ネット原住民の元凶は「地方のおりこうさん高校生」にあり

逆張り、冷笑、嘲笑、冷静クラスタ、自己責・・・・不都合な現状を疑わない、国が低迷しきって世界から孤立してもかまわない彼ら。あの「冷たい馴れ合い」はなぜ起きるのか。すべての元凶は地方型公教育にあるのではないかという議論
社会問題
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ボンにい @bonchacchanga
三重県にあるというダウンタウンの浜田や今田耕司の母校のかつての光景である。テレビ放送されるや否や当時「まるで軍隊のようだ」と話題になったそうだが、地方の昭和の学校風景は多かれ少なかれこうした傾向があったそうだ。いわゆる管理教育である youtu.be/Z_39dJFznpM
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ボンにい @bonchacchanga
「管理教育」においては学校はいわば軍隊や刑務所みたいなものである。校内に子どもたちが閉じ込められ、ひたすらタテヨコの統制の連続である。男子生徒は丸坊主、女子はおかっぱが当たり前。運動部の部活動という「教練」も強制で、できる限り長期拘束される。街で遊ぶ暇などはない
ボンにい @bonchacchanga
こうした管理教育は、都市部でも名古屋や千葉などは激化していたそうだが、それがひどかった場所はほとんどが地方部だ。実際、1990年代ですら、幼い頃の私が東北地方に行くと、学生服の生徒はみんな丸坊主しかいなくていまでも東北には日本軍があるのかと勘違いしてビビったりしたこともある
ボンにい @bonchacchanga
鹿児島県内では2000年代まで丸坊主の厳格な規定が生きていて、全廃を実現したのはわずか数年前だ。もちろんそれは形式上のことである。地方部は人間の入れ替わりが乏しく均質濃密な社会なので因習・風習として残るもの、教師や父兄や生徒自身すら疑うことのない同調圧力は残り続けるのだ
ボンにい @bonchacchanga
そしてこの「管理教育」が最も激しかった世代が、1970年以降に生まれたアラフォー世代である。つまり団塊ジュニア、ファミコン世代だ。何かにつけて負の同調圧力を無理強いする人間はネット原住民空間に目立つが、彼らを作り出す原因は「地方のおりこうさん高校生」にあるんじゃないだろうか
普通の日本人なら高校時代にこそ「最大限の自由」を求めるもの
ボンにい @bonchacchanga
以前、あるアミューズメント施設の学割CMがネット原住民に叩かれまくったことがある。それがこれだ。茶髪の女の子たちを含めた男女のグループが青春を謳歌する内容で、普通の感覚では何も違和感がないが、これが彼らのヒンシュクを買った youtu.be/dJdTkSzTIGU
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ボンにい @bonchacchanga
ネット原住民いわく「青春がアミューズメントってなんだよ!DQN(不良を意味するネットジャーゴン)か!」とのことだ。つまり、アフタースクール(放課後)を街中の娯楽施設で謳歌すること、自由なありふれた青春を謳歌することが、彼らの基準では不良とされてしまうのだ。これが管理教育精神である
ボンにい @bonchacchanga
彼らは自分の経験則を過信する傾向がある。ほとんどがアラフォー世代とはいえ人によっては現役高校生ネット原住民もいるからたちが悪いのだが、普通の高校生の当たり前が「DQN」であるというのは、高校生はみな余暇を犠牲に部活動(運動部)に所属しなければいけないという刷り込みに基づくものだ
ボンにい @bonchacchanga
このネット原住民の常識は、普通の東京や神奈川県の現代感覚に通用するものではない。部活動は運動に限らない、文化部だってあるし、余暇こそ人それぞれだ。バイトに明け暮れて貯金でバイクを買っていじることに青春をささげる人もいる。ボランティア活動をする人、スポーツのクラブチームに所属する人
ボンにい @bonchacchanga
学校の軽音部ではなく新堀ギターに通う人、街で知り合った大人とサークル活動をする人、スクールでダンスを学ぶ人・・・とにかくさまざまである。確かなことは、社会人であれば当たり前の自由選択の余暇につながる体験(もしくはほとんど同一の体験)を高校時代にすることで自分の成長につなげることだ
ボンにい @bonchacchanga
そしてこういうことを言うと「それは都会限定だろ!」と逆張りするネット原住民が必ず出てくる。しかし、この程度の体験は所沢でもできるし、仙台くらいの主要地方都市なら謳歌できる(している人、できた人はいくらでも知っている)ので、彼らがいかに田舎者が多いかという話である。しかもだ
ボンにい @bonchacchanga
仮に地方出身で余暇活動の選択肢が乏しかったら、だったらばそうした環境に反発するもんではないか。自由を渇望する並々ならぬエネルギーがヤンキーを作るわけである。それが管理教育全盛期に「社会問題」になったツッパリ、校内暴力の類ではないか。昔やんちゃしていたという団塊ジュニアはとても多い
ボンにい @bonchacchanga
ちなみに今は地方都市でもチェーン店が充実している。まさにラウンドワンなんて地方ロードサイドにこそ多いものだ。(都会の繁華街にもあるが)つまり、あの「アフタースクール」のCMに出てくる子たちは、都市部の若者も地方の主流若者(マイルドヤンキー)でも共感できる平均値の子たちだった
ボンにい @bonchacchanga
よって地方の成人式風景ほど茶髪女性が多いのはあれがイニシエーションだからだそうだが、そもそもそういう人たちは地方出身のくせに同じ地域内の多数派に気づいていない。つまり地域では限られた人の集う「優等生の高校」に閉じ込められすぎていて、並の学校のマイルドヤンキー生徒の多さに気づけない
実は「冷笑系」がいちばん大人になれていない
リンク NAVER まとめ 18歳選挙権に拡大する高校生デモ…今こそ知りたい「管理教育」ってなんだ!? - NAVER まとめ 昨今、高校生の社会参加に関する大きな動きが相次いで起きている。だが、主権者意識が芽生えた高校生たちの前にあらためて立ちはだかるのが「管理教育」という大きな壁だ。...
ボンにい @bonchacchanga
要するにこのような「優等生」に限って視野狭窄なのである。実際には、ネット原住民・トロールに陥る時点で優等でもなんでもない、不貞連中なので「おりこうさん」といっておこう。昭和学園文化を過信するファミコン世代は21世紀育ちの常識を知らない、あるいは田舎者は都会を知らない
ボンにい @bonchacchanga
ネット原住民の脳みそには非常にサブカルなウンチクが詰まっていたり、細かい揚げ足を取るような能力にたけていて、ものすごくどうでもいい定義の認識やら屁理屈は備わっているが、そのくせ自分と異なる社会があること、その方が世の中の主流だと気づけない。気づきそうになるとネットに逃げる悪循環だ
ボンにい @bonchacchanga
こうしたネット原住民は、若者叩き、蔑視が好物だが、彼らこそが本当の意味では幼稚で、大人になりきれていないということを、私はここに強調したい。たとえばネット原住民には異様に交際相手が今まで一度もいたことのない人が多いが、その原因も、高校時代に当たり前に経験する恋愛をしなかったからだ
ボンにい @bonchacchanga
管理教育ネット原住民の論理でいえば恋愛すら「DQN=不良」なのである。なぜか?男女別学の歴史的流れがあり「男は男、女は女で分離することが健全なのだ」という古い精神論の発想がある。自由をズルまたは贅沢と考える発想以上に性差別主義者が多い。ネット原住民がホモフォビアが多いわけでもある
ボンにい @bonchacchanga
しかし都市部の豊かな高校生活や、豊かではなくても勝手に自由を謳歌するマイルドヤンキー高校生の体験こそが、そうした不寛容を脱却するための重要なプロセスなのである。「お上の決まり事」だからといって無条件に従う人間こそ愚かで、それを厳しく疑う方が当たり前だという感覚も教師を疑って気づく
ボンにい @bonchacchanga
幼い子どもと違い、ティーンエージャーになって「男」と「女」の違いがはっきりする時、ちょうどいいタイミングで恋愛をし、愛し合ったりケンカしたりすれば、男女の考え方や感じ方の違いに気づき、恋愛の繰り返しでその違いを理解しあって尊重しあうのである
ボンにい @bonchacchanga
男性向け漫画に描かれる美少女キャラは現実の女子高校生とは違う。男の理想で作られた虚構の存在だから。それは女性向け漫画の男性キャラだって同じで、両者の描写は大きなかい離がある。その乖離に気づきつつ、漫画の外の現実に生きる男子高生・女子高生である自分やパートナーを認識しあうわけだから
ボンにい @bonchacchanga
そういうわけでオタクであることは恥ずかしいことではなく、オタクだろうとオラオラ系だろうとなんだろうと仲間とアフタースクールで街で遊んだり、恋愛を経験したり、バイトやボランティアや稽古ごとなどで大人の指導のもとで大人と一緒に社会的体験をしたりしなきゃやはりダメだと思う
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コメント

ヨハン🐱🃏次はホールツアー仙台 @johannessm2k 2017年1月5日
本来自分たちは自分たちが大人たちにされた事と真逆の事をやるべきだった。だけど自分たちは彼らと同じ事を今他の世代に向けてやっている。自分たちの怨念とどう向き合い、それをどう昇華していくか。毒親と化した社会に楔を打ち込むには、まず自分たちの世代から変わる必要があると思っています。