正宗白鳥くんのことども

白鳥くんの評論まとめ
文学 書籍
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白鳥くんのこと
@yone_hn
正宗白鳥とは!明治12年生まれで花袋の8才年下、大学を出て新聞社に入社したのち25歳で文壇デビュー。当時大ブームだった自然主義にあたらしい分野を切り開いたとして大いに注目をあびたが昭和に入ってからは評論に重点をおいたぞ!評論がめちゃくちゃ面白いぞ!! pic.twitter.com/151jFMJMzw
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@yone_hn
自然主義は田山花袋がやっぱり筆頭にして支柱で、続いて藤村、秋声。次いで島村抱月、岩野泡鳴。(小栗風葉がギリ入るかどうか?)荷風と独歩はちょっと別枠。さらに若手で続いたのが正宗白鳥と真山青果、ついで近松秋江って感じ。この中だと白鳥がひとり格が違って、抱月泡鳴ワンチャンって感じ
白鳥くんざっくり略歴

※評論紹介というまとめの性質上、劇作家としての経歴はざっくり省いてあります。長くなるので。あらかじめご了承ください。

1879.3.3 誕生
岡山県の海辺の村に、6男3女の長男として生まれる。
家は江戸時代には綱本で、ひいひいじいちゃんの代くらいまではお金持ちだった。白鳥くんが生まれた頃には貧乏じゃないけどお金持ちでもないふつうの家、とはいえ家柄はいいのでお父さんは村長さんやってたし、土地もあった。『避病院』や『入江のほとり』に家の描写がみられる。

1893.14歳 閑谷学校入学
岡山藩主池田光政が開いた、日本最古の庶民学校。武士ではない、庶民の子どもにも開かれた学校としてつくられた。今でいうと、私立(=いいとこの武士の子が通う)に対する国公立の名門校みたいなもの?
ここで漢学、数学、英学をまなぶ。

1896.17歳 東京専門学校(のちの早稲田大学)の英語専修科入学
坪内逍遥の講義を気にいり、他学年の講義にまでこっそりもぐりこんで受講したりする。
在学中にキリスト教の洗礼を受ける。植村正久・内村鑑三両氏に影響を受けたといわれ、実際二人の本を読んだり講演に通ったりしてる形跡もあるのだけど、この二人はまったく違う対立しあう流派なので(教会主義と無教会主義である)どの流派というよりは、根底に共通する聖書の教えに興味をひかれたのではないか。

学校内では坪内逍遥先生のシェークスピア。学校外では、内村鑑三先生の西洋文学講義。私が学生時代にもっとも熱心に、全心を注いで聞き惚れたものは、以上の二つであった。

(「文壇的自叙伝」より)

1901.22歳 卒業。早大出版部に就職、
読売新聞社にいた島村抱月から指導を受け、同新聞社の文芸評論欄に評論を書き始める。
当時は世間に相手にされてなかった独歩の「武蔵野」をとても褒める。

1903.24歳 読売新聞社に正式入社
演芸、美術、文学欄を担当。
演芸評論を連載し、なにかと話題になる

@yone_hn
白鳥くん「新聞社で劇評書いてたとき、書きすぎだって何度か社内で問題になった」 私「でしょうね」 白鳥くん「好き勝手書いてやったら座長が社まで訪ねてきたこともあって、殴られでもするかなと思ってたら勘弁してくださいって泣きつかれた」 私「気の毒の極み」
@yone_hn
自叙伝なので小説家として売れる前の新聞記者時代の話も結構長めに書いてあるんだけど、「社に苦情の手紙が来た」「書かれた人が怒って訪ねて来た」「長々説教された」「闇討ちされるかと思った」とかしれっと書いてるのがほんとにひどいし本人ぜんぜん反省してないしもう
@yone_hn
某博士に原稿依頼に行ったら「君の新聞のあの連載は良くない」って長々非難されたので「あれは自分が書いてます」って白状したらさらに説教されて、「でもその人のことバカにしてたから有難いお説教も聞き流した」とか書いてるの、ほんとひどい
@yone_hn
白鳥くん「当人の嫌がるようなことを書くと読者は喜ぶから、新聞記者なんかやってると読者に迎合するために軽々しく人を傷つけて平気になるんだ」 私「なるほど真理」 白鳥くん「俺のことだけど」 私「待って」

私は早稲田の文科卒業生というだけの履歴で漫然と入社させられたので、特になにかの取り柄のある人間として雇われたのではなかったのだが、社員に、本筋の新聞記事いがいの閑文字をなにか欠かさなければ誌面の余白埋めのできなかった時代であったため、屑々色んなことを書かせられた。それが私の筆慣らしになったといえないこともないが、随分つまらないものを書いた。……(略)

しかし、人間は何もしないよりも、いやな事でも推し進めてやったほうが、自己の名を世間に印象させ出世の道が拓けるらしいので、消極的善良さは人生に成功する上では大した用をなさないのである。……(略)

批評される当人の嫌がるような批評をすれば読者は喜ぶものらしいが、新聞記者が雑誌の原稿書きを商売にしていると、読者の卑俗な好みに迎合するために、軽々しく人を傷つけて平気になるのである。

(『文壇的自叙伝』より)

1904.25歳 処女作『寂寞』発表
露紅みたいなのが小説だと思っていたが、『独歩集』を読み、「こんな感じの、身のまわりのものをつらつら書いただけで良いのなら、俺にも書けないことはない」と思い、書いた。
あとそろそろお布団を買い替えたかった。(原稿料で買った)

1907.『塵芥』発表
1908.『何処へ』発表
このあたりから自然主義作家との交流をもちはじめる。
泡鳴と出会って親しく(?)なったり、花袋の家にちょくちょく通って本を借りるようになったり、花袋の家で独歩と会ったり、龍土会にいって藤村や風葉と会ったりする。
独歩が入院していた南湖院へお見舞いにもいく。

@yone_hn
この「泡鳴と見舞いにいった話」がたしか白鳥くんの話をし始めた最初だと記憶しているので懐かしい。あの頃は泡鳴はおろか白鳥くんも、こんなに早くくるとは思ってなかった。この話、白鳥の「お前には人の心がないのか???」感が如実に出てて大好きなので原文のせておきます pic.twitter.com/0J2AKQZRvW
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@yone_hn
「体が弱っているとき」と書いていますが別に伏せっていたとか大病を患っていたとかではなく痔ですし(まあ電車に乗って遠出するのは億劫だったろうけども)「死んでいく人に会いたいと思っていなかった」ってこれ、悲しくなってしまうからとか気まずいからとかではなく「必要ないだろ」ってニュアンス

1910.読売新聞社退社 小説家に専念
以降、いっぱい小説を書く。評論も書く

1935.秋声、藤村とともに日本ペンクラブ設立
藤村が会長になる

1943.藤村の死に伴い日本ペンクラブ会長になる
藤村の次は秋声がやればいいと思ってたのに秋声も死んじゃったから…… しかたなく……(本人談)
1947.日本ペンクラブの会長を志賀にぶん投げる譲る

1962.83歳で死去

自然主義だけど自然主義嫌い問題
@yone_hn
「日本の自然主義ってホントダメだしなんにも残せなかったしだから途絶えたし勝手に自然主義の仲間入りさせられたけど俺は自然主義のつもりなんかないしホント迷惑だからやめてほしいし俺の書いた自然主義風小説は消えて無くなれ」な白鳥くんがどんな顔で弓持ってくるのかとても楽しみです

日本の自然主義作家と作品の一群は、世界文学史上に類例のない一種特別のものと云うべく、稚拙な筆、雑駁な文章で、凡庸人の艱難辛苦を直写したのがこの派の作品なのだ。人に面白く読ませようと心掛けないのも、この派の特色であった。硯友社の小説は元よりの事、漱石でも新聞小説は読者を喜ばせようとはじめから苦心していたらしい。近来の新聞小説は、無論面白がらせることを主として制作されているのである。
 同じ自然主義作品にしても西洋のそれ等は面白いのに、日本のは面白味が乏しい。それは才能の相違に依るのだが、態度の相違にも依るのだ。誇張して云うと、自然主義の功績と弊害はこんなところにもあるのだ。「自然主義が小説を面白くなくした。」と、よく云われていたが、面白くなくしたところに、この派の特色があったと云ってもいい。

(『自然主義文学盛衰史』より)

@yone_hn
白鳥くん自然主義だよね? と聞きたくなりますが、作中では「そんなつもりなかったのに勝手に自然主義に入れられた」と書いてるし、ほかで再三「俺の自然主義小説ほんっとクソ」「消えてなくなれ」「全集には絶対入れるな」いってるので、筋は通っている(全集には勿論入れられている)

私は、過去の自然主義文学には飽き果てている。少なくとも私自身の初期の小説なんかは消えてなくなれと思っている。

『明治文壇評論』より

@yone_hn
「自然主義文学盛衰史」は、自然主義の始まりから終わりまでをその内側から見ていた白鳥くんによる半自叙伝ともいうべき評論なので、自然主義について体系的に知るにはとても良いです。もちろん花袋藤村秋声出てきます。独歩は出てこない。(白鳥くん的に独歩は自然主義じゃないから)
@yone_hn
花袋、秋声は暴露主義によらず「ありのままを描くことで真実をうかびあがらせる」という正しい意味での自然主義を実行しようと頑張っていたんだけど、白鳥くんに言わせりゃ「結局全員ダメ、日本の自然主義はクソ、黒歴史、燃やそう」だから
@yone_hn
白鳥は自分を自然主義ではないというけど、「事実をありのまま克明に描き社会の抱える問題を浮かび上がらせる」という自然主義本来の理念に最も近づけていたのは彼ではないかと思う。「己の身の周りのことを描きスキャンダラスな暴露小説として扱われてしまう」という先人の失敗を、白鳥はやらなかった
@yone_hn
ただ本人に、花袋みたいな成り上がってやるぞという野心根性も藤村みたいなある種の執念も秋声みたいなコツコツ続ける真面目さも泡鳴みたいな自信もなかった、なにより理想がなかった(本人談)ので、さっさとやめてしまった
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