第一次大戦中、ドイツの租借地であった中国・青島で捕らえられた約4600人の独軍将兵が、捕虜として徳島県板東町(現:鳴門市)の収容所で生活していました。

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戦前~戦後のレトロ写真 @oldpicture1900

1917年(大正6年)ごろ。ライボルトという独軍捕虜が収容所の近くで撮影。兄の頭を剃る母親と、その横でポーズを取る妹。 pic.twitter.com/GPOkts4uTE

2016-02-26 18:42:48
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しいたけ @zidaiokure_21th

@oldpicture1900 第一次大戦中、ドイツの租借地であった中国・青島で捕らえられた約4600人の独軍将兵が、捕虜として徳島県板東町(現:鳴門市)の収容所で生活していました。 大正7(1918)年6月には、日本初となるベートーベンの「第九」が彼らによって演奏されました。 pic.twitter.com/MvGQnozDAp

2016-12-21 00:47:04
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凛七星 いけずな歌詠み人 @GPart2

第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)8月に日本軍の捕虜となり徳島県の板東俘虜収容所に収容されたドイツ軍兵士によって作られ、収容所内で使用された切手の画像です。 @zidaiokure_21th @oldpicture1900 pic.twitter.com/PIu8pzg2lg

2016-12-21 01:27:37
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凛七星 いけずな歌詠み人 @GPart2

ちなみにドイツ兵士が捕虜となった租借地の青島で日本帝国陸海軍の下士官兵士に支給されていた切手の画像。切手自体は当時の普通切手に「軍事」の文字を加刷したもの。たいへんな珍品で未使用は百万以上の評価が。贋物が多い。 @zidaiokure_21th @oldpicture1900 pic.twitter.com/GGNUr1SAQc

2016-12-21 01:51:32
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