近代とは。
- harada0829
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その自分たちの価値を、他者(建築界の内外問わず)にぶつけ、他者の価値を知り、生まれうる関係が主体となって、人間の行為を引っ張っていく未来像がとてもいいんじゃないかと思っています。以上です。
2017-01-06 18:14:17とりわけ昨今学生の課題がある種のストーリーを作ることで設計の裏地を作る的な傾向が強くなってるから手っ取り早いのかな。でも建築設計にストーリーは本来要らないんだよね。建築はシークエンシャルなものでなく一度に全体が与えられるものなんだから。
2017-01-04 12:55:09で、たぶん「ポストモダン」って単語は「モダニズム」と呼ばれた時間的な塊に対して、ただその「あと」の様々な分岐を総称しているにすぎない。「ポスト〜」が、日中の呟きの「◯◯は終わった」論と常にセットなので、そこにイライラしていただけなのかも。
2017-01-03 20:51:37市民参加は市民の声を聞くこと自体に意味があるのではなくて、良いものを作る上で市民からでないと出てこないようなアイディアや指摘を拾い上げるためにある。
2016-11-27 23:01:16すごいざっくりしたことを言うと、近代は個人に対しても近代人たれと啓蒙した訳だけど、20世紀後半になって、段々とそれはぶっちゃけ無理じゃね?となり、多くの人は適当でもそこそこやれる社会を目指してきたんじゃないかなと。それこそアーキテクチャ的に。ホームドア的に。
2016-01-18 03:44:02建築は自然科学か、という話があったけどもちろん物理学をモデルにするような仮説検証型の自然科学ではなく、どちらかといえば情報工学ににも似たところのある人文学の性質を多分に持ち、そこで工学部のなかに建築学科があることの日本の特殊性が議論されるところではある。それ自体はそれだけの話。
2015-10-04 13:56:41「みんなが認めないことをする自由」「(誰かによって)悪い(といわれる)人が(誰かによって)悪い(といわれる)ことをする権利」というのが,近代以降に徐々に拡大してきた自由であり権利なのだろうと思う。
2013-03-13 07:38:10同様に「よい人がよいことをする権利」が認められるのも大昔からそうであっただろうから,われわれが近代以降得たと言われる「権利」も「よい人がよいことをする権利」ではないのだと思われる。
2013-03-13 07:34:07「みんながよいと認めることは自由にやってよい」というのは別に古代の社会でも封建制や独裁制の国家でも大昔からそうであったと思うから,近代以降にわれわれが勝ち取ったといわれる「自由」が「みんながよいと認めることは自由にやってよい」ということではないのは明らかだ。
2013-03-13 07:32:56しかし、最近建築史づいている。知らない事が本当に多い。ヨーロッパにいた頃は実はそんなに歴史の話は同僚ともペローともしなかったな。地続きに前近代と近代、近代と現代が繋がっているからか。にしても日本ほどモダニズムを特別なものとして見ていない気がする。受容か自発かの違いか。
2013-03-08 00:19:25でも用途を上書きするようなものではなく、更新するという考え方を持たないと破綻する。そのような将来性を見据えるやり方を持って初めて、モダニズム(近代主義)と呼べるのではないか。みたいな内容。
2012-07-22 15:16:29モダニズム建築に価値があるとすれば、その一つは「使うこと」の更新(上書きではなく)を促すことにあるのではないか。機能主義とは機能を保持することへの決意を示した言葉であって、当初の用途を絶対視するものではないのではないか。
2012-07-22 15:12:49技術者にとって、「今」は最も重要な要素であるが、アーキテクトにとっては、「今」をすべてとしない洞察にむしろ鍵がある。『新建築学大系1「総論」(1982)』
2012-06-14 10:29:45近代建築は時間軸上にあったユートピアを空間軸上の存在へと転換しようとした。ブレーやルドゥーのプロジェクトはその嚆矢。人間理性への信頼。
2012-06-13 23:25:21計画することを「絵を描く」って言うけれど、実際、やらなきゃならないことを全部書き出し、それぞれのつながりや、かかる時間、人員配置などをいっぺんに見渡せる図を描くことはとても大事。
2012-05-07 21:33:4119世紀を支配していた中世というモデルと対比してみるならば、機械は工業化された社会をそのまま是認して、それを前提としたモデルだということができるであろう。(鈴木博之)
2012-05-05 18:03:15ゴシック・リヴァイヴァルの建築群は、中世というモデルによって、近代社会の要求する建築を賄おうとするものであり、中世をモデルとして近代を乗り切ろうとした態度であったと言えるであろう。(鈴木博之)
2012-05-05 18:01:23アール・ヌーヴォーの造形は、19世期末の様式であると共に、過去を持たぬという性格において、20世紀の冒頭を飾るにふさわしい様式でもあったのである。(鈴木博之)
2012-05-05 17:59:15そもそも「世の中に存在するものの多くはなにかに役に立っている」し「役に立つべきだ」し「役に立たないものは存在してはいけない」という信念はどこからくるのか。その不合理な信念のせいで辛くなっている人も多いと思う。
2012-05-01 06:40:46工学的には可能だがコストとコンプライアンスの問題で不可能というのはコンパクトシティや高台移転の話にも通じる。制度設計が新築・拡大・量産という近代化の方向に最適化されているからで、あとは政治の問題、というところも大きいということがわかった。
2012-04-24 02:40:57@motonagajiro たぶん近代建築の場合、向く先が「神」ではなく、ある理想としての 人間のかくあれかしの姿、みたいなものになり、いろいろこんがらがっちゃってその視線の高さが緩んで垂れ下がってくると「佳作」どまりなんでしょうかw
2012-04-21 12:42:02(続き)(ここにはルーバーなどが生むやわらかい建物のタッチも貢献していよう)。つまり、建築とは何より空間であり、空間は新しい社会生活を生み、それは庶民(市民)にまで届かなければいけない。そう考えられて作られた実に王道の(近代)建築、というのが私の感想。いいもので嬉しくなった。
2012-04-13 18:13:08今月20日のオープンに先がけて「浅草文化観光センター」を見学した。階が積層しているけど「ビル」じゃない。「天井」ではない内部上部と、「窓」ではない内部側面からの外部の取り込みとが生む空間が、新たな使い方を触発する。しかも、それは庶民まで届くような、親しみやすい触発である。(続く)
2012-04-13 18:06:20