レビューの浅草/民謡の浅草

king-biscuit氏による戦前の浅草演芸に関する書き込みが個人的に興味深かったので備忘にまとめました。
1
king-biscuit @kingbiscuitSIU

戦前、浅草などで流行った安来節や八木節は、都市で流行った「民謡」として理解されとるみたいだけれども、あれは観客とのかけあいや声援との相互性で「場」が成り立って初めて都市芸能の味わいがあった、つまり「ジャズ」に等しかった、という視点は、堀切直人ぐらいしか明確に出してないんかな。

2017-01-06 01:44:41
浅草

堀切 直人

【参考】

ジャズという言葉は、戦前の日本では舶来の、新しい、リズミカルなポピュラーソングのことを意味していた。ジャズ・ソング、ジャズ・ダンスと言った用いられかたをした。このジャズの馬鹿っ囃子を思わせる狂騒的なリズムは旧弊人には拒絶反応を引き起こす一方、震災後の若者には新時代の生活のリズムと符合するものとして歓迎された。震災後の浅草六区はジャズのリズムを受け入れ、ジャズと江戸小唄とをドッキングさせて、「ジャズ小唄」という折衷物をつくりだした。考えてみると、震災前の浅草で人気のあった安来節もカッポレも、ジャズ的なリズムに富んだ演芸ではなかったか。震災直後の六区での安来節の大流行も、当時の人心がジャズ的なリズムに飢えていたからではなかったか。

堀切直人,2004,『浅草』栞文庫.pp.45-46.

 大正中期に熱狂的なファンを集めた浅草オペラが震災後、急速にすたれてしまったのは、おそらくその悠長なテンポが足手まといになって、こうした「時代の動き」に追いついていけなくなったからにちがいない。…大正七、八年ごろに浅草に現れた安来節が、震災直後の浅草でオペラに変わって人気を集めたのも、このことと無縁ではなかろう。
 ところで、安木節とはいったいどんなものなのか。安来節に「一時ひどく凝った」と自ら言う江戸川乱歩は「浅草趣味」(大正十五年)で、その魅力について次のように語っている。

 浅草の安来節は、不協和音に満ちた、騒々しく賑やかな、観客の身心をハイにさせる「和製ジャズ」である、と江戸川乱歩は言う。

堀切直人,2004,『浅草』栞文庫.pp.76-77.

 川端康成はこうした雰囲気の、熱気溢れる演芸小屋を次々とめぐった。…また、和洋を大胆に混成した、ほとんど荒唐無稽の趣きすらある、以下のように奇怪な「和製レヴュウ」をもひいきにした。
「安来節の歌い手が、声楽家風の裾模様にフェルト草履、ピアノ伴奏、しかも安来節の間に、藤原義江流の歌い方で『出船の港』をはさみ——つまり、安来節を独唱する。また…。」(『浅草紅団』)。
 六区で流行っていた、このような和洋混成、新旧錯綜の「和製レヴュウ」に大いに刺戟されて、川端康成は『浅草紅団』を、「和製レヴュウ」を真似た、支離滅裂すれすれの奇抜なスタイルで書いた。》

堀切直人,2004,『浅草』栞文庫.pp.107-108.

浅草 大正篇

堀切 直人

【参考】今週の途中下車は?(2006年7月15日放送分)/ぶらり途中下車の旅

 エノケン・伴淳三郎…かつて浅草の町を彩った芸人達の写真を見ながら歩く山本さん。
 情緒あるアコーディオンの音色を響かせながらビラ配りをしている人たちに出会います。
 山本さんが何のチラシか尋ねると、浅草安来節の公演案内なのだそう。
 演者と客が一体となって楽しむ安来節に芸の町浅草を感じながら旅を締めくくった山本さん。

【参考】浅草・木馬館/ぶらり途中下車の旅

 大正7年、回転木馬を輸入して子供の娯楽場としてスタートした『木馬館』。
 その後回転木馬はなくなり、木馬館は民謡ブームに乗って
浪曲やコント、講談、大衆演劇などを中心に公演する芝居小屋になりました。
 当時、木馬館で浅草名物となったものに『安来節』があります。

リンク Wikipedia 木馬館 木馬館(もくばかん)は、東京市台東区浅草に存在する大衆演劇の劇場である。明治期から続く歴史がある。木馬館の1階部分が後に「木馬亭」と呼ばれ、浪曲の定席となる。1907年(明治40年)、昆虫学者名和靖は日露戦争の勝利記念に昆虫館を建設したいと考え、東京市に「昆虫知識普及館」の建設を申請し、浅草寺脇の土地を貸与される(浅草公園第4区)。こうして、4月21日に「通俗教育昆虫館(つうぞくきょういくこんちゅうかん)」の名で開館した。川端康成の筆になる『浅草紅団』の中にも「花屋敷と昆蟲館――この二つの小屋が、浅草の家
king-biscuit @kingbiscuitSIU

他のしらべもの関連で拾った素材や資料介してでしかないんだが、安来節にしても一座の演しものは「バラエティ」「レビュー」の影響が明らかにあって、節だけでなく小芝居や踊り、果てはビンゴ的当てものなども含んだ構成だったらしく。小僧や丁稚は主に活動、職人などは浪花節や安来節という棲み分け。 twitter.com/kingbiscuitSIU…

2017-01-06 01:48:02
king-biscuit @kingbiscuitSIU

華やかに語られ、かつそのように継承されて自明の「歴史」として伝承されてきているオペラやレビューの「浅草」ってのは、当たり前だけどやっぱ都市部新中間層「的」な好みやセンスがどこかに介在しないとうまく楽しめるものでもなかったらしい、というのはいまさらながらに。 twitter.com/kingbiscuitSIU…

2017-01-06 01:51:15
king-biscuit @kingbiscuitSIU

割と自明の「歴史」事項として言及や研究が濃密に堆積している領分案件は、それ自体水準の異なる「おはなし」が幾重にも重層してきた来歴も共にその「歴史」に織り込まれとったりするわけで。#わけのわからないことを言う

2017-01-06 01:55:22
king-biscuit @kingbiscuitSIU

民俗学的w「歴史」のための「資料批判」wwがあり得るとしたら、そういう「おはなし」の重層の〈いま・ここ〉をまず「そういうもの」として認めた上で、それぞれの「おはなし」の成り立ちや来歴などについて腑分けしてみることから始まるような気がせんでもない。

2017-01-06 02:05:09
king-biscuit @kingbiscuitSIU

これ、西の河内音頭や江州音頭なんかが市中の寄席に入り込んでいった過程、とどう重なりor違うのか、とかやってみたら割とオモシロいんでないかいな、とか絶滅品種老害目線ながら。まあ、上方のそれ系芸能についてはこってりやっとらす界隈があるんですでに、な気もするがそれはそれとして。 twitter.com/kingbiscuitSIU…

2017-01-06 11:55:54
king-biscuit @kingbiscuitSIU

「うた」と「ふし」の相互作用とそれを可能にしていた「場」について(´・ω・`) #わけのわからないことを言う

2017-01-06 12:04:19
king-biscuit @kingbiscuitSIU

それらが「政治」につながっていった「場」としての演説/舌会、とかも含めて。#さらにわからないことも言う twitter.com/kingbiscuitSIU…

2017-01-06 12:06:48