860年以降は急激に減退していくことになる。資源の枯渇によって捕鯨のコストが上昇した一方、別の灯油供給源が見つかったのだ。地下から産出される石油を精製することで、大量の灯油を得られる見通しがついたのが1859年のDrake井だ。
2016-11-11 18:32:551859年、鉄道員だったDrakeがペンシルベニア州で機械堀りによる石油産出に成功した。当時アメリカの内陸部では地下塩水を汲み上げて食塩を製造する技術が確立しており、塩水から飲料、農業用の淡水を遮断するために抗壁をケーシングで保護する技術が、そのまま油井掘削に流用できたのだ。
2016-11-11 18:34:34Drake井の成功まで、原油や天然ガスは塩水井を掘削する際の邪魔者という扱いだった。天然ガスについては一部が製塩(塩水の煮沸乾燥)に利用されたりはしていたが、ほとんどは空中放散されていた。工業利用されるようになったのは、ピッツバーグの製鉄業、窯業が最初である。
2016-11-11 18:37:211883年にアパラチア地域からピッツバーグまでパイプラインが敷設され、溶鉱炉、窯業炉の熱源として天然ガスが大量に利用されるようになった。当時一般的だった石炭に比べ、天然ガスを利用することで工場の汚れがなくなり、清潔度が向上したらしい。
2016-11-11 18:39:25石油の需要は19世紀の間は鯨油の代替としてのランプ灯油が主体であったが、徐々に製鉄、窯業において石炭を代替していった。19世紀後期以後に電気の利用が普及するにつれ、発電用ボイラー燃料としても利用されるようになった。20世紀に入って内燃機関が普及すると、需要は急激に拡大した。
2016-11-11 18:41:05なお、艦船の燃料が石炭から重油に代わったのも20世紀前半だ。1905年の日露戦争はその直前の時期で、日本海海戦で壊滅したバルチック艦隊も全て石炭艦だった。石炭は洋上補給が極めて困難で、石炭補給のための寄港が艦隊行動を制限し、日本側に艦隊の位置を教えることとなった。
2016-11-11 18:42:121901年、テキサス州でSpindletop油田が発見された。油井から原油が勝手に噴出する岩塩ドーム油田で、アメリカの石油生産は一気に3倍になる。その後も需要の拡大に伴って生産量も拡大し、2つの世界大戦を超えて1950年代までアメリカは世界最大の産油国であり続けた。
2016-11-11 18:47:451950年代にアメリカの石油生産が衰退を始めると、代わって主要生産地域となったのが中東だ。1938年にはサウジアラビアのDammam、クウェートのBurganで大規模油田が発見され、戦後生産が本格化した。世界最大の埋蔵量を持つGhawarは1951年に生産開始した。
2016-11-11 18:48:50そうした時期にHubbertが発表した所謂ピーク説、つまりアメリカの原油生産は1970年にピークを迎え以降は減衰するとした予測は当初は否定的に捉えられた。ところが実際に1971年をピークにアメリカの原油生産は減衰し、世界でも1988年頃にピークとなることが危惧されるようになった。
2016-11-11 18:50:541960年代頃から海底油田開発などが進み、危惧されていた世界のオイルピークはひとまず回避された。石油生産量は現在も伸びている。特に21世紀に入ってからは油価が上昇したことでそれまで市場性がなかったオイルサンドやシェールオイルといった非在来型の資源も積極的に開発されるようになった。
2016-11-11 18:52:33とは言え、在来型石油については2030年頃ピークアウトする、あるいは2006年に既にピークアウトしているとする報告もあり、お手軽に石油やガスが手に入る時代は既に過去のものとなった。海底油田にしろ非在来型にしろ、現代の化石資源は採掘に大きな投入エネルギーが必要だ。
2016-11-11 18:55:04人類が存在している間に化石資源が本当の意味で「枯渇」することはおそらくない。ただし採掘しやすいところから順に無くなっていくので、これから先はますますエネルギー収支が悪化し、化石資源の利用は高価なものとなっていくことは忘れないようにしたい。
2016-11-11 18:57:33非在来型の資源として、近年特に日本で注目されているものにメタンハイドレートがある。正しい理解が進まないまま期待ばかりが先行しているきらいがあるので、これについても少し整理しておきたい。大きな誤解の一つが、資源量についてのものだ。
2016-11-11 18:59:37メタンハイドレートの賦存量(理論的に推定される存在量)は膨大だが、そのうちどれだけが資源として実際に利用できるのかはまだ分からない。現在は地震探査法などの探査技術の向上によってメタンハイドレートが存在するBSR(海底疑似反射面)を見つけ、濃集帯をある程度予測できる。
2016-11-11 19:02:17東部南海トラフでは実際に試掘も行い、メタンハイドレートの存在量(原始資源量)が算定されている。ここで注意が必要なのは、存在する「資源量」と実際に生産できる「埋蔵量」は異なるということだ。埋蔵量を求めるには「回収率」が必要で、その回収率は生産方法が確立するまで分からない。
2016-11-11 19:03:49在来型の資源とは異なり、海底に存在するメタンハイドレートはそのままの形で採掘できるわけではなく、何らかの方法でメタンと水に分離してメタンを回収しなければならない。メタンがハイドレートの形で安定しているのは低温・高圧の条件が揃っている場合なので、分離の鍵となるのは温度と圧力だ。
2016-11-11 19:05:34世界で初めて地下のメタンハイドレートからガスの生産に成功した方法は温度を使う「温水循環法」で、簡単に言えば井戸にお湯を流してメタンハイドレートを温めるというものだ。しかしこの方法では今のところお湯を沸かして送り込むのに必要なエネルギーが、得られるエネルギーを上回ってしまう。
2016-11-11 19:07:21もう一つの圧力に着目したのが「減圧法」で、水で満たされた井戸から水を汲み出すことで地層にかかる圧力を下げる方法だ。2012年度に実施した海洋産出試験では6日間の連続産出を確認している。在来型資源開発の知見や設備が流用できることもあり、今のところこちらが有望とされている。
2016-11-11 19:09:11ただ、減圧による分離でも気化熱が吸収されるためそのままでは温度が下がって分離が止まってしまう。メタンハイドレートを含む砂層を挟んでいる泥層から熱を供給する方法などが試みられているが、まだまだ課題が多く、最終的な回収率がどの程度になるのかを算出できる段階ではない。
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