建築は競争ではないのか
- tsujitakuma
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単純にまず、競争を否定するなら設計競技も否定することになる。昨今は巨大な建築になればなるほど、批判の目に晒されるので、コンペのような目立つものは避けられる。ますますコンペはなくなっていき、設計・施工一括発注方式が増えていく。競争の否定はそれに加担することになるがそれでいいのか?
2016-12-29 13:41:30そして競争の否定からは、今ある世界を変えようとするのではなく、このまま日常が続けばそれでいい、というある種の現状肯定が透けて見える。もちろんこれはぼくが勝手に感じていることなので、全く違うのかも知れないが、これは今回の彼らの文章だけでなく、社会全体の空気としてそう感じる。
2016-12-29 13:47:47少子高齢化含め、明るい未来を思い描くことが困難な時代なだけに、仕方ない部分もあるとは思う。しかし、放っておけばますます悪くなる一方な訳で、こちらも果たしてそれでいいのか。
2016-12-29 13:52:38ただ、今回の文章に否定的なのが古い世代で、同世代は概ね共感しているという様子を見ていると、同世代的にはある種のリアリティがあるんだろうとも思う。で、それは闇雲に新しいカタチを求めようとする古い世代の建築への否定も含まれるはずで、もしそうならその辺りも明示して批判して欲しかった。
2016-12-29 13:57:44ともかく、辻さん個人の了見が狭いかどうかなんてことはどうでもよくて、問題は書かれたもの。で、今回の文章については今書いたとおり。では、仕事に戻ります。
2016-12-29 14:07:17巷で話題になっているようだったので、『新建築』2016年12月号の「パラレル・プロジェクションズという記事を読んでみた。(連01)
2016-12-30 00:32:13冒頭、未来は計画するものではなく、現時点で既に社会の中に未来を暗示しているプロジェクトがあるのだから、それらと社会の生み出す「好循環」から建築を考えよう、と立場を示し、討議ために13の項目を用意し、そこに自由参加を求める、という企画趣旨が語られている。(連02)
2016-12-30 00:33:15そしてそこに集まった人たちは、自分とは違う他者への想像力に富んでいたので、かつての「野武士」のように競い合って個を主張するような者はひとりもいなかった、上記のような想像力が建築の本義であり、立場を超えて共有可能なこの時代の価値観であると結論づけている。(連03)
2016-12-30 00:33:44若干誤解を恐れずに要約すれば「競争から共有へ」という主張である。 それに対して年寄り世代から否定的な意見が出ているようだ。それらを読んで私も少しだけ私見を述べてみたくなった。(連04)
2016-12-30 00:34:03「建築は競争ではない」という挑戦的なタイトルとその後の上の世代の反応は、20年前の「非作家性の時代へ」という論考を思い起こさせた。内容は違うにせよ、構造は似通っていて、あまり時代は変わらないという印象である。とは言え、もうちょっと詳細に見てみよう。(連05)
2016-12-30 00:34:47まず、計画の否定と、現状をよく見れば未来が見える、という図式だけれど、この図式は近代否定の過程で既に方々で言われていることなので、取り立てて新しくはない。(連06)
2016-12-30 00:35:15次に「現時点で既に社会の中に未来を暗示しているプロジェクトがある」というが、それを証明する根拠は示されてはいない。今日の社会問題に対応しているというだけでそれが証明できるならこんなに楽な話はない。でもそれは置いておく。(連07)
2016-12-30 00:35:34末尾で意識共有を謳うのだが、僕が気になったのは、エントリー制で集まったのがほぼ建築分野の人間だ、という点である。自作も出すのだろうから仕方ないにせよ、このコンセプトを掲げるからには、もっとはるかに多分野の人間の声を何らか集めてやってみるべきだったのではないか。(連08)
2016-12-30 00:38:07とてつもない認識や立場の隔たりに建築界の知識階層が挑んで、彼らからなんらかの意識共有を勝ち得てこそ、意識共有なり共感を謳うことに、この時代なりの意味があるのではないだろうか。そこへ一歩踏み出す意味はあったと思う。(連09)
2016-12-30 00:38:46そもそも「競争」も「違う立場への想像力」も、同じハイコンテクストの中での出来事であることには変わりはない。野武士が民兵になろうが、小さな器の中での優劣を競っても、話が深まっていくとは思えない。否定する側もされる側もその器の中に居場所を得ていたのでは意味がないのだ。(連10)
2016-12-30 00:39:39建築界は、そういう小さな器の中での論争を超えていかなくてはいけないところまで来ているのではないか、というのが読後感である。(連11終)
2016-12-30 00:40:55僕は割と本気でGAなり新建築なりの昭和の成長期をリードしたメインストリーム建築メディアが自分たちのキングメーカーとしての立場を維持することを目的化して無意識のうちにメディアとしての自己批判能力も他所からの批評も受け付けなくなってしまったこと、それを建築界が受け入れてしまったことが
2016-12-30 01:09:25今の建築界なるものの閉塞感のかなり大きな要因だと思っていて、それが本当に大問題だと思うのなら周囲を見て生き残りしか考えない程度の既存主流メディアは潰れた方がいいくらいに思っている。僕だってお世話にはなっているしこれまでの貢献の蓄積と現在も維持する一定の価値は大いに認めるとしても。
2016-12-30 01:13:44新建築12月号の辻琢磨さんの「建築は競争ではない」は、スターシステムへの違和感の表明ということで、1986年生まれをコアとする今の20-30代建築家諸兄の「世代としての空気感」を表す言葉かも知れないし、「30歳くらいって皆そんなこと考えるよね」という単なる青い言葉かも知れない。
2016-12-30 01:39:17橋本さんが指摘のように辻論考はスターシステム否定論としてはみかんぐみの「非作家性の時代に」(2000)を反復している。当時30代だった建築家たちは上の世代のバブル時代の振る舞いを嫌悪していて黒いジャケットを着ないようにするなど「自分たちは従来の建築家像じゃない」と強調していた。
2016-12-30 01:45:08当時の30代建築家たちは「30代建築家100人会議実行委員会」という組織を組み、1997年に「30代建築家100人」展という展覧会を開催。これが今回の「パラレル・プロジェクションズ」の空気感によく似ていた。たくさんのトークセッションをやって、みかんぐみの論考もその流れで出てきた。
2016-12-30 01:58:26彼らはその後、2000年にOZONEで「30代建築家30人による30の住宅地」展を開催。最後にギャラ間で30代建築家10組による『空間から状況へ』展が開催された。結果的にではあるが当初「100人」いた30代建築家が、30人、10人と、どんどん淘汰されていったようにも見えた。
2016-12-30 02:01:21彼らがいくらフラットな時代だといってスターシステムを否定しても、メディアは従来型のスターシステムにどんどん回収していくんだなという印象があった。今思えばそれがあとで自分が30歳になったときに『RoundAbout Journal』を始めるきっかけのひとつにもなったかも知れない。
2016-12-30 02:12:20「競争ではない」はそうはいっても403、エウレカ、ツバメ、モクチン、ツクルバのように既に有名なグループがいてスターシステムが作動しつつあるなかで他の参加者が気後れしないで議論に参加できるようにし、よけいなポジショントークを誘発しないためのオーガナイザーとしての配慮であったと推察。
2016-12-30 02:16:49「30代建築家100人」展は多様な議論をすると言っていたが「30人展」で住宅地というテーマに限定し狭小住宅が並び、アトリエワンが世代のイメージを代表することになった。今回の「パラレルプロジェクションズ」展もいろいろ並んでいたが要するにリノベーションの世代と要約されるかも知れない。
2016-12-30 02:30:45