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ヴァリニャーノの生涯

世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが 意味のないことばなど一つもありません コリント人への第一の手紙 14章10節
歴史 イエズス会 キリスト教
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偽教授 @tantankyukyu
16世紀に日本を何度か訪れた、 イエズス会巡察士(※会のナンバーツーくらいに偉い人) アレッサンドロ・ヴァリニャーノという人物が書いている
偽教授 @tantankyukyu
「日本人は優れた民族だ。  部分的には、我々ヨーロッパ人より優れたものを持っているといっていい」
偽教授 @tantankyukyu
「だが一つ厄介な欠点がある  日本人という人々は  ものすごく気軽に、人を殺す  命というものをなんとも思っていないかのようだ」
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノはイタリア人です。 イタリアも、16世紀、群雄割拠の時代でした。 戦乱の嵐が吹き荒れていました。 人が人を殺すことなど当たり前だったでしょう。 でもそのイタリア人からみても 日本人の殺人癖は異常なレベルだったのです
偽教授 @tantankyukyu
ちなみに日本ではヴァリニャーノよりフロイスの方がはるかに有名ですが ヴァリニャーノはフロイスの上司です 上司っていうか、専務取締役とヒラ、くらい差があります フロイスはヴァリニャーノの派閥に属していて、彼をとても尊敬していました
偽教授 @tantankyukyu
フロイスは、自分が日本について記録したことを書物にまとめ、 「ヴァリニャーノ様!これが私のレポートでございます」とやったのだが
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノは言った。 「長 え よ ば か た れ  書 き 直 せ も っ  と短 く」
偽教授 @tantankyukyu
フロイスはしょぼんとして短くしたレポートを書き直しましたが 長い方も処分しませんでした その長い方のレポートが かの第一級史料、ルイス・フロイス『日本史』として今に伝わっています
偽教授 @tantankyukyu
フロイスの日本史、 いま調べたら岩波文庫で完訳が全12巻で出てる そりゃ怒られるわ
偽教授 @tantankyukyu
歴史的重要性のわりに日本では無名だと思うので 私が紹介しましょう ヴァリニャーノの生涯 はじまりはじまり
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノ家は、イタリア、ナポリの貴族です。 けっこうな名門だったそうです。 アレッサンドロは1539年に生まれました
偽教授 @tantankyukyu
ちなみに、1539年生まれということは、 織田信長と比べて5歳年下ということになります
偽教授 @tantankyukyu
大学に入れられて神学と法学の勉強をしたそうですが どうも、ひどい不良学生だったらしい。 アレッサンドロはある日、傷害事件を起こして投獄された。
偽教授 @tantankyukyu
いったい何があったんだか分かりませんが それで獄中で突如として信仰に目覚めたそうです。このとき既に24歳。
偽教授 @tantankyukyu
その後ヴァリニャーノは、当時とても勢いのあった修道会 「イエズス会」に入会します このとき、もう28歳
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノはこのイエズス会で、ちょっと信じられないレベルで出世を遂げました。 入会から7年後、35歳で「東インド管区巡察師」に任ぜられるのですが
偽教授 @tantankyukyu
東インド巡察師、というのは、インド東部の担当、ではありません。 インドより東全部の担当、です。 その上、歴史的経緯から、アフリカも担当のうちになっていました。
偽教授 @tantankyukyu
つまりこの人、若干35歳にして、 ほぼ地球の面積の半分くらいのエリアにおける イエズス会の全宣教活動を掌握する立場にいたのです
偽教授 @tantankyukyu
イエズス会の上層部が何を考えてこんな雑な人事をしたのかは分かりません ただ、結果からいえば、ヴァリニャーノの抜擢は「大正解」でした
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノはまずインドのイエズス会拠点であるゴアに赴き、 インドでの活動方針を定めました。さらに、彼はマカオへと移ります。
偽教授 @tantankyukyu
マカオは香港の西にある、中国の対外出先港です。 マカオに拠点はあったものの、中国への伝道は困難を極めていました。
偽教授 @tantankyukyu
一気に結論に飛びますが、ヴァリニャーノはその中国伝道を成功させました。 マテオ・リッチという宣教師、はじめて中国での伝道に成功した人として 世界史の教科書には必ず名前が出てくる重要人物なんですが、 彼は、ヴァリニャーノの教え子でした。
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノが中国伝道において定めたもっとも重要な方針は 「中国語を学べ。そして中国語で語れ」
偽教授 @tantankyukyu
ヴァリニャーノのやり口というのは、 中国語のことから分かるように、一事が万事 「まず現地の文化に合わせろ」というものでした。 これを「適応主義」と言います。
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コメント

- @mk_1020_1996 2016年12月29日
♪Go!天正遣欧少年使節♪
バレルロール @zoahunter 2016年12月30日
棚からばてれん!も名曲やでぇ
我乱堂 @SagamiNoriaki 2016年12月31日
ヴァリニャーノは凄い人なのは確かだけど、割と手段選ばないタイプやで…
るう之助 @bluelotus2212 2016年12月31日
遠藤周作『沈黙』にもちらっと出てくる?
バレルロール @zoahunter 2016年12月31日
♪ヴァリニャーノはゴアまで♪ ……え?そっから先は自力??
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